投手陣は山田久志、米田哲也、梶本隆夫ら大物ズラリ、一塁手はブーマーと加藤秀司の難しい選択
阪急ブレーブスは1936年、日本プロ野球の創設時に創設された最古の球団の1つだった。
阪急西宮球場を本拠地にして36年から46年まで阪急軍、戦後の47年から一瞬だけ阪急ベアーズ、その後すぐに改名された阪急ブレーブスとして88年まで52年間存在。
67年からリーグ3連覇を達成し、上田利治監督が率いた75年から日本一3連覇するなど強豪チームとして球界を盛り上げた。今回は独自の見解で賛否両論あるとかと思うが、阪急ブレーブスのベストナインを選出していきたい。
先発投手は優勝への貢献度で山田久志を推したい。山田は大豊作だった68年ドラフトで入団。
史上最高のサブマリンとされ284勝。MVP3回。
米田哲也は史上2位の350勝、梶本隆夫は左腕史上2位の254勝、足立光宏はサブマリンで187勝に67年MVP。すごいのはこの4人が同時期に在籍していたことだ。米田と山田に絞られるが、ここは山田だろう。
救援投手は山口高志としたい。阪急はキャリアを通じてのリリーフ専門投手はいなかったが、山口は剛速球で一斉を風靡。
セーブ制度が導入される74年以前に先発、救援で活躍をしたのが石井茂雄、セーブ制が導入されるとエースの山田久志がクローザーになって11セーブを挙げた。
その後、先発だった山口が救援に回って78年には14セーブを挙げて最多セーブを獲得する。
そして山口に代わって下積みの長かった佐藤義則がクローザーになった。
捕手は中沢伸二か。日比野武は戦前からの正捕手。のち西鉄に移籍する。山下健は2リーグ分立時から15シーズンにわたってマスクを被った。
岡村浩司は米田、山田ら大投手の球を受け、69年にベストナイン。中沢は岡村の後任として活躍し、ベストナイン2回。リードと守備に定評があり、78年にはダイヤモンドグラブ賞も獲得した。ここは阪急で最も多くの試合にマスクを被った中沢としたい。
一塁手は難しい選択となった。川合幸三は50年から一塁手で守備でも貢献。54年にベストナインを受賞した。岡本健一郎は選球眼の良い一塁手だった。
57年にベストナインを受賞した。加藤秀司は黄金の1968年ドラフト世代。打点王3回、首位打者2回とタイトルを獲得し、1975年にはMVPを受賞。
全盛期の主軸打者だった。ブーマー・ウェルズは身長2メートルの巨漢だが、巧打が光った。本塁打王1回、打点王4回、首位打者2回。1984年には3冠王、MVPを受賞した。加藤とブーマー、悩ましい選択だが、インパクトの強さではブーマーだろう。
二塁手は優秀な外国人二塁手が多かった。キューバ出身のロベルト・バルボンは愛称チコ。俊足で鳴らし、1958年から3年連続盗塁王。
ダリル・スペンサーはMLB通算105本塁打の強打者。来日2年目の65年に38本塁打を放ち、阪急での7シーズンで152本塁打を記録した。
ロベルト・マルカーノはメジャーでのプレーはなかったが、阪急の野球に順応。78年に打点王に輝いた。福良淳一は前オリックス監督。
阪急時代の1988年にベストナインを受賞している。スペンサーとマルカーノで悩むが、打撃でダリル・スペンサーを選びたい。
外野手は福本を始め、ミスターブレーブス長池ら多士済々、指名打者には伝説の代打・高井
三塁手は松永浩美だろう。岡嶋博治は中日から移籍し5シーズンプレーした俊足の三塁手。森本潔は髭とサングラスがトレードマーク。
168センチと小柄だが、勝負強く、67年にベストナインを受賞した。
島谷金二は森本とのトレードで中日から移籍。
勝負強い打撃と守備で貢献し、ベストナイン2回、ダイヤモンドグラブ3回。松永は史上最強のスイッチヒッターと言われ、88年にベストナイン、84年にゴールデングラブを受賞。
85年に盗塁王を獲得した。実績面では島谷と松永だが、打率3割以上を4シーズンで記録した松永とする。
遊撃手は阪急全盛期の守備の要だった大橋穣とする。立教大時代に長嶋茂雄と三遊間を組んだ本屋敷錦吾はオールスター出場2回。阪本敏三は俊足が売りで盗塁王1回、ベストナイン4回。
東映から加入した大橋は72年から守備の名手として長く活躍し、ベストナイン5回、ダイヤモンドグラブ賞7回に輝いた。弓岡敬二郎はバントの名手として鳴らし、ベストナイン1回、ゴールデングラブ賞2回に輝いた。
外野手は世界の盗塁王・福本豊、黄金期4番の長池徳士は当確。最後の1人は好守強打の簑田浩二としたい。福本は黄金の1968年ドラフト7位で阪急入りした。
70年から13年連続盗塁王に輝き、72年に歴代シーズン最多106盗塁を記録。72年にはMVPを受賞し、「世界の盗塁王」と言われた。
