【注意事項】
・順番は入団年順で特に選手間の順位はつけてへんで
・選定基準は主にhttps://ranzankeikoku.blog.fc2.com/
のサイトの「RCWIN」と「WAR(oWAR)」の数値を参考に決めたで
・足切りとして3シーズン以上巨人で働いた選手しか入れてへん
・「出身地」はその選手が0歳~18歳までの間で最も長期間住んだ
場所にする
・戦争に行って野球ができなくなったり、怪我や故障で現役を中途で
閉ざされた人に対しても一切補正は行わず純粋に残した実績だけで
決めたで
ほな楽しんでってな
こちらもおすすめです
【生年月日】1909/06/28
【通算成績】RCWIN 13.4 oWAR 22.9
【出身地】長野
【在籍年】1934~1943,1946~1949
【解説】
プロ野球史上初の三冠王達成者や。悪球打ちの名人として知られワンバウンド投球をスタンドに放り込んだこともあるらしいで。引退後は長嶋川上の派閥に分かれる巨人OB陣の調停役としてOB会長も務めたお人や
【生年月日】1916/05/01
【通算成績】RSWIN 44.29 WAR 59.4
【出身地】北海道
【在籍年】1934~1944
【解説】
ソビエト革命時に日本に亡命してきた無国籍の選手。父親が起こした殺人事件の罪でソ連の強制送還をほのめかされたため泣く泣く巨人に入団。最多勝6回、MVP2回の球界を代表する選手になるも引退後、飲酒運転中電車に轢かれ非業の死を遂げた時代に翻弄された選手や
【生年月日】1917/02/01
【通算成績】RSWIN 11.38 WAR 15.9
【出身地】三重
【在籍年】1934~1937,1940~1941,1943
【解説】
NPB史上初の最多勝利、MVP、投手五冠、ノーヒットノーランなどNPB隆盛の礎を築いた戦前を代表する野球選手。でも2度の従軍の後肩を壊し、巨人軍を解雇された後、3度目の従軍で遂に戦死してもうた。もう10年遅く生まれとったらどれだけの成績を残せたんやろなあ
【生年月日】1909/01/19
【通算成績】.243 12本 184打点
【出身地】香川
【在籍年】1936~1942,1950
【解説】
慶応大学のスター選手として六大学で活躍し鳴り物入りで巨人入団。三塁手として活躍し1942年にはMVPを受賞しとる。シベリア抑留の後帰国してからも巨人・東映・中日を歴任し歴史に残る名監督としてプロ野球の発展に大いに貢献したやで
【生年月日】1918/04/15
【通算成績】RCWIN 13.30 oWAR 30.7
【出身地】広島
【在籍年】1936~1943,1948~1949
【解説】
逆シングルの守備を編み出した名ショート、六大学の誘いを蹴って職業野球入りした当時としては異色の選手で晩年は故郷の広島に帰り黎明期のカープを支えたで
うれしい
【生年月日】1916/06/28
【通算成績】RCWIN 15.26 oWAR 22.4
【出身地】台湾
【在籍年】1937~1943
【解説】
映画「KANO」にも出演した嘉義農林の名選手や、デビューしてから数年は奮わんかったが1942年ごろから覚醒して翌43年には首位打者、MVPを獲得。走塁面でも当時の新記録となる29連続盗塁成功を果たしたで、戦後は阪神に移籍して投手としてノーヒットノーランを達成した化け物や
【生年月日】1918/09.23
【通算成績】RCWIN 2.86 oWAR 10.1
【出身地】山口
【在籍年】1937~1942,1947~1949
【解説】
さく越えの打球を外野スタンドをよじ登って取るイチローのような守備を見せたことから「塀際の魔術師」と呼ばれたで。打撃はいまいちやったけど戦後ビルマから帰ってきてからはクリーンアップを打つまでに成長したんや、そやけど三原監督排斥騒動に巻き込まれて巨人を追い出されてもた、悲しい末路や
【生年月日】1919/01/02
【通算成績】RCWIN 3.97 oWAR 11.1
【出身地】熊本
【在籍年】1938~1941
【解説】
甲子園で2度の準優勝を果たした後投手のテッツとともに巨人に入団、ルーキーイヤーから正捕手として巨人の扇となりシーズン30盗塁を達成するなど足も早かったんや、そんな逸材が入団3年で兵役にとられ戦死してしもたんはホンマに残念やな
9.川上哲治
【生年月日】1920/03/23
【通算成績】RCWIN 58.34 oWAR 68.6
【出身地】熊本
【在籍年】1938~1942,1946~1958
【解説】
戦前から戦後にかけるプロ野球最大のスター。史上初の2000本安打達成者で監督としても前人未到の9連覇を成し遂げた文字通り「NPBの生き神様」や
10.千葉茂
【生年月日】1919/05/10
【通算成績】RCWIN 22.91 oWAR 51.9
【出身地】愛媛
【在籍年】1938~1941,1946~1958
【解説】
山田哲人が出るまで「史上最高の二塁手」によく名前が挙がった人。右打ちの名人で3年連続リーグ最多四球を選ぶなどしぶといいぶし銀やったニックネームの「猛牛」がそのまま引退後監督を務めた近鉄のチーム名になったり、「カツカレー」の由来になったりなかなかプレー外でもおもろい逸話を持つオッサンやで
11.中尾硯志
【生年月日】1919/12/01
【通算成績】RSWIN 16.51
【出身地】三重
【在籍年】1939~1942,1946~1957
【解説】
沢村栄治と同じ中学の後輩で沢村よりも最終的にええ成績を収めた人や四球10個を出しながらもノーヒットノーランを成し遂げたのはこの人位やな引退後は黒メガネの二軍監督として『巨人の星』や『侍ジャイアンツ』にも出演したで
12.多田文久三
【生年月日】1921/07/08
【通算成績】RSWIN 4.06
【出身地】兵庫
【在籍年】1941~1943,1946~1953
【解説】
当初は捕手としてプレーしとったけど戦後に投手に転向、遠投105mの強肩から投げる快速球と落差の大きいドロップを武器に活躍したで、けど三原監督排斥運動に暗躍して高校の先輩である水原を擁立させ腰巾着のように振舞ったのはキャリアの汚点や
13.青田昇
【生年月日】1924/11/22
【通算成績】RCWIN 14.14 oWAR 25.4
【出身地】兵庫
【在籍年】1942~1943,1948~1952
【解説】
