【注意事項】
・対象となるのは南海→ダイエー→ソフトバンクの選手や
・順番は入団年順で特に選手間の順位はつけてへんで
・選定基準は主にhttps://ranzankeikoku.blog.fc2.com/のサイトの「RCWIN」と「WAR(oWAR)」の数値を参考に決めたで
・足切りとして3シーズン以上ホークスで働いた選手しか入れてへん
・「出身地」はその選手が0歳~18歳までの間で最も長期間住んだ場所にする
・戦争に行って野球ができなくなったり、怪我や故障で現役を中途で閉ざされた人に対しても一切補正は行わず純粋に残した実績だけで決めたで
・一部セイバー指標がないマイナー選手もおったからその人は打撃or投手3部門の指標を載せたで
ほな楽しんでってな
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【生年月日】1912/03.11
【通算成績】RCWIN 5.46 oWAR 8.7
【出身地】広島
【在籍年】1938、1940~1942
【解説】
戦前の甲子園を沸かせたスーパースターで敬遠のワンバウンドしたボールを本塁打にした伝説を持つお方や。オッチ以前に神主打法を実践した選手でもあるで。南海には創設から参加し初代主将に就任、すぐに2年間服兵する羽目になるも戻ってくると1942年に打撃三部門で2位になる活躍を見せた、戦後になっても他球団で活躍し45歳までプレーしたで
2.鶴岡一人
【生年月日】1916/07/27
【通算成績】RCWIN 17.92 oWAR 28.4
【出身地】広島
【在籍年】1939,1946~1952
【解説】
弟子の大沢はんが呼ばれる前の「親分」にして南海ホークスの象徴や。六大学のトップスターにも関わらずプロ球団に加入。法政OBから強い反発を受けるもMVP3回、本塁打王1回の働きを見せ職業野球でも絶大なる人気を誇ったで。せやけど本領発揮は監督になってからやな、「プロ野球史上最多勝監督」の肩書だけで説明は十分やろ
3.別所毅彦
【生年月日】1922/10/01
【通算成績】RSWIN 8.87
【出身地】兵庫
【在籍年】1942~1943,1946~1948
【解説】
自身は巨人軍と契約を交わしたにも関わらず母と兄が別ルートで南海と契約を交わしてしまいやむなく南海に入団。1年目からノーヒットノーランを達成し1947年には初代沢村賞を受賞し押しも押されもせぬエースに君臨するも例の「別所引き抜き事件」で紳士球団の逆襲に合いチームはみすみす手放す羽目に。因果応報や
4.堀井数男
【生年月日】1923/12/12
【通算成績】RCWIN 5.98 oWAR 20.0
【出身地】大阪
【在籍年】1943~1944,1946~1959
【解説】
シーズン2桁捕殺を9度も記録するなど強肩の外野手として知られ戦後の南海を支えたで引退後もスカウトとして藤田学や高柳秀樹らの獲得にかかわり息子も入団させた公私混同野郎や
>>11
ホークス在籍中、な
5.河西俊雄
【生年月日】1920/04/25
【通算成績】.258 11本 233盗塁
【出身地】兵庫
【在籍年】1946~1949
【解説】
白鷺城の目の前で生まれ育った韋駄天。ルーキーイヤーから3年連続盗塁王に輝きバント王にも2度輝いた典型的な小兵タイプや。引退後は阪神・近鉄の神スカウトとして江夏や掛布や野茂や中村ノリさんを担当して関西の野球史にその名を刻んだで
6.筒井敬三
【生年月日】1925/06/24
【通算成績】oWAR 10.9
【出身地】和歌山
【在籍年】1946~1955
【解説】
ノムさんが台頭する前の南海の正捕手や。三原監督に「ポカリ」された被害者でもあるで引退後は東映のバッテリーコーチを務めとったけど球団寮で発生したガス漏れ事故で中毒死してもた、なんとも不幸な野球人生や・・・
7.中谷信夫
【生年月日】1920/05/04
【通算成績】90勝76敗 防御率3.05
【出身地】京都
【在籍年】1947~1955
【解説】
門司鉄道局から南海に入団、入団から5年連続二けた勝利を挙げる働きを見せたで、1951年には最高勝率のタイトルも獲得しとる
8.飯田徳治
【生年月日】1924/04/06
【通算成績】RCWIN 29.33 oWAR 39.1
【出身地】神奈川
【在籍年】1947~1956
【解説】
シーズン20本以上打てる長打と6年連続40盗塁の足を併せ持つ当時の南海の看板選手やマスコミに綽名された「百万ドルの内野陣」において一塁手を務めショートバウンドを華麗にタコ足で裁く名人やったで。せやけど入団から「10年選手」に支払われるボーナスを南海のアホフロントが出し渋り国鉄に放出されてしもたんや、引退後コーチとして帰ってきてくれたんが救いやったけどな
9.笠原和夫
【生年月日】1920/06/03
【通算成績】RCWIN 5.55 oWAR 11.6
【出身地】大阪
【在籍年】1948~1953
【解説】
戦前の早稲田のキャプテンや、戦後南海に入団して全試合に出場、二塁打王を獲得したでその後は設立まもない高橋ユニオンズに移籍し選手兼任監督も務めたで
10.柚木進
【生年月日】1920/09/28
【通算成績】RSWIN 16.64 WAR 32.0
【出身地】広島
【在籍年】1948~1956
【解説】
名前は「ゆきすすむ」と呼ぶんやで、六大学で法政のエースとして活躍するも従軍、シベリア抑留から帰還後学校の先輩の鶴岡のコネで南海に入団。変化球投手として打者の心理を読む頭脳派ピッチングを見せたで。引退後は投手コーチとして皆川、杉浦を育てスカウトとしても門田博光を発掘、鶴岡やノムさんに匹敵するほどの南海の功労者や
11.木塚忠助
【生年月日】1924/04/23
【通算成績】oWAR 22.8 遊撃通算守備得点+144.5
【出身地】佐賀
【在籍年】1948~1956
【解説】
六大学に行かず門司鉄道局でプレーしてたところを鶴岡に勧誘され入団。1年目からショートのレギュラーとして6年連続ベストナイン入り。「バカ肩」と称されたほどの強肩でセカンドからサードまでを守備範囲とし「百万ドルの内野陣」の中心選手として活躍したで、足も速くて1949年から4年連続で盗塁王に輝いとる
ノムさんが歴代ベストナインのショートで挙げてたから知った
12.江藤正(晴康)
【生年月日】1922/05/09
【通算成績】RSWIN 6.91 WAR 12.4
【出身地】福岡
【在籍年】1949~1953
【解説】
この人も当時頻発してた二重契約で論議を呼んだ人やな、今やと大変な騒ぎになっとるわ調停の結果による1年間の出場停止を経て1951年には最多勝とベストナインを獲得しとる