長池は67年から阪急の不動の4番打者として、本塁打王、打点王各3回を獲得。ベストナイン7回、MVP2回に輝いた。「ミスターブレーブス」と親しまれた。
簑田は1983年にトリプルスリーを記録した俊足の強打者。ベストナイン3回、ダイヤモンドグラブ賞に8回輝いた。
他の外野手でも青田昇は巨人の中軸を打った強打者で、阪急には計3シーズン在籍した。中田昌宏は慶応出身の強打者で61年に本塁打王に輝いた。
大熊忠義は守備範囲が広く、つなぐ打撃の2番打者。77年にダイヤモンドグラブ賞を受賞した外野手もいた。
最後の指名打者は伝説の代打、高井保弘とした。高井は通算代打本塁打27本の世界記録をマーク。DH導入後の77年にベストナインを受賞した。
河村健一郎は捕手出身の強打者として知られ、イチローの打撃の師匠でもある。水谷実雄は広島から移籍。移籍1年目の1983年には打点王を獲得し、ブーマーにあやかって「ミズマ―」と呼ばれた。
石嶺和彦も捕手出身、勝負強い打撃で86、87年にベストナインに輝いた実力者もいる。
プロ野球の開幕が延期になり、過去の映像や記録に触れる時間も増えた。史上最高のサブマリン、世界の盗塁王ら名選手を輩出した阪急のことを思い出してみてはいかがだろうか。
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島谷金二は何で出されたか分からんね
阪急に移籍してより打撃が良くなったけど中日時代に
打ててないわけじゃないし
中日は森本潔を獲得して大損したが仕方なく抜擢した
大島康徳がついにブレイクした
最初中日が投手の戸田を欲しがってて、阪急側は交換で島谷を求めた。
長池が肘と膝の故障から衰えだしたため、中軸を任せられる打者を阪急は欲しかった。
>>5
1971年の阪本敏三
打率.282 本塁打15本 56打点 36盗塁
これでショートだからね
なお大橋穣
打率.213 本塁打7本 12打点 9盗塁
普通ならあり得ない超格差トレード
大橋はやたらと過大評価されているが、総合力では圧倒的に阪本のほうが上
日本シリーズでの、たかがワンプレーでトレードとか頭おかしい
阪急の黄金期も大橋よりも阪本が遊撃手にいたほうが、もっと楽に勝てたはず
打者なら王
投手なら山田久志
が神だったよ
1971年日本シリーズの第3戦は伝説の対戦だね
一(中)福本豊
二(左)簑田浩二
三(指)加藤秀司
四(右)長池徳二
五(一)ブーマー
六(二)マルカーノ
七(三)松永浩美
八(捕)中沢伸二
九(遊)大橋穣
投手 山田久志
>>11
4番は三冠王ブーマーやな
けどメンツはこれやろな
個人的にキャッチャーは強肩のインパクトで中嶋がええけど
代打高井で
ほぼ同意。
指名打者は高井でなく加藤かブーマー。
高井は代打で十分。
あとセカンドはスペンサーでもいいかな?
まあ、現役時代は見ていないが。
黄金期西武にもヒケ取らないくらい凄い面子
キャッチャー以外は守備力も高いチームだったよな。
センター福本の印象が強すぎて、当時は少年野球でも高校野球でも俊足はセンターをやらされてた。
これでほぼ決まりだわ
個人的には出塁率で6番松永、7番マルカーノ
送球で簑田をライト、長池をレフトにしたい
スペンサーは絶対に外せないよ
監督は上田でええで
通訳はバルボンで。
ええな
西本だろうね
上田も良いけど
いい投手だけどな
山田、米田、梶谷、足立がいるとなあ、佐藤義、星野と先発ローテーション五番目争いってところかな、但し上の四人は中3日でもいける人達w
今井は完全試合達成。
佐藤はノーヒットノーラン。
足立は一試合17脱三振。
山田は最高のサブマリン。
余談だが山下の高卒新人捕手規定到達はなかなか珍しい記録
そもそも2リーグ制以降プロ1年目にいきなり規定到達した高卒新人野手自体が10人といない
1984年の日本シリーズは一人で3敗したからな
山田は大一番の最大の山場みたいな局面でストレート真っ向勝負みたいな
ポカを何度もやらかしてるからなあ。
シーズン通しての成績が良いから目立たないけどここ一番では頼りにならない。
乱闘→全員集合で何もわからずあたふたしてたらブーマーに首根っこ捕まえられて
「ヘイ、ルーキーボーイ!こっち来い(危ないからお前は俺と乱闘してるフリだけしてろ)」
という話が面白かった
いい話だ
最近深夜にやってたな
対談相手の広澤がバースだウィリアムズだ騒いでたのに対して
白井は他球団ながらブーマーの人格にまで心酔してたのが印象的だった
何がダメだったんだろうか?