本塁打王5回を獲得した当時を代表するスラッガーや、試合後バックネットに向かって左手一本で200-300本もノックを打ち続ける自己流の練習で長打力を身に着けたそうや引退後もコーチ、監督を歴任して解説者としても巨人贔屓で有名になったオモロイおっさんやったで
14.藤本英雄
【生年月日】1918/05/10
【通算成績】RSWIN 42.61
【出身地】山口
【在籍年】1942~1944,1946,1948~1955
【解説】
釜山生まれで8歳の時に彦島に移住した韓国人選手。史上初の完全試合達成者で「スライダー」を習得した史上初のプロ野球選手と言われる。偉大な選手やけど引退後は巨人のお家騒動に巻き込まれて投手コーチから社会人野球を経て米国スカウトに回されてしもた不遇のお人や
藤本英雄の通名の由来が小学校時代の恩師からというエピソードぐうすこ
15.川崎徳次
【生年月日】1921/05/07
【通算成績】RSWIN 6.96
【出身地】佐賀
【在籍年】1946~1949
【解説】
戦中は南海におったけど中島治康監督の誘いに応じて戦後は巨人に在籍。オーバースローからスリークォーターに投法を変えたことで覚醒し最多勝利のタイトルを活躍。4年間在籍したのちは地元九州の西鉄でも活躍し引退後は監督に就任したで
16.別所毅彦
【生年月日】1922/10/01
【通算成績】RSWIN 35.58
【出身地】兵庫
【在籍年】1949~1961
【解説】
有名な「別所引き抜き事件」で巨人に移籍。移籍後もMVP2回、ベストナイン4回とエースとして君臨し当時の通算最多勝記録を更新したで。でもコーチとしてはアカンかったな
17.大友工
【生年月日】1925/02/19
【通算成績】RSWIN 23.52 WAR 37.2
【出身地】兵庫
【在籍年】1949~1959
【解説】
大学社会人を経て巨人に入団した但馬の英雄や。当時最高の速球投手として名をはせ日米野球でも活躍、レオ・ドローチャーをして「メジャーに連れて帰りたい」と言わしめたでそやけど1956年に親指に死球を受けたことで一気に劣化していったのが残念や
18.平井三郎
【生年月日】1923/09/04
【通算成績】RCWIN 2.90 oWAR 12.7
【出身地】徳島
【在籍年】1951~1957
【解説】
元々西日本パイレーツに所属していたが西鉄に吸収合併され福岡に連れ戻そうとしたところ巨人側に連れ去られたらしい(白目)千葉茂との2遊間コンビで3年連続ベストナインを獲得。チームの日本一に貢献したやで
19.与那嶺要
【生年月日】1925/06/24
【通算成績】RCWIN 32.55 oWAR 46.8
【出身地】ハワイ
【在籍年】1951~1960
【解説】
25歳という遅さでアメフトから野球に転向して1年後にはプロ野球でプレーし瞬く間にスター選手になったマジモンの化け物や。片言の日本語しか喋れないにも関わらず引退後も各球団のコーチを歴任し、テッツのV10を阻止したで
20.藤尾茂
【生年月日】1934/10/08
【通算成績】RCWIN 6.44 oWAR 19.9
【出身地】兵庫
【在籍年】1953~1965
【解説】
甲子園での実績(1試合で6度の牽制・盗塁死)を引っ下げ鳴り物入りで巨人入りした名捕手や1956年~59年にかけて4年連続ベストイレブンに輝き、当時の三原監督をして野村克也を押しのけて「球界第一の捕手」と評すほどの存在やったで
21.広岡達朗
【生年月日】1932/02/09
【通算成績】RCWIN 4.52 oWAR 27.3
【出身地】広島
【在籍年】1954~1966
【解説】
「六大学の貴公子」と評されルーキーイヤーで.314 15本 67打点を挙げた「天才」や以降の成績は期待されたほどではなかったけど引退後は指導者としてヤクルト、西武を日本一に導き球界きってのご意見番にのし上がったで、晩年の論評に関しては触れんとってや
22.堀内庄
【生年月日】1935/10/05
【通算成績】RSWIN 7.85
【出身地】長野
【在籍年】1954~1963
【解説】
巨人には黒子以外にもう一人「堀内」がおったんや。1956年には14勝4敗を挙げ「最高勝率」のタイトルを獲得。ドジャースのベロビーチキャンプに初めて招待された日本人としても名高い引退後は上の広岡はんに認められてヤクルトの投手コーチとしてチームの日本一に貢献したやで
23.国松彰
【生年月日】1934/09/14
【通算成績】RCWIN 1.14 oWAR 14.3
【出身地】京都
【在籍年】1955~1970
【解説】
当初は投手として入団したけど3年目で外野手に転向してから花開いた選手や
ON砲の脇を支える存在で2回オールスターに出とる。引退後は「亀屋万年堂」の会長に就任しO氏をCMの広告塔に起用して話題を呼んだで
24.森祇晶
【生年月日】1937/01/09
【通算成績】oWAR 16.7 捕手守備得点 +9
【出身地】岐阜
【在籍年】1955~1974
【解説】
入団時は無名やったが別所とのキャッチボールで成長、不動の巨人の正捕手として活躍したで。引退後はコーチ、監督として西武を黄金時代に導いた、現役、コーチ、監督合わせて通算日本一20回は不滅の大記録やろな(工藤がどこまで追いつくか)
25.宮本敏雄
【生年月日】1933/04/26
【通算成績】RCWIN 4.78 oWAR 13.2
【出身地】ハワイ
【在籍年】1955~1962
【解説】
メジャーリーグと対戦して本塁打を放ったことが巨人スカウトの目に留まり入団。二年連続打点王を獲得しまんさんからの人気も高かったそうや、でも腰を痛めてから急激に成績が落ちてしもたんは残念やな
26.坂崎一彦
【生年月日】1938/01/05
【通算成績】RCWIN 5.38 oWAR 13.8
【出身地】大阪
【在籍年】1956~1964
【解説】
浪商出身の巨人選手。当初はマン振りの扇風機やったけどフォームをコンパクトにして大成したで、1961年には日本一を決めるサヨナラタイムリーを打っとる。これだけの選手やのに引退後コーチの職がなく家業を継がざるを得んかったのは残念や
27.藤田元司
【生年月日】1931/08/07
【通算成績】RSWIN 13.04
【出身地】愛媛
【在籍年】1957~1964
【解説】
都市対抗野球制覇を経てプロに入った当時の巨人では珍しい存在。1958年に29勝、翌1959年には27勝を挙げて2年連続MVPに輝いたで。投手出身でありながらコーチ・監督としても成功を収めた偉大な野球人や