13.岡本伊三美
【生年月日】1931/02/26
【通算成績】RCWIN 9.92 oWAR 28.9
【出身地】京都
【在籍年】1949~1963
【解説】
鶴岡が監督業に専念した1952年に二塁の定位置を奪取。以後ベストナイン5回、MVP1回を獲得するなど南海の中心選手として活躍したで。1959年の日シリ第1戦では因縁の別所から2打席連続本塁打を放ちチーム悲願の初制覇に貢献しとる
14.蔭山和夫
【生年月日】1927/01/16
【通算成績】RCWIN 14.46 oWAR 28.2
【出身地】大阪
【在籍年】1950~1959
【解説】
早稲田大学の主将という肩書で南海に鳴り物入りで入団。三塁打王4回、3年連続30盗塁を果たした俊足で素晴らしい選球眼を持ち合わせリードオフマンとしてはうってつけの存在やったで引退後は鶴岡の後釜として擁立されるも就任間もなく謎の急死・・・彼の死が後のお家騒動を招く遠因となってしもた
15.森下整鎮
【生年月日】1933/09/04
【通算成績】RCWIN 1.09 oWAR 21.0
【出身地】福岡
【在籍年】1952~1966
【解説】
実質南海のファームだった南海土建で活躍後ホークスに入団。熾烈なポジション争いを勝ち抜き内野のユーティリティプレイヤーとして15シーズンもプレーしたで。しかも3度のアキレス腱断裂を乗り越えたっちゅうから驚きや
16.戸川一郎
【生年月日】1935/04/02
【通算成績】RSWIN 3.47
【出身地】山口
【在籍年】1954~1958
【解説】
主にリリーフ投手として活躍。2年目には初の2桁勝利を記録し同年の日本シリーズには3試合に登板しとる、引退後はプロゴルファーに転向したそうや。ジャンボ尾崎みたいやな
17.野村克也
【生年月日】1935/06/29
【通算成績】RCWIN 62.64 oWAR 124.8
【出身地】京都
【在籍年】1954~1977
【解説】説明不要や
18.皆川睦男
【生年月日】1935/07/03
【通算成績】RSWIN 27.51
【出身地】山形
【在籍年】1954~1971
【解説】
杉浦ですら成し遂げられなかった南海初の200勝投手や。入団2年間は勝ち星に恵まれず自由契約寸前やったところを鶴岡の働きかけで延命、それどころか給料を倍増してくれる恩に恵まれ奮起。翌年から8年連続二桁勝利を挙げたで、1968年には最多勝とベストナインに輝き「最後の30勝投手」となったわ、引退後も投手コーチとして各球団を歴任した模様
19.宅和本司
【生年月日】1935/07/18
【通算成績】RSWIN 9.62
【出身地】福岡
【在籍年】1954~1959
【解説】
高卒1年目から26勝、防御率1.58、奪三振275をマークし投手三冠を獲得した「怪物」や。そやけど活躍したのは最初の2年だけでわずか通算8年で56勝しか挙げられず引退してもた。勿体無いわ
20.杉山光平
【生年月日】1927/08/07
【通算成績】RCWIN 11.56 oWAR 21.8
【出身地】静岡
【在籍年】1955~1961,1964~1966
【解説】
入団は近鉄ながらも芥田監督と打撃フォームの事で対立して「三角トレード」で南海に移籍。
移籍後は強打の外野手として活躍し「円月打法」とかいう独特のフォームで人気を博したで引退後は京都で鶏料理店を経営しとったが現在は閉鎖されている模様(wiki情報)
21.広瀬叔功
【生年月日】1936/08/27
【通算成績】RCWIN 24.72 oWAR 55.7 通算中堅守備得点+208.7
【出身地】広島
【在籍年】1955~1977
【解説】
野村曰く「史上最高の身体能力を持つ男」。この人の卓越した運動神経を示したエピソードは枚挙にいとまがないで。ショートとしては下手糞やったけどセンターにコンバートして覚醒。通算盗塁成功率.829の記録は未だ破られてへん球史に残るリードオフマンや
>>32
一応まだ20代やで(小声)
22.長谷川繁雄
【生年月日】1932/10/02
【通算成績】RCWIN 9.64 oWAR 15.2
【出身地】広島
【在籍年】1956~1961
【解説】
鶴岡と同郷・後輩の縁を利用して南海に入団。当時綽名された「400フィート打線」の五番打者として1959年には打率3割をマーク、チームの日本一に貢献したで
23.穴吹義雄
【生年月日】1933/05/06
【通算成績】RCWIN 5.14 oWAR 13.9
【出身地】香川
【在籍年】1956~1968
【解説】
六大学のスター選手として2季連続首位打者に輝き鳴り物入りで南海に入団した。入団経緯の札束合戦を描いたノンフィクションは映画化され『キネマ旬報』のベスト・テンにも入ったで期待に応えるほどの働きはプロでは見せられへんかったけど人の好さから球団に重宝されコーチを歴任。1983年からは3年間南海の監督も務めたで
24.三浦清弘
【生年月日】1938/09/02
【通算成績】RSWIN 6.45 通算132勝104敗
【出身地】大分
【在籍年】1957~1972
【解説】
杉浦、皆川、スタンカの陰に隠れ地味やったけど南海では16年もの間投げ続け先発リリーフお構いなしに使いつぶされとった、1965年には最優秀防御率のタイトルも獲得しとる。退団後は曾根崎新地でフグ料理店を経営しとったみたいや
25.杉浦忠
【生年月日】1935/09/17
【通算成績】RSWIN 26.47
【出身地】愛知
【在籍年】1958~1970
【解説】
高校時代は無名やったけど明治に入りアンダースローに転向して覚醒。六大学通算36勝をマークして南海に入団。1年目からエースとして君臨し、2年目にはシーズン38勝、防御率1.40、奪三振336を記録。あらゆる投手タイトルを総なめしたで、あのオッチをして「杉浦さんのいない名球会に価値はない」と言わしめた野球史に残る不滅の存在や
26.森中千香良
【生年月日】1939/10/20
【通算成績】RSWIN -2.78 WAR 11.2
【出身地】奈良
【在籍年】1958~1966
【解説】
南海の名選手は六大学卒か高卒テスト入団かどっちかの極端な差があったが森中は後者の方1年目は選手登録すらさせてもらえへんかったけど奮起し1963年には最高勝率のタイトルを獲得。大洋に移籍後も尾張久次スコアラーから拝借した「尾張メモ」を活用。移籍1年目に巨人から7勝を挙げて「巨人キラー」と呼ばれたで
27.ジョー・スタンカ
【生年月日】1931/07/23
【通算成績】RSWIN 5.61 WAR 22.7