運とかじゃない
やってる野球のレベルも采配のレベルも巨人と差がありすぎる
監督自身が大舞台でテンパってたらそら勝てない
体罰上等の鬼軍曹タイプの怖い監督だからだよ。
選手が大一番に萎縮してしまう。
怖い監督は、実は本人もプレッシャーに弱い緊張しやすい性格であることが多くて、
監督自ら緊張して、それが選手にも伝染してしまうと。
星野仙一もそうで、日本シリーズで中々勝てなかった。
西本が大毎と近鉄で二度もスクイズの失敗でシリーズを落としたのが象徴的。
大一番に緊張して普段やらない作戦を取ってしまった。
>>87
大毎でのスクイズ策は頭がおかしいけどね
(本塁打を打ってる榎本喜八にバントさせて山内一弘が
敬遠で5番に強打じゃない打者)
もし永田ラッパに謝罪出来る人だったら日本一になれた
だろうけどそれが出来ないのが西本さんらしいというか
何というか
常時優勝争いしてたのにガラガラ、2キロ隣りの甲子園では
いつもイマイチな順位の阪神に毎日万人の客
子供ながらにやり切れん思いだった
あの時代は日本シリーズや開幕戦でも空席が目立つのが普通。
阪神も満員は巨人戦だけ。
超満員はシーズンに数えるほど。
因みに同じマンションにウィリアムスも住んでいた
イースタンハウスやな
赤い壁のとこやね
人気は無かったけど阪神よりも強かった。
基本的に阪急電鉄は宝塚歌劇団とか東宝とかエンターテインメントは好きだけど
スポーツ関連はあまり好きじゃないんだろうと思ってる。
1980年代に北関東に住んでたけど、阪急は人気がない球団だと思ってなかったので、身売りした時は本当に驚いたわ。
当時は南海とロッテの人気がなくて、ドラフト指名された新人が記者会見でガックリと肩を落としてた。
日ハムは東京に住めるので、弱いけどまあいいか…という感じだった。
>>148
今はほんと変わったよね
パ・リーグ志望すらあるみたいだし
プロ野球の一番古い記憶がこの日本シリーズで
その頃の週刊誌に阪急と広島の日本シリーズなんて
プロ野球に良くないから
こんなカードはもう御免みたいなことが書いてあって
贔屓チームじゃなかったけど
子供心にムカついたの覚えてる
阪急買収のときにブレーブスの名前は変えないと言っていたのに2年ぐらいであっさりブルーウェーブに変えちゃったことだな
往年のファンが付いて来なくなった
>>167
それな
オリックスのやり方はひどすぎ
南海時代も大切にして大阪の古いファンの一部も福岡に付いていった上に
福岡でも新しいファンを獲得したホークスとは大違い
大橋+種茂⇔岡村+阪本
稲葉+島谷+大隅⇔戸田+大石+森本+小松健
阪急の強さを万全にしていった2つのトレード
森本は昭和51年の巨人との日本シリーズ第7戦でライトから打った
逆転2ランが秀逸。あれが置き土産だったな
松本幸行⇔三枝規悦
中日は阪急にトレードでどれだけ貢献したかわからん
一番有名なのは200勝以上してるのに通算成績で負け越してる唯一の投手って事だね
200勝以上している投手の中で254勝255敗と唯一負け越している。
蓑田浩二だろ
はじめから巨人の選手だったらスーパースターだったろうな
1967年~1978年の12年間で
日本シリーズ9回
日本一3回
同じ時期の巨人は
日本シリーズ9回
日本一7回
巨人のV9とモロに被ってたのが残念
日本一回数増えてたらもっと人気出てたんだろうか?
1976年の日シリは完全ヒール扱いだったな・・
ただでさえ今以上に巨人ファンが多かった時代
かすかに覚えてるのは優勝パーティーで阪急の選手が酒樽の前で
「巨人が負けた!巨人が負けた!ワーイ!!」とはしゃいでた映像
多分残ってないだろうが
阪急の担当記者達がやっと巨人に勝てそうと最後泣きながら原稿書いてたという話が