28.中村稔
【生年月日】1938/09/28
【通算成績】RSWIN 1.95 オールスター3回
【出身地】三重
【在籍年】1957~1969
【解説】
同じ三重出身の沢村栄治とは親戚同士だそうな。5年目のキャンプでドジャースのドライスデールからチェンジアップを習得して覚醒したで。65年にも20勝4敗防御率2.21の記録を残しとる。同期の藤田とはツレ同士で藤田が監督の時は必ずこの人が投手コーチをしとった
29.長嶋茂雄
【生年月日】1936/02/20
【通算成績】RCWIN 76.15 oWAR 106.9
【出身地】千葉
【在籍年】1958~1974
【解説】
知らない人はいない、20世紀におけるスポーツ界最大のスター。走攻守に優れ、ハッスルプレーと天然ボケで常に茶の間を魅了し続けたプロ野球の看板選手やった。セイバーでも優秀な成績を残しとる、監督時代はちょっとアレやったけどな
30.伊藤芳明
【生年月日】1933/12/30
【通算成績】RSWIN 3.97 WAR 16.7
【出身地】静岡
【在籍年】1959~1965
【解説】
日本生命からプロ入りし新人にしていきなり開幕投手を任された逸材や。1961年にはリーグ最高勝率、防御率2.11を記録、63年には沢村賞を受賞しとる。引退後はずっと巨人のスカウトを務めとったで
31.王貞治
【生年月日】1940/05/20
【通算成績】RCWIN 142.22 oWAR 157.1
【出身地】東京
【在籍年】1959~1980
【解説】説明不要
32.堀本律雄
【生年月日】1935/01/20
【通算成績】RSWIN 3.88 WAR 11.7
【出身地】大阪
【在籍年】1960~1962
【解説】
この人のデビューシーズン程すさまじい成績はそうそうないやろな。いきなり29勝を挙げ沢村賞、最多勝、新人王を獲得。MVP投票も2位に入ったで。立教では先輩後輩という関係上プロ入りの早い長嶋をパシリ扱いした事でも有名や、クイックもうまくて正捕手の森と組んだ時は51企図36盗塁刺(阻止率.706)という圧倒的な成績を誇る天才やった、首脳陣との確執さえなかったらもっとやれてたやろうに
33.城之内邦雄
【生年月日】1940/02/03
【通算成績】RSWIN 12.48 WAR 32.1
【出身地】千葉
【在籍年】1962~1971
【解説】
「社会人No.1の速球投手」という看板をひっさげ巨人に入団。入団から5年で24勝、17勝、18勝、21勝、21勝と100勝に到達した選手はこの人以降現れてへん。引退後2年たってからカネヤンと遊び半分でキャッチボールしたことをきっかけにロッテで現役復帰しとる、さすがにつうようせんかったけどな
>>40
なんでこんなやつが3年しかやってないんや
最後に書いてある通り素行に問題があって「紳士たれ」の巨人が
嫌ったんや、成績の劣化も大きいけどな
>>43
ふーん 移籍とかせなんだのか
したけど復活できず通算6年で消えてもた
【生年月日】1944/02/08
【通算成績】RCWIN 18.99 oWAR 48.9 通算守備得点 103.7
【出身地】神奈川
【在籍年】1962~1981
【解説】
甲子園優勝投手として入団するも通用せず野手に転向し初のスイッチヒッターとして大成した選手や。赤い手袋をはめて当時のプロ野球ではかなりマンさん人気が高かったそうやで通算盗塁数579はいまだにセ・リーグ記録や
35.渡辺秀武
【生年月日】1941/09/16
【通算成績】RSWIN 3.09 WAR 17.9
【出身地】静岡
【在籍年】1963~1972
【解説】
都市対抗野球終了後の8月にプロ入りした異例の選手や。4年目に藤田コーチの指導でアンダースローに転向してから開花し6度の二桁勝利、ノーヒットノーランを達成したで。巨人を離れてからは各球団を転々としたけどリリーフに回って息の長い活躍を見せた
【生年月日】1938/12/12
【通算成績】RCWIN 1.96 oWAR 19.6
【出身地】鹿児島
【在籍年】1964~1974
【解説】
人差し指を精米機で切断してしまうアクシデントに見舞われながらも巨人に入り長嶋の守備範囲のフライを補球し続けた苦労人や。引退後も各球団の守備・走塁コーチとして監督の補佐に奔走したで、「ミスター裏方」やな
37.末次利光
【生年月日】1942/03/02
【通算成績】RCWIN 2.81 oWAR 13.2 右翼守備得点+32.2
【出身地】熊本
【在籍年】1965~1977
【解説】
東都大学リーグ首位打者の実績をひっさげプロ入り、入団後数年は控えに甘んじとったけど69年に右翼種のレギュラーを獲得。1971年の日本シリーズは満塁本塁打を放ちシリーズMVPに輝いとる。余談やが今の天ちゃんは子供の頃末次ファンやったそうや
38.土井正三
【生年月日】1942/06/28
【通算成績】oWAR 17.7 二塁手守備得点+35.7
【出身地】兵庫
【在籍年】1965~1978
【解説】
V9の二番打者としてバントばかりしとった事で有名な人やな、1969年の日本シリーズでは捕手のブロックをかいくぐり忍者のようにホームインした事で株を上げたで、監督時代がなければもっと評価されたやろうに残念やったわ
39.高橋一三
【生年月日】1946/06/09
【通算成績】RSWIN 7.96 WAR 31.2
【出身地】広島
【在籍年】1965~1975
【解説】
V9時代は堀内の陰に隠れとったけど何気に沢村賞2回取っとる偉大な投手や、張本とのトレードで日ハムに追い出されてからも奮起し1981年には14勝を挙げたで、尚星飛雄馬のプロ入り後のモデルはこの人だそうや
40.堀内恒夫
【生年月日】1948/01/16
【通算成績】RSWIN 6.91 WAR 44.7
【出身地】山梨
【在籍年】1966~1983
【解説】
黒江と同じ人差し指をうどん製作機に挟まれ1cm切断する大怪我を負いながら200勝を挙げたお人や。ルーキーイヤーから沢村賞を受賞する天才ぶりを見せつけ投手でも通算21本を打ちゴールデングラブ賞を7年連続で受賞するなど運動神経の塊やった。つくづく性格と監督時代が汚点やな
41.高田繁
【生年月日】1945/07/24
【通算成績】RCWIN 9.13 oWAR 24.7 通算左翼守備得点 +51.2 通算三塁守備得点 +85.9