【出身地】アメリカ合衆国
【在籍年】1960~1965
【解説】
日本のプロ球団に初めて加入した3Aクラスの投手。スピードは大したことなかったものの右打者の胸元をえぐるシュートを武器にして1年目から投手の柱として活躍し、1964年の日本シリーズでは3完封の偉業をやってのけ外国人初のシリーズMVPに輝いたで。せやけど長男が自宅風呂場でガス事故死してもてその後遺症から帰国を決意。この年のスタンカ以降ホークス外国人投手の2桁勝利は2009年のホールトンまで現れへんかった
28.バディ・ピート
【生年月日】1925/04/23
【通算成績】RCWIN 4.96 oWAR 9.7
【出身地】アメリカ合衆国
【在籍年】1961~1963
【解説】
1961年南海ホークスに初の外国人打者として入団。年齢は既に30代後半やったけど2年連続20ホーマーを放つなど主軸として活躍したで。「人生はいつもハッスルしていなければならない」が口癖で「ハッスルおじさん」と言われとったそうや
100万ドルの内野陣好き
400フィート打線大好き
杉浦スタンカ皆川野村広瀬いたらそら強いわ
>>42
昔の南海はキャッチフレーズも優秀やな
何で人気出んかったんやろ(すっとぼけ)
29.小池兼司
【生年月日】1939/02/05
【通算成績】oWAR 15.0 通算遊撃守備得点+174.8
【出身地】静岡
【在籍年】1961~1974
【解説】東都大学リーグでの実績をひっさげ南海に入団。広瀬からショートのポジションを奪い連続守備機会無失策記録を打ち立て4年連続でベストナインにも選ばれとる。引退後もコーチやスカウト・編成部長を歴任して低迷する晩年南海を必死で支えとった
30.ケント・ハドリ
【生年月日】1934/12/17
【通算成績】RCWIN 6.91 oWAR 10.7 通算一塁守備得点+25.3
【出身地】アメリカ合衆国
【在籍年】1962~1967
【解説】
MLBで2桁本塁打経験者の肩書を持ち南海に入団。日本でも外国人選手として初の通算100本塁打を達成するなどパワーは健在やったで。日本シリーズでも2度のサヨナラ本塁打を放つなど勝負強さもあったで
31.村上雅則
【生年月日】1944/05/06
【通算成績】RSWIN -2.15 WAR 11.5
【出身地】山梨
【在籍年】1962~1963、1966~1974
【解説】
日本人初のメジャーリーガー。一時はクローザーも任されるほどの活躍を見せ、ウィリー・メイズからはパーティにも招待されるほど気に入られたそうや、日本では期待されたほどの活躍はできへんかったけど「クレメンテから三振を奪い、コーファックスからヒットを放つ」日本人の貴重さは数字以上の意味を持つで
マッシーこないだラミちゃんと一緒にいたの福島さんのTwitterにあったな
まだまだ元気そうや
32.国貞泰汎
【生年月日】1944/01/01
【通算成績】.267 45本 228打点
【出身地】広島
【在籍年】1962~1969
【解説】
背を丸めお尻を突き出すクラウチング打法を取り入れた最初の日本人の1人や。選手会の納会でゴリラの真似をして歩く姿で人気をさらった南海の宴会部長やな。広島に移籍しても活躍し山本浩二や衣笠等若手選手の刺激になったそうやで
33.桜井輝秀
【生年月日)1948/04/12
【通算成績】oWAR 7.6 通算二塁守備得点+15
【出身地】兵庫
【在籍年】1967~1982
【解説】
数少ない淡路島育ちのスター選手や。1971年からセカンドのレギュラーを勝ち取り2年連続ダイヤモンドグラブやベストナインにも選ばれとる。派手なプレーはないけど打者に応じた適切なポジショニングで屈指の理論派であるブレイザーコーチの信頼も高かったで
ノムさんの本読むと南海の歴史とパ・リーグの歴史知れるからおすすめや
34.島野育夫
【生年月日】1944/03/30
【通算成績】.252 17本 149打点 ダイヤモンドグラブ賞3回
【出身地】栃木
【在籍年】1968~1975
【解説】
元々は中日の選手やったけど中日では芽が出ず南海にトレードで入ってきて覚醒。リードオフマンとして9試合連続盗塁を果たすなどチームにとって欠かせへん存在になったで、引退後はコーチとして癖盗みの名人として活躍。「ワシが育てた」の参謀として中日・阪神の選手の緩衝材になっとった
35.西岡三四郎
【生年月日】1949/04/27
【通算成績】RSWIN 3.93 WAR 16.4
【出身地】兵庫
【在籍年】1968~1975
【解説】
同じ淡路の洲本実業出身で桜井の1個上の投手や。速球がナチュラルスライダーになる癖球でそれを武器に相手を打ち取ってた。一時は開幕投手も務めるほどやったけど例の野村の嫁の「公私混同」問題をノムさん本人に問い詰めた理由からトレードに出されて終わってしもた可哀想なお人や
36.藤原満
【生年月日】1946/09/18
【通算成績】oWAR 12.5 AS5回
【出身地】愛媛
【在籍年】1969~1982
【解説】
プロボクサー由来の「チャイ」の愛称で親しまれた名サードや。サインを絶対に断らないなど当時としてはファンサもスバ抜けて良かったで。ベストナインにダイヤモンドグラブ、オールスターMVPにも輝いとる。引退後は九州に飛び解説者としてKBCの看板になっとる
37.クラレンス・ジョーンズ
【生年月日】1941/11/07
【通算成績】RCWIN 8.33 oWAR 11.0
【出身地】アメリカ合衆国
【在籍年】1970~1973
【解説】
低打率で三振が多く「アメリカ製扇風機」と揶揄されとったけど5年連続30本塁打を放つなど長打力は本物やった。せやけど監督のノムさんからは守備力のなさを嫌われて近鉄に放出。そこで本塁打王2回を放つなど南海以上の活躍を見せてしもた。アホな事をしたもんや
38.佐藤道郎
【生年月日】1947/05/05
【通算成績】RSWIN 7.43 WAR 20.8
【出身地】東京
【在籍年】1970~1978
【解説】
東都大学リーグMVPの実績をひっさげ鳴り物入りで南海入り、1年目からリリーフの中軸に抜擢されチームトップの18勝、最優秀防御率のタイトルを獲得したで。73年のプレーオフでは2勝しシリーズMVPにも輝いとる。引退後は緩急の重要性を説いた独特の指導法でコーチを歴任。数多くの投手を躍進・再生させとる
39.門田博光
【生年月日】1948/02/26
【通算成績】RCWIN 47.98 oWAR 64.1
【出身地】奈良
【在籍年】1970~1988,1991~1992
【解説】
