セ・リーグファンはJリーグが始まると、大慌てでJリーグに乗り換えて、ブームが去ると、さっさと何食わぬ顔で、せりーぐふぁんに戻って来た。
山田久志は知ってたやろ
日本シリーズに出てたから
山田 足立 山口高志
この3人だけで3連覇したからね
普段は知らんからスーパーエース扱いしてたわ
巨人がいるほうのリーグがメジャー、
いないほうがマイナーという観念が
世間に定着してしまっていたから。
もっともセだって巨人阪神以外の人気は
パの球団と大差なかったと思うけど。
関東関西に集中しすぎて
独自の顧客層を作れなかった
球場に人を集めるにしても
放送してもらうにしても
本業の客にタダ券で遊びにきてもらう
だけなら都市部でよかったのだろうけど
まあ昭和50年代当時の交通網で
今のような地方分散は難しかっただろう。
80年頃になると多少ましになってた
セは「巨人密着」、
パは「親会社密着」、
それが昭和のプロ野球。
長嶋監督就任で最下位→張本移籍で優勝、王756号、江川問題、原入団と
毎年のように話題性があったからかな。
そう考えると、今本当に話題性ないね。
確か、巨人戦視聴率は1983年がピーク
1982年秋の大洋巨人だか中日巨人が最高記録じゃなかった?
めずらしくこのチームなのにTBSやフジでなくテレ朝がやったゲーム
テレ朝は1982年まで大洋対巨人を中継していた。
観客動員どれくらいだったの?
平均して70万人ぐらいだから1試合あたり1万人程度。
東京球場時代はその半分くらいしか入らなかった
消化試合では冗談でなく30人くらいだった。
1987年のドラマ「男女7人秋物語」では、合コンの待ち合わせ場所を、人が少なくてすぐに見つけやすい川崎球場にしたと言う設定。
ほんとに試合中に撮影した。そんな自虐的なシーンの撮影許可をよくしたもんだ、ロッテ球団。
disられようがメディアに出たいと言うのが当時の本音だったのだろう。
今となっては80年代のパリーグの観客席の雰囲気を感じられる
貴重な映像だな
あの頃のロッテにそんな野望あるとは思えへんな。
別にどうでもいいって感じだってんしゃないかな。
地方差し替えカードを捨ててるからな
当時の鷹はなんば駅真横だし福岡から逃げたのは猫でしょ。
黒い霧事件の代償は重かった
バブル前夜の1983年がそんな時代か?ディズニーランドが出来た年だぞ。
だがパ人気が暗黒の底だったのが昭和50年代後半
もう少ししたら熱パが始まる
あと90年代にシリーズで弱すぎたんだよな
90年代の日本シリーズはパリーグのチームが5勝、セリーグのチーム5勝で
互角やぞ
西武ライオンズが誕生してメディアへの露出も増えた
全試合取り上げるプロ野球ニュース(朝の再放送もある)の存在も大きかった
昭和60年にはすっかり大都市へと変貌していたのに
移転しなかった在阪3球団が悪い
在阪パ3球団、全部地元私鉄だしなあ…
プライドというより我慢比べで球団持ってた気がする。
パリーグ優勝回数
昭和
ライオンズ 11回
(西鉄 5回、西武 6回)
南海 10回
阪急 10回
オリオンズ 4回
(毎日 1回、大毎 1回、ロッテ 2回)
近鉄 2回
フライヤーズ(ファイターズ)2回
(東映1回、日ハム1回)
平成
西武 11回
ホークス 8回(ダイエー 3回 、ソフトバンク 5回)
日ハム 5回
オリックス 2回
近鉄 2回
ロッテ 1回
楽天 1回
親会社密着からプロスポーツ本来の地域密着にパがシフトしたのは2004年以降だな。
しかし、巨人人気が廃れ始めてから、各球団の観客動員が伸び始めた
この回答を、いまだに見つけられずにいる
一極集中から地方分権へ。時代の流れじゃないの?レガシーメディアに昔みたいな影響力があるわけじゃないし。
もっと言えば「強いから人気」の時代から「弱くても身近なチームを応援したい」に気質が変わっているとは思うよ。
しかし、それゆえ新規参入に寛容な利点があり、すそ野を広げていった
サッカーはサッカーで裾野を広げすぎてえらいことになってるけどな。
補助金漬けの公金食いつぶしなお荷物球団がいくつあるやら。
欧米主要国のサッカーの盟主はビッグクラブだけど日本の場合は盟主がナショナルチームだからなぁ。せめて山手線の内側にビッグクラブがあれば・・。
パリーグは革新(南海、阪急、ソフトバンク)は存在したが保守(在京の盟主)はついに育たなかった
西武が盟主だったやん
阪急や近鉄が対抗することでそれなりに盛り上がったと思う
阪神のどこが革新?
内ゲバばっかりやってろくな戦力も育たなかったところですかね?