【出身地】大阪
【在籍年】1968~1980
【解説】
六大学最多安打記録をひっさげ鳴り物入りでプロ入り。ルーキーイヤーから3割20盗塁を達成し同年の日本シリーズではMVPに輝いたで、俊足・強肩・功打の三拍子そろったお人で途中から三塁に回されてもすぐにモノにした器用さもあった、尚怒るとめっちゃ怖い模様
42.新浦壽夫
【生年月日】1951/05/11
【通算成績】RSWIN 9.53 WAR 27.1
【出身地】静岡
【在籍年】1968~1983
【解説】
当時の制度では日本の高校を出ても外国人であればドラフトにかからなかったため異例の高校中退から入団。長嶋による酷使に耐え2年連続最優秀防御率、ベストナイン、最多奪三振のタイトルを獲得、その後祖国韓国に渡り最多勝のタイトルも獲っとるで
43.柳田俊郎→真宏
【生年月日】1948/05/21
【通算成績】RCWIN 7.95 oWAR 14.9
【出身地】熊本
【在籍年】1969~1979,1981~1982
【解説】
プロ入りは地元九州の西鉄やったけど交換トレードで巨人に加入。しばらくくすぶっとったけど1977年には5番打者に定着し.340 21本を打つまでになったで。プロ入り後は演歌歌手になって『ミナミの帝王』にも出演しとるそうな・・
44.河埜和正
【生年月日】1951/11/07
【通算成績】oWAR 15.2 遊撃通算守備得点+22.3
【出身地】愛媛
【在籍年】1970~1986
【解説】
ドラフト6位から強肩一つでレギュラーにのし上がった巨人にしては珍しい苦労人や、スカウトが一塁でボールを受けるとグラブが弾き飛ばされた逸話があるで、坂本が破るまで巨人のショート出場記録を持っとったお方や、有名な落球による後遺症がなければもっと記録は伸びたやろうな
45.淡口憲治
【生年月日】1952/04/05
【通算成績】RCWIN 4.09 oWAR 12.2
【出身地】兵庫
【在籍年】1971~1985
【解説】
打撃はそこそこ良かったけど柳田、末次とのレギュラー争いに巻き込まれて規定打席到達はプロ入り13年目までかかってもうた。強いライナー性の打撃から「コンコルド打法」と呼ばれたで。近鉄に移籍後も活躍し現役最晩年の1989年には古巣巨人と対決、桑田から第2戦で同点タイムリーを放っとる
46.小林繁
【生年月日】1952/11/14
【通算成績】RSWIN 6.77 WAR 17.4
【出身地】鳥取
【在籍年】1973~1978
【解説】
既に入団1年前に巨人から指名を受けとったけど都市対抗野球の結果を待って入団。77年には沢村賞、ベストナイン、最多勝等タイトルを総なめしたけど某「江川事件」の犠牲者となり阪神に移籍、そこでも22勝を挙げ古巣からシーズン8勝をもぎ取ったのは男やったな
47.西本聖
【生年月日】1956/06/27
【通算成績】RSWIN 15.20 WAR 38.0
【出身地】愛媛
【在籍年】1975~1988,1994
【解説】
ドラフト外から電車に乗るときに爪先立ちで筋力を鍛えて沢村賞投手にまでのし上がったで江川とのライバル関係は今でも語り継がれとるな、コーチとの確執で中日にトレードされてもシーズン20勝を挙げる働きを見せた逆境の男や
48.張本勲
【生年月日】1940/06/19
【通算成績】RCWIN 6.89 oWAR 11.0
【出身地】広島
【在籍年】1976~1979
【解説】
球団史上初の最下位に低迷した1975年オフに長嶋から懇願されて巨人に移籍。2年連続で打率リーグ2位の記録を出すなど30代後半になっても尚打棒は冴えとったで、そやけど3000本手前でロッテに放り出された末路は可哀想やった
49.加藤初
【生年月日】1949/12/20
【通算成績】RSWIN 10.35 WAR 26.3
【出身地】静岡
【在籍年】1976~1989
【解説】
シーズン最下位にあえぐ長嶋から懇願されてトレードで太平洋から入団。入団1年目の4月に早くもノーヒットノーランを達成、途中でリンパ腫に悩まされながらも1989年まで投げ続けたで。引退後は在日でもないのに韓国で投手コーチを歴任し指導者の日韓交流の先駆を打ったで
50.中畑清
【生年月日】1954/01/06
【通算成績】RCWIN 7.20 oWAR 15.9
【出身地】福島
【在籍年】1976~1989
【解説】
入団後3年間はファームにおったけど78年オフの日米野球で相手レッズの監督スパーキー・アンダーソンにリップサービスを受けたことで長嶋が間に受けレギュラーの座をゲット。「絶好調男」の綽名を付けられ80年代巨人を代表する人気選手になったで、引退後はDeNAの監督に就任し万年下位のチームを元気づけチームの再生に貢献したやで、サンキューキヨシ
【生年月日】1957/07/16
【通算成績】RCWIN 3,69 oWAR 30.9 通算二塁守備得点+145.7
【出身地】千葉
【在籍年】1976~1994
【解説】
湿性胸膜炎の難病を乗り越え1975年ドラフト1位で入団。シピンとのレギュラー争いに勝ち2度の首位打者、ベストナイン5回、ゴールデングラブ4回を受賞するなど80年代を代表する名セカンドになったで、尚ボールだけでなく車庫を飛ばすことにも長けてたみたいやで(ゲス顔)
【生年月日】1954/08/08
【通算成績】oWAR 8.7 通算左翼守備得点+45.9 通算中堅守備得点 +15.9
【出身地】兵庫
【在籍年】1977~1987
【解説】
「地獄の伊東キャンプ」で俊足を生かすためにスイッチヒッターに転向したことで開花した選手や、シーズン盗塁数のセ・リーグ記録を持っとるで。その後も活躍したけど1987年に凡フライを落球したことで首脳陣の信頼を失い同年球団から強制的に任意引退させられた可哀想なお人や
53.山倉和博
【生年月日】1955/09/02
【通算成績】oWAR 9.5 捕手通算守備得点+9.5
【出身地】愛知
【在籍年】1978~1990
【解説】
六大学ベストナイン2回の実績をひっさげドラフト1位で巨人入り、規定打席で2割を割り込むほど確実性はなかったが長打力はあり87年にはシーズン22本を打ちMVPに選出されとる。引退後「捕手型人間は出世する』とかいう自画自賛の本を出版しとる
54.角盈男
【生年月日】1956/06/26
【通算成績】RSWIN 9.51 WAR 17.3
【出身地】鳥取