野村兼任時代は野村の前の3番を打ち、野村が追放されてからは名実ともに南海の顔になった「小さな巨人」や。若い頃はライトの好守で知られる中距離打者やったがアキレス腱断裂で走力が失われて以降ホームランバッターに転身。指名打者制度を用いて3度の本塁打王に輝いたで。40歳過ぎても一流であり続けた息の長さも特筆モノや
40.江本孟紀
【生年月日】1947/07/22
【通算成績】RSWIN 3.79 WAR 14.1
【出身地】高知
【在籍年】1972~1975
【解説】
今では口やかましいオッサンでしかないけど、現役時は間違いなく優れた長身エースやった東映では敗戦処理やったけど南海に来て「野村再生工場」の指導を受け覚醒。2年目から16勝を挙げ1973年のプレーオフでは胴上げ投手になるなど才能の片鱗を見せとった。せやけど例の「公私混同」問題を直訴しノムさんの怒りを買い阪神にトレードさせられてもた
41.片平晋作
【生年月日】1949/08/05
【通算成績】RCWIN 0.42 oWAR 3.9
【出身地】大阪
【在籍年】1972~1981
【解説】
高校時代から王貞治にあこがれ「一本足打法」をわが物とした希少な存在や。ユニフォームの着こなし方まで真似しとったみたいやで。入って当初はぱっとせんかったけど1979年にはリーグ5位の.329をマークし翌80年には自己最多の21本塁打をマークするなどやっと大成しかけとった。せやけど時のブレイザー監督と対立して西武にトレードへ放出。勿体無い
42.定岡智秋
【生年月日】1953/06/17
【通算成績】oWAR 3.7 通算遊撃守備得点+118.2
【出身地】鹿児島
【在籍年】1972~1987
【解説】
定岡3兄弟の長男。「負け犬サダ」のアニキや。遠投120Mを超す「バカ肩」で鳴らし、ブレイザー仕込みの打者や配球でポジショニングを変える頭脳プレーを兼ね備え低迷期南海のザル守備を何とか繋ぎ止めとった
43.山内新一
【生年月日】1947/12/03
【通算成績】RSWIN -1.77 WAR 22.6
【出身地】島根
【在籍年】1973~1983
【解説】
山内トリオの一人目や。入団は巨人やったけど力を発揮できず南海に移籍。ノムさんの「お前はコントロールで20勝しろ」を胸に刻み外角へのスライダーを武器にする技能派として大成した。約束通りシーズン20勝を2回達成したのは立派やな
44.河埜敬幸
【生年月日】1955/04/18
【通算成績】oWAR 13.3 通算二塁守備得点+67.8
【出身地】愛媛
【在籍年】1974~1989
【解説】
河埜兄弟の弟や。アニキはショートやけど弟はセカンドやった。77年から桜井に代わりレギュラー獲得。ベストナインやゴールデングラブには縁がなかったけど2度の全試合出場等故障が少ないタフネスぶりと攻守交替の時にも全力疾走する生真面目さで才能の欠如をカバーしとった
45.藤田学
【生年月日】1955/05/09
【通算成績】RSWIN 1.50 WAR 15.5
【出身地】愛媛
【在籍年】1974~1986
【解説】
高校時代は西本聖と投げ合った経験もある。アホでサインが覚えられずノムさんの下では冷遇されとったけど江本や西岡等主力投手がごっそり抜けたことをあり76年から先発ローテ入り。馬力あるストレートとブレーキの利いたカーブで2年連続16勝を挙げる等一時はエースやった引退後も投手・ブルペンコーチとして福岡移転後のホークスを支えとったで
46.新井宏昌
【生年月日】1952/04/26
【通算成績】RCWIN -0.17 WAR 14.4
【出身地】大阪
【在籍年】1975~1985
【解説】
2000本安打達成者やけど現役時代よりもコーチ時代のイチローを見出した実績で評価されているお人やな。そやけどノムさんが見出した数少ない打者でもあるで。1979年には打率.358をマークし1981年からは2年連続3割打っとる。せやけど真価を発揮したのは85年オフに近鉄へトレードされてからやったな
この人に井上と笹川の面倒見てもらいたかったわ…
47.金城基泰
【生年月日】1977~1984
【通算成績】RSWIN 6.24 WAR 12.8
【出身地】大阪
【在籍年】1977~1984
【解説】
既に広島でシーズン20勝を挙げる活躍を見せ取ったけど古葉監督との確執から南海へ放出。当初は先発やったけど移籍2年目にリリーフに回されてから復活したで。1979、翌80年と2年連続で最優秀救援投手に選ばれとる
48.カルロス・メイ
【生年月日】1948/05/17
【通算成績】RCWIN 6.55 oWAR 10.2
【出身地】アメリカ合衆国
【在籍年】1978~1981
【解説】
MLBで長年レギュラーだった実績をひっさげ入団。加入1年目から放出した柏原の後を埋め更に尻上がりに調子を上げよった。チームが暗黒に転げ落ちる中で最大の希望やったんちゃうかな。主砲の門田さんも絶賛しとったで
49.山内孝徳
【生年月日】1956/08/05
【通算成績】RSWIN -6.23 WAR 23.7
【出身地】熊本
【在籍年】1981~1992
【解説】
スライダー、シュートを武器に7年連続2桁勝利を挙げる等エース格として働いとった。1988年オフに巨人の中畑とのトレード話が持ち上がるも拒否して新天地の福岡で投げる覚悟を決めたホークス愛の持ち主や。引退後も福岡でタレントやパーソナリティとして活躍しとる
MXの居酒屋解説でおなじみ
50.山内和宏
【生年月日】1957/09/01
【通算成績】RSWIN -3.23 WAR 23.3
【出身地】静岡
【在籍年】1981~1990
【解説】
大学中退後フリーター生活を経て社会人野球に加入後プロへ入団した経緯は落合と一緒やな同期入団の山内孝徳とは苗字・成績に限らず口髭まで一緒やったから見分けがつかへんかったで引退後はビル管理会社の経営をしとるみたいや
51.山本和範
【生年月日】1957/10/18
【通算成績】RCWIN 12.65 WAR 22.9
【出身地】福岡
【在籍年】1983~1995
【解説】
高卒からドラフトで近鉄に入団するも6年で戦力外通告。バッティングセンターで働きながら練習して再起を目指してたところに穴吹監督から誘われて南海入団。チームの主力として暗黒ホークスを引っ張っとったで、94年オフには年俸2億円プレーヤーになるも翌95年右肩脱臼で戦線離脱の後2度目の解雇。再度近鉄に誘われて翌年福岡ドームのオールスターで決勝ホームラン、福岡ドームの引退試合でも篠原から逆転満塁弾。ドラマのような野球人生やった
52.岸川勝也
【生年月日】1965/04/24
【通算成績】RCWIN 1.93 oWAR 7.0