既に指摘が出ているけど西武の存在を無視している時点で全くもって的外れ。
>>62
実際
巨人=何だかんだあっても結局は天下の自民党
阪神=内ゲバ・分離を繰り返す社会党(とその体質を受け継いだ民主党)
と準える向きもあった(´・ω・`)
只、評者の中にはダウンスイングvsレベルスイングと思想対立の様相が濃い巨人が社会党的、小山・吉田vs村山・江夏vs田宮・安藤・掛布etc.のちばらぎ系vs金田正泰vs.........と、感情的対立の色が濃い(且つ敵の敵は味方的な連携が頻繁に起る)阪神こそ自民党的との評も。
パファンから見れば阪神は関西における巨人ポジション。
声の大きいファンに引きずられロクでもない伝統に縛られているなくらいにしか思いませんね。
実際、当時、南海ファンを公言する人には左系文化人(大島渚とか、(江田五月パパの)江田三郎とか)も見受けられたり。
ちなみに大島渚は例の円城寺を切っ掛けにプロ野球に見切りを付け、南海ファンをやめたそうな。
低年齢層の野球ファンを獲得するために、アニメ、漫画、ゲームをプロ野球を題材にして欲しい
肖像権は宣伝費と割り切って免除すべき
>>64
毛髪が寂しくなる前から
日除けにキャップ愛用してきたが
中坊以降は100均かPumaの奴ばっかや
NPB球団のユニ帽も昔より多少垢抜けた感じだが
色んな意味で敬遠してしまう
超満員のファンの声援を受け、常に日本一を目指すホークスこそがパリーグの盟主だ
王さんが監督になった頃にホークスが優勝できるなんて
夢にも思わなかったわ
黄金期西武みたいに全国人気しない方が今の時代は良い
中規模な都市というとおおむね人口30万~50万程度をイメージすると思うが。
普通は200万クラスの福岡や札幌を「大」都市と定義して、東京・大阪の様な1000万超クラスや、名古屋のようなそれに準じる(俺試算では500万超(岐阜や豊橋・浜松等を含めるかどうか等で都市関連の学者・有識者に依っても大きく数値まで異なるため、数値については俺の独断とした))都市は「巨大」都市というのが一般定義だからなあ。
そもそも1000万以上の都市(都市圏)が出現したのは、20世紀に入ってから(ニューヨークが初の1000万都市とされている)で、従来の「大」都市の概念を超越しているとの意味合いで「巨大」と名付けられたって感じなんだが、アジアや南米等世界各所に続々と1000万都市が誕生している現在、定義変更を行なうべきかもしれんとも。
500万~1000万-準巨大都市
100万~500万-大都市
とこんな所か。
ちなみに
日本に於ける100万以上の大都市圏だが、昭和20年代までは三大都市圏と北九州工業地帯を形成していた関門地区しか存在せず、札仙広福の各都市はそれに次ぐ立ち位置といった感じで、その後、昭和30年代に入り北九州工業地帯や筑豊炭田といった後背地を抱えていた福岡や、戦前から近隣の呉市共々軍事拠点都市として独自の発展を果たしたという都市としての蓄積があった広島(但し軍事拠点としては原爆でほぼ破壊された訳だが)がようやく100万以上の大都市圏に成長したという案配だった。
そんな状況では三大都市圏以外で興行としてのプロ野球球団の運営を成り立たせるのは極めて困難と言え、そんな状況で12~15球団を維持するには親会社の財力に依存する他無かったし、又高度経済成長下という時代背景より親会社が「プロ」チームとして赤字丸ごと負担する余裕もあった。
そんな実態としては到底プロ球団とは言えない歪な形で発展した日本のプロ野球だが、それも「失われた20年」で企業側もそんな余裕が無くなった一方、高度経済成長やそれ以降の影の側面とも言える農業や漁業といった第一次産業の衰退や、高度経済成長以降の工業や鉱業といった第二次産業の地位低下により、地方の中心都市である札仙広福へ人やモノの集中が加速度的に進んだ事で、これら4都市が大都市へと発展を遂げていた(特に札幌や福岡は間違いなく後背地の炭田地帯の消滅が人口急増に直結したと思う。)。
そんな背景があってこその地域密着や地元密着であり、寧ろ12球団が興行としてのプロ野球経営を成り立たせる基盤がようやく整ったとも言えるかと。
とりあえず人口が多い福岡や北海道で地元ファンを得たソフトバンクとハムは成功なんじゃないかな。
福岡ライオンズ・仙台オリオンズ「せやな」
移動が大変だったからね当時は。
「なぜセリーグばかり伝えてパリーグを報じないのか 」
外国の記者にこう質問されたら昔のアナウンサーはだれも答えられなかっただろうな・・・
「需要がないから」
でよくね?相手も納得するやろ
ホークス→在福メディアが報じる
ファイターズ→在札メディアが報じる
イーグルス→在宮メディアが報じる
ライオンズ→NACK5と文化放送が報じる
マリーンズ→?
オリックス→在阪メディアから阪神の二軍以下の扱い
まあいい時代になったじゃん。既存メディアの影響力は落ちてるけど。
マーリンズ→チバテレとTwellvが報じる
在仙で