【在籍年】1978~1989
【解説】
1年目から5勝7セーブを挙げ新人王を獲得する働きを見せ、2年目の途中にサイドスローに転向した事で抑えのエースになったお人や。日米野球でも7人連続で奪三振を奪う快投を披露したで故障で日ハムに移籍した後はなぜか先発をやっとったけど復調したのが凄いわ
55.江川卓
【生年月日】1955/05/25
【通算成績】RSWIN 20.02 WAR 40.7
【出身地】静岡
【在籍年】1979~1987
【解説】
「空白の一日」で協約の不手際を突き巨人に移籍、デビュー戦は球種を盗まれノックアウトされるもすぐに高校時代の球威を取り戻し3年目には投手五冠王に輝いたで。バブルで羽振りが良かったためか現役をすぐに切り上げ解説者に転向、バブル崩壊による借金を乗り越え今もGoingに出続けとる
56.鹿取義隆
【生年月日】1957/03/10
【通算成績】RSWIN 10.87 WAR 19.4
【出身地】高知
【在籍年】1979~1989
【解説】
江川とは六大学野球のライバル同士やった。角同様1年目から活躍し王政権の時の「ピッチャー鹿取」は当時の流行語にもなったで。長年の疲労による成績低迷から西武にトレードされるも見事に復活、現役通して1度も肩や肘を壊さんかったバケモノやった
57.岡崎郁
【生年月日】1961/06/07
【通算成績】oWAR 9.1 三塁通算守備得点+26.7
【出身地】大分
【在籍年】1980~1996
【解説】
一時は支配下選手登録を外れて「練習生」扱いにさせられるも熾烈なレギュラー争いを勝ち抜き原コンバート後のサードに就く。日本シリーズに強く敢闘賞と優秀選手賞をそれぞれ1度ずつ受賞しとる
58.原辰徳
【生年月日】1958/07/22
【通算成績】RCWIN 25.65 oWAR 46.2
【出身地】神奈川
【在籍年】1981~1995
【解説】
首都大学リーグMVP3回、7度のベストナインの実績をひっさげ鳴り物入りで巨人入りルーキーイヤーから20本塁打を放つなど巨人の4番として長く君臨したで尚監督としても通算1000勝を達成、893との関係は言わんといてや
59.駒田徳広
【生年月日】1962/09/14
【通算成績】RCWIN 6.74 oWAR 14.2
【出身地】奈良
【在籍年】1981~1993
【解説】
高校で通算43本も放った人とは思えんほど打球が上がらんかったけどアヘ単としては優秀、89年の日本シリーズでは史上最高打率.522をマーク、ベイス移籍後の98年のシリーズでも決勝タイムリーを放つなど大舞台の強さはモノホンやった
60.吉村禎章
【生年月日】1963/04/27
【通算成績】RCWIN 12.16 oWAR 21.8
【出身地】奈良
【在籍年】1982~1998
【解説】
入団2年目から規定未到達ながら.326をマーク。その後も着実に成長し続け2年連続ベストナインに選ばれ巨人の中軸として活躍しとったけど88年例の衝突が原因で左ひざ靭帯断裂。その後は半レギュラーとして出続けとったけど二度と全盛期の働きはできへんまま終わってもた。勿体無い選手や
61.槙原寛己
【生年月日】1963/08/11
【通算成績】RSWIN 19.81 WAR 47.9
【出身地】愛知
【在籍年】1982~2001
【解説】
デビュー年から最高球速155KMをマークする球界随一の速球投手やった。斎藤、桑田と巨人三本柱の一角として活躍し通算159勝、ストッパーとしても活躍したのにやらかしのイメージが強いのは本人の優しそうな風貌もあるやろな
62.村田真一
【生年月日】1963/12/05
【通算成績】.234 98本 367打点
【出身地】兵庫
【在籍年】1982~2001
【解説】
先輩の山倉、移籍組の有田、中尾に囲まれていたため出番に恵まれへんかったけど1990年に遂に正捕手の座をつかみ90年代の巨人を支えたで、尚コンパクト教団本尊の村田コーチとは別人の模様
63.川相昌弘
【生年月日】1964/09/27
【通算成績】oWAR 11.2 遊撃通算守備得点+54.8
【出身地】岡山
【在籍年】1983~2003
【解説】
「生涯かけてチームの得点期待値を下げ続けた男」ではなく、シュアなバッティングと堅実な守備で巨人を陰で支え続けた名脇役や。ギャグセンスはなかったけど40歳で中日に移籍しても守備固めや代打で重宝されとった息の長い選手やった
64.斎藤雅樹
【生年月日】1965/02/18
【通算成績】RSWIN 32.51 WAR 58.1
【出身地】埼玉
【在籍年】1983~2001
【解説】
90年代の巨人の看板であり続けた「平成の大エース」や。メンタルが弱くてなかなか開花できんかったけど藤田の一言で覚醒。沢村賞3回、ベストナイン5回の球界を代表する投手に成長したで、せやけどこれだけの投手やのに200勝出来んかったのは残念や
65.ウォーレン・クロマティ
【生年月日】1953/09/29
【通算成績】RCWIN 17.38 oWAR 28.5
【出身地】アメリカ
【在籍年】1984~1990
【解説】
大リーグでは同僚のレジー・スミス程の成績は残せへんかったけど日本に来て長打力が増し頼りない原のカバー役を務めあげたで、陽気な人柄とお茶目なパフォーマンスで大変な人気を集めたけど緩慢な守備を西武に突かれたのは擁護できんな
66.水野雄仁
【生年月日】1965/09/03
【通算成績】RSWIN 4.66 WAR 10.8
【出身地】徳島
【在籍年】1984~1996
【解説】
全盛期の池田高校でエース・4番を務めた蔦監督の秘蔵っ子や。巨人では怪我に苦しみ期待されたほどの活躍は見せへんかったけどほんでもルーキーイヤーと94年以外は全て防御率2~3点台と安定した数字を残しとる。88年のオールスターでは投手ながらサヨナラ犠飛も打っとるで
67.宮本和知
【生年月日】1964/02/13
【通算成績】RSWIN 3.50 WAR 16.4
【出身地】山口
【在籍年】1985~1997
【解説】
入団発表の前日にサッカーをしていて足首を怪我して入団会見を欠席した筋金入りのアホや、そやけどピッチングはなかなかでチームの貴重な左腕として二桁勝利2回、通算防御率3.60の数字を残しとる。97年オフの交通事故で引退に追い込まれたのが残念や
68.桑田真澄
【生年月日】1968/04/01
【通算成績】RSWIN 8.50 WAR 39.8