【出身地】佐賀
【在籍年】1984~1994
【解説】
高校時代通算46本塁打の実績をひっさげ入団。長距離砲として期待されるも期待を裏切りレギュラー定着するのは福岡移転後やった。1989年からは3年連続20本塁打を記録しついに大成するかと思われたがダイビングキャッチによる半月板の損傷により成績が急落。最後まで期待されたほどの成績はあげられへんかった
横浜で引退したのはあまり知られていない人やね
53.加藤伸一
【生年月日】1965/07/19
【通算成績】RSWIN 0.08 WAR 15.7
【出身地】鳥取
【在籍年】1984~1995
【解説】
鳥取県の高校生として史上初のドラフト1位指名を受け入団。1年目からリリーフで投げ続け5勝4敗4S、防御率2.76と将来を大いに期待されたが右肩の故障が頻発して安定して投げられず1995年に遂に戦力外通告。その後テスト入団で入った広島やオリックスで復活されたことが痛かった
98年も戦力だったのに投手の広島が金無いせいでクビという悲劇
54.佐々木誠
【生年月日】1965/10/03
【通算成績】RCWIN 4.99 WAR 17.4
【出身地】岡山
【在籍年】1984~1993
【解説】
ドラフト6位と入団時はさほど期待されてなかったが長池コーチの厳しい練習が功を奏し開花1988年日米野球でハーシハイザーから本塁打を打ったことで球団の注目を集め新ユニフォームの写真を用いた垂れ幕広告が博多駅に飾られるほど期待を集めていた。1992年には首位打者と盗塁王のタイトルに輝き「メジャーに最も近い男」と評されたが翌93年から成績が低下。西武にトレードに出されるも遂に全盛期には戻らなかった
55.湯上谷宏
【生年月日】1966/05/03
【通算成績】oWAR 9.5 通算二塁守備得点+46.6
【出身地】富山
【在籍年】1985~2000
【解説】
ロッテの石川歩が出てくるまでは「富山県史上最高の選手」と呼ばれていた男(レベル低っ)右脛骨の骨折もあり台頭は遅れたが1990年からセカンドで3年連続全試合出場を果たす。成績が劣化してからもユーティリティプレイヤーとして2000年までプレーしとったで
56.トニー・バナザード
【生年月日】1956/08/24
【通算成績】RCWIN 5.96 oWAR 11.0
【出身地】プエルトリコ
【在籍年】1988~1990
【解説】
非常に気性が激しく数々の乱闘騒ぎor未遂を起こしたがシュアなバッティングを披露し1年目から28試合連続安打を記録するなど安定感に優れていた。しかし3年目に新監督の田淵幸一と対立して干されてしまう。引退後はメッツのGM補佐に就任するもマイナー選手への暴言等が取り沙汰され解雇されてしまう等相変わらずのお騒がせぶりを見せている
57.吉永幸一郎
【生年月日】1969/05/01
【通算成績】RCWIN 12.26
【出身地】大阪
【在籍年】1988~2000
【解説】
城島の陰に隠れているが捕手としては彼もかなりの打撃力を有していた。1994年と96年にそれぞれベストナインを獲得。96年に膝を故障してからは正捕手の座を城島に譲るも97年には指名打者として.300 29本を打つ。捕手としては今一つだっただけに早めにコンバートできなかったのが惜しまれる
雨天ノーゲームで30本塁打逃したんよな
あとダイエーが強くなって観客増えたらやりづらくなったとかいう
58.村田勝喜
【生年月日】1969/09/18
【通算成績】RSWIN -0.14 WAR 13.5
【出身地】石川
【在籍年】1988~1993
【解説】
ドラフト下位入団ながらもチームの事情もあり高卒1年目から投げさせてもらい、2年目には7勝を挙げ新エースと目される。91年からは3年連続2桁勝利を挙げる等順風満帆な野球人生だったが何故か西武にトレードされたことで成績が急落。97年に引退し現在は福祉関係NPOの役員として活動している模様
59.大道典良(典嘉)
【生年月日】1969/10/28
【通算成績】RCWIN -0.26 oWAR 6.1
【出身地】三重
【在籍年】1988~2006
【解説】
規定打席に到達したのは97年のみなので統計上の数値は低いが、「代打の神様」としてファンからの熱い支持を得た選手だった。チームが強くなってからも1軍に残り続けていたが06年オフについに戦力外通告。OH氏の計らいにより巨人に無償トレードという形で現役を続けさせてもらい1軍生活22年のキャリアを全うした
60.村松有人
【生年月日】1972/12/12
【通算成績】oWAR 6.1 通算左翼守備得点+57.3
【出身地】石川
【在籍年】1991~2003,2009~2010
【解説】
ドラフト下位指名ながらも1995年に3割30盗塁を放ちチームのリードオフマンに定着2003年にはサイクル安打を達成するなど長くチームで活躍していたがFA宣言してオリっクスに移籍。アテネオリンピックの日本代表にも選ばれた
61.若田部健一
【生年月日】1969/08/05
【通算成績】RSWIN -2.93 WAR 13.3
【出身地】神奈川
【在籍年】1992~2002
【解説】
東都リーグMVPの実績をひっさげ4球団競合の末ホークスに入団。1年目はいきなり二桁勝利を挙げる等期待に応えるもその後成績が低迷。FA宣言して横浜に移籍するも調子は改善せず入団時の期待に見合った働きは最後までできなかった。でも長女はHKTに入れる事が出来たのが救い
62.浜名千広
【生年月日】1969/11/11
【通算成績】oWAR 6.9
【出身地】京都
【在籍年】1992~2001
【解説】
「アマチュアナンバーワンショート」との期待をかけられ入団。非力だったがバントの名手として2番打者に定着。オールスターにも3回出場した
63.秋山幸二
【生年月日】1962/04/06
【通算成績】RCWIN 2.10 WAR 14.9
【出身地】熊本
【在籍年】1994~2002
【解説】
根本隆夫主導の大型トレードでダイエーに移籍。「勝ちたい」という意識が薄い当時のダイエー選手に喝を入れ背中でチームを引っ張るリーダーとして牽引。1999年のリーグ優勝の立役者となり、同年の日本シリーズではナゴヤドームの右翼フェンスによじ登りキャッチするスーパープレーでチームの勝利に貢献しシリーズMVPを勝ち取ったで
この球団だけ語れることが多すぎや
確かにチーム成績はもろにジェットコースターやね
64.小久保裕紀
【生年月日】1971/10/08
【通算成績】RCWIN 20.12 oWAR 38.8
【出身地】和歌山
