方がおられると思いますが・・・。
大いに何でもどうぞ。
(重要な役割を果たした者が酷い形で処分されること)
「羊頭掲げて狗肉を売る」
(見かけと中身がかけ離れていること。
類似の諺で「聞いて天国、見て地獄」がある)
という言葉がある。
その頃の中国は犬は大衆が食べる肉だったそうだったが、当時でも
これらの諺通り犬の肉は悪いイメージが付いていたそうだね。
唐からはもう中世だろ。
その頃の料理は味付けは濃い方だったのでしょうかね?
趙・燕・魏などの北方系は濃い味が主流。
楚・越・呉などの南方系は薄い味が主流。
トルコ系の影響を強く受けた、北魏~隋唐の前まででしょう。
で、遊牧民が入ってきてから、食事に関する単語もとって変わったとか。
飲む、食は、古代に属し、
北方の影響を受けてからは渇とかコク(字がでない)とかの用語だったとか。
古代は蒸す、煮る、などが主流で、焼くというのは、上記北方の影響とか。
斉民要術という5世紀頃の南朝の食事の本が残っているので、古代食事は再現可能。
あと、漢代遺跡からも当時の食事の遺物が出土している。
周や秦はもともとは遊牧系の影響が強いようですけど、
後の五胡とか突厥・モンゴルあたりとは
風習が違ったんですかね。
周、秦の影響下にあったのが、漢。だから漢は既にある程度北方の影響があった。
で、周、秦の前の時代は、夏なんかは、越なんかに近かったらしい。
なんかで読んだが、「酒池肉林」は、狩猟経済と食事の名残とか。この場合の
肉林では、どのような料理だったんですかね。焼きか蒸しか。
なんか燻製かなにかのような気もするが。。。
ジンギスカンの時代には、蒙古人は肉を水煮にして食べていたようだが。
4(木) 22:56:38
蒙古の肉の水煮って、例の羊のしゃぶしゃぶのこと??
蒙古系中華だと、羊のしゃぶしゃぶだけじゃなくて、
鉄板焼きみたいなのもあるよ。
違う。
鍋にブツ切の羊を入れ、水を注ぎ、
岩塩、若干の野草(野蒜、蓬、茴香など)を加えて肉が柔らかくなるまで煮込み、
肉を上げて浅い皿に供し、卓上で切り分けながら食べる。
ソップは饂飩のようなものを入れたり、粥にしたりして食べる。
野草は入れないこともある。
なるほど。
饂飩や粥を食べる→痩せる→ソップ型
餡子を食べる→太る→アンコ型
なのね。
三国志を読む限り茶は三国時代は高級品だったらしいね。
袁術が最期に「水に蜜を混ぜて…」と言ってるのは、やっぱり蜂蜜を指してるのかな?
考証学のテーマの一つに
「孔子は米を食べたか」という問題があると聞いたことがあります。
やっぱり当時は無かったのかな?
孔子は楚まで遊説してたから、その時食べたでしょ?
個人の嗜好・先入観から米を口にしなかったかどうかの議論なら、ありかも
漢でも関中で稲作が上手くいかなかったので、
わざわざ越人を招聘して農業指導に充てた記録が残ってる。
しかしながら粒食は稀で、発酵させて
醸造用に専ら用いられていたらしい。
何より、淮水~長江間の稲作は原始的な粗放直播き方式で
収穫後は一年間休閑して緑肥を施さなければ、地力は回復させれなかった。
三国志の杜預の言った、火耕水耨てやつな。
華北の乾燥地農法を応用した、水稲耕作が普及したのが南朝~隋唐
チャンパ米が普及して、全土の国民を養えるようになったのが宋代
まあ、古代中国の調理法を考慮したら、
孔子さまが銀シャリを口にしたことは無かっただろうね。
説話とかあるから、食べたんではないの?
梅も漢代からよく調味料として使われていたそうですぞ。
味の具合がいいのを「塩梅がいい」といい。
それが発展して物事の具合がいいのを「塩梅がいい」と言うようになった・
どーだろうね、梅雨という用語自体中国から伝わった言葉だし、
長江流域で梅の果が実る頃降る雨という意味で、
梅雨が明けて保存用に干した可能性はあると思う。
食用と言うより薬用として用いられたんじゃない?
今日でも梅干しは無いね、
寧ろ何とも表現し難い味というか甘い干し梅のお菓子があるくらい。
漢では塩は専売で貴重品だったから、
仮に梅干しが存在したとしても民間に広まっていたとも思えないし。
あれは遣唐使の時代に中国にはなかったのだろうか、結構日本の風土にも
合うから、もし遣唐使の時代に長安の都にあったら持ち帰ったような気がするのだが
諸葛孔明はキュウイフルーツで兵士達の壊血病を治している。
日本にまで広まらなかったのは、山深い蜀の国の果物だから長安の都には無く、
遣唐使の目にはとまらなかったからでは?
ちなみに、キウイフルーツはマタタビの同じ仲間だから、
家庭で栽培すると庭が「猫の阿片窟」になってしまうw
中国は漢代にはベトナムまで支配下においていたから、バナナくらいは
中華の皇帝の食卓に上っていてもおかしくなさそうなんだが
ライチが好物で、南方からやたらと取り寄せたために
沿道の人民が疲弊したってのは楊貴妃だったっけ?
唐の時代、鑑真が日本渡航に失敗して海南島に漂着したとき、
一行の者がパパイアをはじめて食って感激したという記録があったな。
イチジクにも出会い、
「実は毎年なるのに、花は三千年に一回しか咲かない不思議な果物」
と記録している。
富と権力を誇った中華皇帝からすれば>>87の楊貴妃みたいに
取り寄せることができるだろう。
古代の中国人は肉はそれこそ人肉を食べるくらいまで、
関心をもっていたのに、どうして果物にはそんなに執着しなかったのだろうか?
キウィフルーツにしても蜀にあるなら、
取り寄せるなり、植えるなりできるような木がするのだがなぁ。
イチジクは、単語そのものは、もともと今で言うイヌビワをさしていたが、
単語と中身が入れ替わったしまった。
イヌビワも広義のイチジクで、花・実の構造・受粉の習性は同じ。
ぱっと見の木の印象は違うが、観葉植物のベンジャミンとかインドゴムノキ、
沖縄のガジュマルも近縁種で同じ構造の実をつける。食べても美味しくはないが。
華中、華南は米のはずだが?
ダメージコントロールはしてたのかな?
一例
大小麦→蕪菁・豆類→粟→瓜・瓢
豆類から麻子→蕪菁→粟と伸びるパターンも
豆類か、蕪菁、麻子とかで地力の消耗を防止していたみたい
これは中世の農法なので、古代と一致していたとは限らんけどね