【出身地】大阪
【在籍年】1986~2006
【解説】
甲子園の通算勝利、奪三振記録を塗り替え早稲田への進学を表明していたにも関わらず巨人がドラフト指名を強行、幾多のトラブルと靭帯断裂の大怪我を乗り越え沢村賞、ベストナイン等多くのタイトルを獲得したで。守備も打撃も上手い才能の塊やった
69.木田優夫
【生年月日】1968/09/12
【通算成績】RSWIN 2.65 WAR 12.0
【出身地】東京
【在籍年】1987~1997
【解説】
先発・中継ぎ・抑えどこでもこなし、44歳まで現役を続けた鋼の肉体の持ち主や1990年には最多奪三振のタイトルも獲得しとる。イラストの才能も野球に匹敵する上手さを誇るため「画伯」というニックネームが付いたで
70.石毛博史
【生年月日】1970/07/13
【通算成績】RSWIN 4.38 WAR 8.9
【出身地】千葉
【在籍年】1989~1996
【解説】
ドラフト外からの入団で藤田監督に抑え投手としての適性を見出されて覚醒。
1993年には当時の球団記録となるシーズン30Sを達成して低迷する打線をカバーしたで、晩年近鉄・阪神に移籍後も優勝を経験したことから「優勝請負人(本人はあまり活躍してない)」と呼ばれたで
71.松井秀喜
【生年月日】1974/06/12
【通算成績】RCWIN 41.68 oWAR 59.8
【出身地】石川
【在籍年】1993~2002
【解説】
フロントはドラフト会議で伊藤智仁を起用としていたが長嶋新監督の鶴の一声で松井指名に切り替わり結果は大成功。監督とのマンツーマンでMLBでもシーズン30本塁打にワールドシリーズMVPを獲得するプロ野球史に燦然と輝くスラッガーになったで
72.落合博満
【生年月日】1953/12/09
【通算成績】RCWIN 5.35 oWAR 7.2
【出身地】秋田
【在籍年】1994~1996
【解説】
93年オフに創設されたばかりのFA制度を利用して巨人に移籍、移籍1年目から10.8の最終決戦で先制アーチを放って主砲としてチームの日本一に貢献したで2000本安打を本塁打で決めたのもここ巨人でや、せやけど96年の野口から受けた死球以降二度と往時の打棒が戻らんくなってもた
73.岡島秀樹
【生年月日】1975/12/25
【通算成績】RSWIN 3.92 WAR 12.3
【出身地】京都
【在籍年】1994~2005
【解説】
独特の「あっち向いてホイ」投法で注目を集めた名ストッパーや、巨人時代はパッとせんかったイメージやけど2000年はクローザーに定着して胴上げ投手にもなっとる。せやけど本領を発揮したのは06年にハム→翌年MLBに挑戦してからやな斎藤隆と同じく遅咲きの投手や
74.仁志敏久
【生年月日】1971/10/04
【通算成績】oWAR 19.0 二塁通算守備得点+61.5
【出身地】茨城
【在籍年】1996~2006
【解説】
大ファンであった原辰徳から背番号を譲り受けられたほど期待されてた選手や
ルーキーイヤーからいきなりレギュラー定着し新人王を獲得。2年目からは本来のセカンドのポジションに就き4年連続ゴールデングラブを挙げた、要らんビッグマウスのせいで成績が落ちたらあえなく放出されたのが汚点やな
75.清水隆行
【生年月日】1973/10/23
【通算成績】RCWIN 1.83 oWAR 14.7 左翼通算守備得点+145.4
【出身地】東京
【在籍年】1996~2008
【解説】
東都大学ベストナイン4回の実績をひっさげ巨人入り。仁志と同じくルーキーイヤーからレギュラー定着し長嶋の理想である「バントと併殺が少ない攻撃型の2番打者」の役割を務め上げたで。守備はネット上では酷評されとったけど指標ではレフトとしては歴代最高の数値をたたき出しとる
76.バルビーノ・ガルベス
【生年月日】1964/03/31
【通算成績】RSWIN 5.06 WAR 12.2
【出身地】ドミニカ共和国
【在籍年】1996~2000
【解説】
意外にも春季キャンプ参加志願からのテスト生からのし上がった苦労人や
連続2桁勝利に在籍年間全て防御率3点台という安定した成績を残しながら語り継がれるのは山崎との乱闘と審判への危険球というある意味可哀想なお人や
77.■■和博
【生年月日】1967/08/18
【通算成績】RCWIN 10.67 oWAR 14.7
【出身地】大阪
【在籍年】1997~2005
【解説】
ドラフトでの因縁を経て11年後に念願の巨人移籍。当初は応援団からボイコットを受ける位成績不振が続いたけど1999年オフの肉体改造を経て復活。2002年の日本シリーズでは2試合連続HRを打つなどチームの4タテに貢献したやで、尚その後の地蔵化と引退後のスキャンダル・・・
まあでもあの年齢であれだけ活躍はしたしな
>>91
ワイも落合に関してはやってもた感があるのは否定できん
代わりに元木あたりを入れても良かったんやけど予想以上にoWARの
数値が低くてな・・・
78.高橋由伸
【生年月日】1975/04/03
【通算成績】RCWIN 26.34 oWAR 44.9
【出身地】千葉
【在籍年】1998~2015
【解説】
おとんの借金をカタに紳士球団に引き渡された可哀想なお人や。六大学の本塁打記録を更新し鳴り物入りでプロ入り。ルーキーシーズンから3割19本を放つなど期待に応え以降松井清原に次ぎ5番に入り巨人の強力打線を支えたで晩年に代打になった後も出場機会があれば打っとったけど例の「アレ」で強制的に監督にさせられてもた
79.上原浩治
【生年月日】1975/04/03
【通算成績】RSWIN 19.32 WAR 39.8
【出身地】大阪
【在籍年】1999~2008,2018~2019
【解説】
ルーキーイヤーから投手主要4部門を制し、新人王、ベストナイン、ゴールデングラブ、沢村賞を総ナメした自称「雑草」や。才能の塊の癖して努力キャラで売っていく浪速の商人らしいPRの上手さが光ったな。MLBでも大活躍で、初のワールドシリーズ胴上げ投手になり赤靴下を優勝に導いたで。後日本代表でもホンマ頼りになりました
80.二岡智宏
【生年月日】1976/04/29
【通算成績】RCWIN 1.52 oWAR 22.2
【出身地】広島
【在籍年】1999~2008
【解説】