【在籍年数】1994~2003,2007~2012
【解説】
青山学院を初の大学日本一に導く快挙を成し遂げ鳴り物入りでホークス入団。いきなり2年目には本塁打王を獲得するなどチームの主砲として長く活躍する。しかし03年のオフに突如移籍志願しフロントと対立。無償トレードで巨人に移籍する。だが結局小久保加入後の巨人はチーム崩壊を起こし3年後FAで帰ってきた、工藤退任後は間違いなく監督になるだろう
むしろ小久保がいなかったらあの時の巨人はもっとヤバかったんだよなぁ
小久保が二岡や阿部を清原軍団から守った
>>92
別に小久保自身が起こしたとは書いとらん
65.吉田修司
【生年月日】1966/11/29
【通算成績】RSWIN 4.15 WAR 9.8
【出身地】愛知
【在籍年数】1994~2006
【解説】
巨人に1位指名されて入団するも芽が出ず94年シーズン途中にトレードでホークスへ移籍移籍後も当初は結果が出なかったが97年に左のリリーフとして開花。以後6年連続50登板する等タフネスぶりでチームを支えた
【生年月日】1963/05/05
【通算成績】RSWIN 6.54 WAR 18.4
【出身地】愛知
【在籍年数】1995~1999
【解説】
根本の誘いに応じ94年オフ西武からFA移籍。96年には奪三振王、99年にはMVPに輝き引き続きエースとしてチームを支えた。99年の日本シリーズでは第1戦にシリーズ新記録となる13個の三振を挙げて完封しチームの日本一に貢献。その後また巨人にFA移籍するも2015年に監督復帰、4年連続日本一を果たす大監督になった
こいつ現役時代含め日本一達成しすぎや
>>95
こいつより日本一達成しとるの西武時代の上司の森さんしかおらへんもん、テッツさえ抜いてもた
67.城島健司
【生年月日】1976/06/08
【通算成績】RCWIN 14.45 oWAR 38.2
【出身地】長崎
【在籍年数】1995~2005
【解説】
デビュー当時はキャッチング能力が低く捕手としての評価は低かったが、工藤や先輩等のアドバイスのおかげで成長。ベストナイン6回、ゴールデングラブ8回を受賞するパ・リーグの顔に成長した、2005年オフにはMLB挑戦を果たし投手天国のセーフコを本拠地にしながらシーズン18本塁打を達成。引退後は趣味の釣りに興じていたが現在はアドバイザーという形で復帰しとる
68.斉藤和巳
【生年月日】1977/11/30
【通算成績】RSWIN 10.96 WAR 20.6
【出身地】京都
【在籍年数】1996~2010
【解説】
入団当初は当時のカタカナブームから「カズミ」という登録名だったが後に本名に戻るルーズショルダーに苦しみなかなか開花できなかったが2003年に遂に殻を破りシーズン20勝達成、あらゆる投手タイトルを総なめした。その後も活躍を見せていたが2007年に右肩を故障、ついに最後まで帰ってくることなく現役を退いた
ピノ大好きおじさんすこ
69.松中信彦
【生年月日】1973/12/26
【通算成績】RCWIN 40.05 oWAR 49.3
【出身地】熊本
【在籍年数】1997~2015
【解説】
社会人時代からオリンピックで全日本の4番を担うほど活躍し逆指名でホークスに入団。当初は木製のバットに苦しむもすぐに才能を開花させ2004年には「最後の三冠王」を達成する。05年は二冠王、06年は首位打者とパ・リーグ最強打者の貫録を見せていたがこの翌年から故障で成績が急落。上の斉藤同様「プロリハビラー」としてチームの不良債権化していき遂に15年オフに戦力外となり引退した
70.柴原洋
【生年月日】1974/05/23
【通算成績】oWAR 15.7 通算右翼守備得点+56.8
【出身地】福岡
【在籍年数】1997~2011
【解説】
「福岡六大学のイチロー」と称されプロ入り。二年目からベストナインに選ばれるなど将来を期待されていたがチーム層の厚さと故障の多さが仇となり期待に見合った数字は最後まで残せなかった
>>100
忘れとった、後で追加しとくわ
71.篠原貴行
【生年月日】1976/09/07
【通算成績】RSWIN 5.43 WAR 10.1
【出身地】福岡
【在籍年数】1998~2009
【解説】
入団当初はほぼ速球一本槍で活躍。2年目には最終戦まで14勝無敗の離れ業を演じチームの日本一に大きく貢献した。その後も2003年にオールスター出場する等投げ続けていたが故障のため2004年から登板数が激減、09年に戦力外通告後は横浜に移籍し11年に67登板防御率1.84と復活を遂げた
割りかし有能コーチだっただけにどこか取らんかな
72.ロドニー・ペトラザ
【生年月日】1969/12/28
【通算成績】防御率2.99 117S
【出身地】アメリカ合衆国
【在籍年数】1999~2002
【解説】
当初は先発要員やったが尾花コーチの助言でクローザーに転向。いきなり27S、防御率1.98をマークし、リーグ優勝と日本一の胴上げ投手になったで。その後も活躍し続けとったけど02年オフに解雇、読売が拾ったけどメッタメタに打ち込まれてすぐにまたクビになってもた
2002年ですでに怪しかったとはよく聞くわね
73.川崎宗則
【生年月日】1981/06/03
【通算成績】oWAR 25.2 通算遊撃守備得点+27.5
【出身地】鹿児島
【在籍年数】2000~2011,2017
【解説】
「薩摩のイチロー」の愛称を与えられ地元九州の球団に入る。4年目に打力に難のある鳥越に代わってレギュラーを奪取。以後不動の2番バッターとしてチーム一の人気選手になり女性ファンが球場にようさん来るようになったわ。MLBに移籍後は「陽キャ」にキャラチェンジしてチームメートに溶け込む事に成功。引退後は台湾で客員コーチになったやで
74.ペドロ・バルデス
【生年月日】1973/06/29
【通算成績】RCWIN 7.47 oWAR 12.5
【出身地】プエルトリコ
【在籍年数】2001~2004
【解説】
来日1年目から活躍して「恐怖の二番打者」と恐れられたで。03年には井口、松中、城島と「100打点カルテット」を形成、中長距離打者として安定した働きぶりやったけど走塁面で怠慢プレーが多くなり首脳陣に嫌われ解雇されてしもた、勿体無いわ
75.杉内俊哉
【生年月日】1980/10/30
【通算成績】RSWIN 19.00 WAR 35.0
【出身地】福岡
【在籍年数】2002~2011
【解説】
小柄で速球自体は早くないけど球持ちの良さとストレートと同じ振りで投げられるチェンジアップを武器にチームのエースに台頭。沢村賞1回、最多奪三振3回のパを代表する投手に成長したで、でも11年のオフに球団と契約更改で揉めて突如福岡から失踪、現在も行方不明や