読売が誇る裏金パワーで故郷広島カープとの争奪戦を制し獲得した選手やおかげでルーキーイヤーからショートの定位置を川相から奪い.289 18本の成績を残したで、その後も守備は拙いながらも安定した成績を残しとったけどモナとのラブラブが祟り日ハムに放出、その後は転落人生を辿っていったわ
81.高橋尚成
【生年月日】1975/04/02
【通算成績】RSWIN 1.74 WAR 18.0
【出身地】東京
【在籍年】2000~2009
【解説】
都市対抗野球優勝の実績をひっさげ逆指名で巨人入り。ルーキーイヤーから日シリで初登板初完封の偉業を達成し日本一祝賀会の尻露出でキャラが定まってもた。その後も主に下位ローテで頑張っとったけど09年オフにMLB挑戦を決意。最初は及第点やったけど3年目から劣化して二度と球威は戻らんかった
82.阿部慎之助
【生年月日】1979/03/20
【通算成績】RCWIN 33.63 oWAR 71.9 捕手通算守備得点+30
【出身地】千葉
【在籍年】2001~2019
【解説】
大卒ルーキーからレギュラーを勝ち取り村田真一の穴を埋めるも当初は守備の拙さを指摘されてたなあ。それが球界を代表する打者になり守備面も克服することになるんやから驚いたわ。引退後は宅配屋さんとして何故か美女の元だけに配達に行ってるそうやで(ゲス顔)。ホンマの事言うと二軍監督になっとる
83.久保裕也
【生年月日】1980/05/23
【通算成績】RSWIN 3.79 WAR 12.7
【出身地】大分(もしくは福岡)
【在籍年】2003~2015
【解説】
連投や多イニングの投球に耐えられるスタミナの持ち主で軒並み数年で壊れる近年のリリーフ陣としてはかなり長く持った。何度も潰れかけたけどその都度復活する精神的にも強いお人や
84.小久保裕紀
【生年月日】1971/10/08
【通算成績】RCWIN 5.71 oWAR 10.6 三塁守備得点+15
【出身地】和歌山
【在籍年】2004~2006
【解説】
巨人には腰掛け程度にしかおらんかったから選出に異論が出るのは覚悟するが腰掛けとは思えんほど打撃も守備もええ成績を残しとる。移籍選手で初めて主将に任命されるなどグラウンドでのリーダーシップも優れとった。尚脱税の事についてはNGで
85.内海哲也
【生年月日】1982/04/29
【通算成績】RSWIN 10.89 WAR 33.2
【出身地】京都
【在籍年】2004~2018
【解説】
じいちゃんが巨人の選手という縁あって巨人以外のドラフト指名を拒否したジャイアンツ愛溢れる選手。ベテラン勢が多かった当時の巨人の先発陣に新風を入れる選手として堀内が重用してから飛躍した。尚原からは「お前が必要なんだ」とまで言ってくれるほど励ましてくれたのに衰えが見えるとあっさり炭谷の人的補償に出された模様、可哀想やわ
86.西村健太朗
【生年月日】1985/05/10
【通算成績】RSWIN 4.40 WAR 13.1
【出身地】広島
【在籍年】2004~2018
【解説】切れ味良いスライダーを武器に広陵を選抜優勝に導いたことを評価され入団。先発ロングリリーフ入れ混じる原のメチャクチャな起用に耐え抜き2013年にはセーブ王に輝いたで、15年の不運も重なった故障で肘をやってしもうたのが残念やった
>>100
野球賭博(小声)
87.亀井義行
【生年月日】1982/07/28
【通算成績】oWAR 10.7 右翼通算守備得点+54.3
【出身地】奈良
【在籍年】2005~
【解説】
ボーイズリーグ時代から世界制覇を経験しとる野球エリートや。プロでも遠投115Mの強肩を武器にいろんなポジションでプレーできる便利屋としてすぐに重宝された、特に原は気に入っとるのか今年の日シリでも未だにスタメンで出とった
88.イ・スンヨプ
【生年月日】1976/08/18
【通算成績】RCWIN 6.76 oWAR 8.9
【出身地】韓国
【在籍年】2006~2010
【解説】
ご存知2003年に年間56本塁打をKBOで打ち込んだ「アジアの大砲」や。ロッテとの自由契約後巨人に拾われすぐに4番として.323 41本塁打をマーク。遂に日本にフィットできたかと思ったけど翌年以降は怪我もあって低迷。低めのスライダーを空振りする姿から「国民的置物」と揶揄されとったで、尚KBO復帰後は再び中軸として3割30本打ってた模様やっぱKBOは温いわ
89.山口鉄也
【生年月日】1983/11/11
【通算成績】RSWIN 10.66 WAR 18.0
【出身地】神奈川
【在籍年】2006~2018
【解説】
当時としては珍しく高校から直接マイナーに行き、そこから育成選手を経て支配下登録された選手。尚巨人と同時に受けた横浜と楽天の入団テストには落ちた模様。毎年2試合に1回は投げ続けても壊れなかった肩は大したもんや。2008年から2016年までの9年連続60登板はプロ野球記録やで
90.小笠原道大
【生年月日】1973/10/25
【通算成績】RCWIN 12.92 oWAR 20.1
【出身地】千葉
【在籍年】2007~2013
【解説】
2006年オフ突如北海道から行方不明になるも翌年なぜか巨人で髭を剃った状態で発見された模様。移籍初年度から3割30本を達成しシーズンMVPを受賞。その後も安定した働きを見せ取ったけど契約更改後の2011年から統一球導入の煽りを喰らい成績が急落。中日に移籍しても最後まで調子を取り戻せんかった
91.坂本勇人
【生年月日】1988/12/14
【通算成績】RCWIN 28.33 oWAR 63.7 遊撃通算守備得点+157.3
【出身地】兵庫
【在籍年】2007~
【解説】
少年野球では上の田中将大とバッテリーを組んでたらしいで、世界は狭いの。プロ入りは堂上の外れ一位やったが現役生活は天地の差がついてもた。長らく課題やった長打力も昨シーズン克服して名実ともにNPBを代表する選手になった感はある。後は大舞台での活躍だけやな
92.アレックス・ラミレス
【生年月日】1974/10/03
【通算成績】RCWIN 13.26 oWAR 18.3
【出身地】ベネズエラ
【在籍年】2008~2011
【解説】
小笠原と同じく神宮を行方不明になっていたところを読売が拘束した模様。移籍1年目から45本塁打、125打点を挙げる大活躍でMVPを受賞。2年目も初の首位打者と3度目の最多安打を獲得しシーズン連続MVPに輝いた。ここまでの打棒を見せながら4年であっさり放出されたのは守備の拙さやろな・・・おかげでベイスが獲得できたんやけど?
93.長野久義
【生年月日】1984/12/06
【通算成績】RCWIN 12.90 oWAR 28.3
【出身地】佐賀
【在籍年】2010~2018
【解説】
ドラフト時2度の入団拒否の末25歳で入団した原がイキそうな位のジャイアンツ愛の持ち主1年目から.288 19本を獲得しその後も主にリーディングヒッターとして他球団の脅威になっとった。ただWBCの不振以降成績が低下。フロントからピーピー言われたのか丸の人的補償として広島に移籍させられてもた
94.澤村拓一
【生年月日】1988/04/03
【通算成績】RSWIN 8.01 WAR 17.1
【出身地】栃木
【在籍年】2011~2020
【解説】
大学野球で最速157kmの球威にスカウトの目が留まり巨人から単独1位指名。1年目からセ・リーグの新人としては江夏以来となる年間200イニングを達成。その後はリリーフ起用を任せられ原の無茶な要求に応えとったけど遂に2017年故障。トレーナーの針治療による神経麻痺でさらに症状が悪化した挙句ロッテに追い出されてもた可哀想なお人や
95.杉内俊哉
【生年月日】1980/10/30
【通算成績】RSWIN 4.34 WAR 10.1
【出身地】福岡
【在籍年】2012~2018
【解説】
2011年ソフトバンクを8年ぶりのシリーズ制覇に導くもその年の契約更改で球団とゴネた挙句失踪。無事巨人に保護されチームを2年連続で日本一に輝かせる働きを見せる。その後も安定して投げていたが2015年股関節痛により離脱。そのまま1軍のマウンドに帰ってくることなく引退してもた
これストーブリーグ最高の名言だよな
96.村田修一
【生年月日】1980/12/28
【通算成績】RCWIN 4.61 oWAR 14.6
【出身地】福岡
【在籍年】2012~2017
【解説】
2011年末横浜から失踪し巨人に亡命。1年目は原監督から試合中に「強制帰宅命令」が出されるほど成績が低迷しベイスファンの溜飲を下げるかと思ったが不快にも2年目は復活し3割25本を打ち、選手会長に任命される。その後も活躍しとったけど17年末に突如戦力外通告を受け就職先を探すも独立リーグしか見つからず引退、すぐに巨人のファームコーチとして帰ってきたのは腹芸か何かか?
97.スコット・マシソン
【生年月日】1984/02/27
【通算成績】RSWIN 6.14 WAR 11.2
【出身地】カナダ
【在籍年】2012~2019
【解説】
当初は制球難で苦しんだがフォークボールの握りを修正されたことで改善し復調。同年西村と山口で「スコット鉄太郎」という阪神の「JFK」のパクリがスポーツ紙によって考案されたものの余りのダサさに全く流行らなかった模様。その後も勝ちパターンの投手として活躍し外国人選手の最多ホールド記録を打ち立てたで
98.菅野智之
【生年月日】1989/10/11
【通算成績】RSWIN 23.68 WAR 38.8
【出身地】神奈川
【在籍年】2013~
【解説】
原の甥というコネを最大限活用して同じ高校、大学、プロ球団に入る。そやけど周囲のプレッシャーをはねのけてセリーグNo.1投手になったのは立派やな。入団1年目オフに寮を出て一戸建てを買うとか金遣いもビッグやで
99.マイルズ・マイコラス
【生年月日】1988/08/23
【通算成績】RSWIN 6.72 WAR 11.6
【出身地】アメリカ
【在籍年】2015~2017
【解説】
MLBには定着できへんかったけど日本では1年目からシーズン10連勝を記録、WHIPは驚異の0.90やった2年目は故障してもたけど3年目は復活、最多奪三振、防御率2位、QS数1位のとんでもない記録を残し巨人史上最高の助っ人投手になったで、嫁さんも美人やしメジャーに帰っても最多勝とるしええ事尽くしや
100.岡本和真
【生年月日】1996/06/30
【通算成績】RCWIN 6.94 oWAR 11.2
【出身地】奈良
【在籍年】2015~
【解説】
巨人生え抜きでは松井以来となる久々の和性大砲や、3年目まではパッとせんかったけど二岡コーチの指導でグリップ位置を下げバットを立てるフォームにしたことで覚醒。3年連続30本塁打とすっかり巨人の主砲に育ったで、でもヘルメットグラウンドに放り投げてコーチに拾わせたり態度の悪さが気がかりやな
歴代巨人軍百傑における都道府県別出身内訳
10 兵庫県
7 千葉県
6 広島県、大阪府
5 静岡県
4 アメリカ(うちハワイ2)、熊本県、愛媛県、東京都、神奈川県、奈良県
3 京都府、山口県、三重県
2 長野県、佐賀県、徳島県、鳥取県、大分県、愛知県、福岡県
1 香川県、北海道、高知県、岡山県、岐阜県、茨城県、埼玉県、石川県、
山梨県、福島県、栃木県、和歌山県、鹿児島県、秋田県、台湾、カナダ、
ドミニカ共和国、ベネズエラ、韓国
24 関西
18 関東
12 中国地方
11 東海、九州
9 外国
8 四国
4 北陸甲信越
3 北海道東北
我が兵庫とかいう阪神の地元なのに巨人の選手を量産する地域
予想通りだが東日本の田舎は少ないね
歴代巨人軍百傑における出生年代別分類(西暦)
1900s 2
1910s 9
1920s 8
1930s 13
1940s 12
1950s 15
1960s 13
1970s 14
1980s 13
1990s 1
どの年代にも満遍なく人材を供給しとる
さすが「球界の盟主」といったところか
ポジション
P 44
C 6
1B 7
2B 4
3B 9
SS 8
OF 22
長嶋のポジだけあってサードが内野では一番多い
>>120
このランキングの段階で水野とか木田とか入っとるんやけど、さらにしょぼい選手を見たいんか?