引退直後に福岡に来たんだよなぁ
76.新垣渚
【生年月日】1980/05/09
【通算成績】RSWIN 1.35 WAR 11.0
【出身地】沖縄
【在籍年数】2003~2014
【解説】
史上初の甲子園で150kmオーバーを出した投手として注目され1度はホークスの使命を断るも大学卒業後自由獲得枠で入団。1年目から先発ローテに定着し2年目には最多奪三振のタイトルを獲得。その後も2006年までは活躍したが2007年にシュートを覚えてからコントロールが悪化空前絶後のシーズン25暴投を達成し以後暴投をするピッチャーは「ARAKAKI」と呼ばれるようになった、以後も成績は低下し続け2016年に引退
オリックスの指名やで(小声)
>>110
せやか、すまんな
77.和田毅
【生年月日】1981/02/21
【通算成績】RSWIN 20.01 WAR 38.1
【出身地】島根(?愛知)
【在籍年数】2003~2011,2016~
【解説】
130kmほどのストレートで空振りを取りまくる技巧派の鏡。高校時代から注目され早稲田に進学し52年ぶりの春秋連覇を達成。プロでも1年目から14勝を獲得し新人王を受賞。その後も活躍するもMLB挑戦以降故障がちとなり一時は「終わった投手」扱いされていたがソフトバンク復帰後いきなり最多勝を獲得。年齢は来年で40歳だが未だに衰える気配はあらへん
78.フリオ・ズレータ
【生年月日】1975/03/28
【通算成績】RCWIN 9.05 oWAR 11.0
【出身地】パナマ
【在籍年数】2003(途中入団)~2006
【解説】
「チョップ、チョップ、パナマウンガー!」のパフォーマンスで知られた陽気な中南米人や2003年の途中に加入して怪我で離脱した小久保の穴を埋めその年の日本シリーズでも活躍しチームの日本一に貢献しとる。その後も05年に3割40本も打つほどやったけど複数年契約をフロントがケチり06年オフにロッテへ放出してしもた
「セッタイニナメカメマイ……アキラメナイ!」
79.馬原孝浩
【生年月日】1981/12/08
【通算成績】RSWIN 5.73 WAR 10.1
【出身地】熊本
【在籍年数】2004~2012
【解説】
福岡六大学で無双して自由獲得枠でホークス入り。2年目の途中からクローザーに定着し落差の大きいフォークを武器に通算180Sを挙げたで。せやけど2011年に右肩の故障を患ってからほとんど登板できず寺原のFA移籍の人的補償でオリックスに移籍、そこでも再生できず引退に追い込まれてもた
中日に最も望まれた選手
80.松田宣浩
【生年月日】1983/05/17
【通算成績】RCWIN 16.98 oWAR 40.3 通算三塁守備得点+139.4
【出身地】滋賀
【在籍年】2006~
【解説】
彼をドラフトで指名するためにわざわざ正三塁手のバティスタを解雇させたほどの逸材。入団当初は安定感に欠けとったけどボールを前で捉えるようフォームをいじってから成績が上昇、チームの看板選手に成長したで。「熱男」と呼ばれるパフォーマンスでムードメーカーとしても牽引しとるから大したもんや
81.本多雄一
【生年月日】1984/11/19
【通算成績】oWAR 22.4 通算二塁守備得点+109.7
【出身地】福岡
【在籍年】2006~2018
【解説】
ドラフト下位ながら首脳陣からは何故か即戦力を期待されとった選手や。1年目こそ故障で出遅れたけど2年目からはレギュラーに定着。強肩と広い守備範囲を併せ持ち盗塁とバントでチャンスを広げる典型的な小兵としてチームを陰ながら支えとった。そやけど無意味なフルイニング出場で選手寿命を縮めたのは残念や
82.多村仁志
【生年月日】1977/03/28
【通算成績】RCWIN 4.01 oWAR 10.1
【出身地】神奈川
【在籍年】2007~2012
【解説】
寺原との交換トレードでホークスに移籍。移籍当初は故障癖が顔を出しなかなか力を出せんかったが、2010年遂に復活し.324 27本を放ちベストナインに選ばれた。翌2011年はまたも故障に悩まされるも日本シリーズで活躍しチームの日本一に貢献交換要員の事を考えたら十分お釣りが出る働きをしとる
ワイがパ・リーグ贔屓ホークスになったきっかけの一人や
いつかコーチで帰ってきてや…
83.大隣憲司
【生年月日】1984/11/19
【通算成績】RSWIN 3.12 WAR 12.3
【出身地】京都
【在籍年】2007~2017
【解説】
全日本大学選手権で1試合19奪三振の偉業を成し遂げ鳴り物入りで入団。以降は故障続きで結果を出せんままやったが2012年遂に開花。自身最高の12勝 防御率2.03を残しWBCにも選ばれたが、以降はまた故障地獄。岸を選んだ方が良かったな(白目)
84.長谷川勇也
【生年月日】1984/12/22
【通算成績】RCWIN 11.29 oWAR 24.0
【出身地】山形
【在籍年】2007~
【解説】
同学年の本多同様下位指名から俊足巧打の選手として1軍で活躍した選手や。中々殻を破れずにおったが2013年に.341をマーク。首位打者とベストナインに輝いたで今は加齢により控えに回っとるけど今シリーズでも相変わらず気合の入ったプレーでチームを盛り立てとる
85.森福允彦
【生年月日】1986/07/29
【通算成績】RSWIN 4.42 WAR 7.5
【出身地】愛知
【在籍年】2007~2016
【解説】
高校時代はオーバースローだったがプロ入り後サイドスローに転身。真横に滑るスライダー、シュートを投げ分けゴロを築くスタイルに変えて大成したで。2011年の日本シリーズでは5試合に登板し無失点に抑えチームの日本一に貢献したわ。そやけど13シーズン前のWBCで負った左肩痛が尾を引き徐々に成績が低下巨人にFA移籍しても元に戻らへんかったのは残念や
86.D.J.ホールトン
【生年月日】1979/08/12
【通算成績】RSWIN 2.99 WAR 7.8
【出身地】アメリカ合衆国
【在籍年】2008~2011
【解説】
30㎝もある長い掌を生かし、縦に大きく割れるカーブとチェンジアップで打たせてとる技巧派や。成績は典型的な隔年タイプやったけど2011年には最多勝を獲得。日シリでも第4戦に登板しチームの日本一に貢献したんやで、ほんでもオフの残留交渉が決裂し杉内と一緒に失踪してもた。難儀やな
87.中村晃
【生年月日】1989/11/05
【通算成績】RCWIN 7.25 oWAR 16.2
【出身地】埼玉
【在籍年】2008~
【解説】
帝京高校では1年秋から4番を打ってた逸材で高校通算60本塁打の実績をひっさげ入団いろんな打順で起用される状況判断能力と出塁能力を併せ持ち守備でも広い範囲を守るソツのない選手に成長したで、あとはもうちと自慢の長打力を試合で見せてくれたらええギータのええ擁護役になれるんやけどな・・・
ワイの晃
88.ブライアン・ファルケンボーグ
【生年月日】1978/01/18
【通算成績】RSWIN 5.95 WAR 8.2
【出身地】アメリカ合衆国
【在籍年】2009~2013
【解説】
2Mの長身から投げ下ろす平均150kmオーバーの速球で相手をキリキリ舞いにさせとった1年目からセットアッパーに定着し攝津、馬原と「SBM」を形成。2年目には最優秀中継ぎのタイトルを獲るなど順風満帆やったけど4年目に右肩の張りを訴えてから故障がちになり13年オフに放出されてもた
連投適正×が最大の弱点やったなぁ
89.攝津正
【生年月日】1982/06/01
【通算成績】RSWIN 6.04 WAR 14.9
【出身地】秋田
【在籍年】2009~2018
【解説】
26歳という遅い年齢でプロ入りしたホークスには珍しい選手。ストレートは遅いが抜群のコントロールでコースを突くスタイルで台頭、デビューから2年連続最優秀中継ぎに選ばれる活躍を見せチームの顔になったで、2011年からは先発に転向したけどこれが後年の故障の遠因になってもた・・・
90.今宮健太
【生年月日】1991/07/15
【通算成績】oWAR 13.3
【出身地】大分
【在籍年】2010~
【解説】
高校時代は身長172cmという小柄な体で本塁打を量産しとったがプロに入ってからはアヘ単バント名人にモデルチェンジした選手や。元々投手という特徴を生かし遠投120Mを誇るショートとして広いヤフドを支配しとる
91.内川聖一
【生年月日】1982/08/04
【通算成績】RCWIN 10.86 oWAR 18.8
【出身地】大分
【在籍年】2011~2020
【解説】
ベイスファンとしては未だに絶許やけどチックがソフトバンクに果たした役割は大きいで。大舞台で勝負弱かったチームにクラッチさをもたらしチームを常勝軍団に作りかえ選手に「勝者のメンタル」を植え付けさせたんや、後ファームの食事を改善させたのもチックやで、本人は万年最下位のチームの出身やのに皮肉やわ
辞め方がホンマになぁ…
もうちょっとマシな形でなら良かったんやが
92.柳田悠岐
【生年月日】1988/10/09
【通算成績】RCWIN 37.51 oWAR 51.4
【出身地】広島
【在籍年】2011~
【解説】
高校時代は68kgしかないヒョロガリやったが筋力トレーニングで肉体改造に成功。無謀と思えるアッパースイングで数々の記録を打ち立てたプロ野球を代表するスラッガーになったで。故障癖があるのが難点やけど引退後は落合や松井のようなレジェンドと同列視されて語られとるやろな
93.甲斐拓也
【生年月日】1992/11/05
【通算成績】.231 34本 132打点
【出身地】大分
【在籍年】2011~
【解説】
育成6位指名という低い期待値から「甲斐キャノン」と称される常勝チームの正捕手に成長したのはSBの育成能力の賜物や、今シリーズでも2本塁打を放ちチームの優勝に貢献シリーズでは2018年から10連続盗塁阻止を記録し今まで一度も盗塁を許してへん。後は打撃面で確実性が付いたらとんでもない選手になるやろな
甲斐信者ワイ、甲斐が入ってて大歓喜
リードもめっちゃ良くなったし縦変化多いソフバン投手陣相手の捕球も上手いし走塁もできるしバントも上手いし文句なしやな
94.千賀滉大
【生年月日】1993/01/30
【通算成績】RSWIN 11.57 WAR 20.3
【出身地】愛知
【在籍年】2011~
【解説】
甲斐同様育成枠から不動の大エースにのし上がった「怪物」や。最速161kmのフォーシーム、驚異的な落差を誇るフォークボールは確実にMLBでも通用するやろな。後は故障で劣化せん事を祈る限りや
95.武田翔太
【生年月日】1993/04/03
【通算成績】RSWIN 2.21 WAR 9.9
【出身地】宮崎
【在籍年】2012~
【解説】
ドラフト1位でホークスに入団し、1年目から規定未到達ながら8勝 1.07の素晴らしい成績を残し新人王一歩手前まで行った。その後は故障と制球難に苦しんどったけど2015年に開花勝利数リーグ2位、奪三振数リーグ3位の働きを見せチームの柱になったで。せやけど近年は故障の影響で絶賛劣化中や。千賀依存をなくすためには彼の復活が待たれるな
96.五十嵐亮太
【生年月日】1979/05/28
【通算成績】RSWIN 4.95 WAR 7.4
【出身地】北海道
【在籍年】2013~2018
【解説】
MLBでの失敗を経てホークスに帰国。誰もが不安視しとったけど1年目の途中からクローザーを務めるほどに復活、2年目はホールド王に輝き日本シリーズでは4試合も投げ無失点で切り抜ける活躍を見せたで
97.東浜巨
【生年月日】1990/06/20
【通算成績】RSWIN 5.13 WAR 11.1
【出身地】沖縄
【在籍年】2013~
【解説】
名前の由来は某紳士球団やのうて「なお」と読むんや。東都リーグの通算完封記録を大幅に更新してプロ入り。入団3年はプロの壁にぶつかっとったけど2016年にようやく開花、先発ローテに入るまでに成長し翌17年には最多勝に輝いたで
98.デニス・サファテ
【生年月日】1981/04/09
【通算成績】RSWIN 7.89 WAR 10.6
【出身地】アメリカ合衆国
【在籍年】2014~
【解説】
広島、西武での活躍を経て14年にホークス入り。3年連続セーブ王、MVP1回、シリーズMVP1回と強力投手陣のラスボスとして相手チームの脅威になり続けたで。しかし18年に遂に壊れてからは一度も戦列に復帰できないままや。あと16Sに迫った名球会入りはおじゃんになりそうやな
99.森唯斗
【生年月日】1992/01/08
【通算成績】RSWIN 6.07 WAR 11.1
【出身地】徳島
【在籍年】2014~
【解説】
2018年にケガで離脱したサファテに代わり抑えに就任。7試合連続セーブのプロ野球記録を樹立してあっさり後を埋めよった。父親が漁師で毎日のようにイカや伊勢エビを収穫していた事で鍛えた足腰や腕が投球にキレをもたらした所は大投手の稲尾みたいでかっこええわな
100.アルフレド・デスパイネ
【生年月日】1986/06/17
【通算成績】RCWIN 5.83 oWAR 7.3
【出身地】キューバ
【在籍年】2017~
【解説】
2014年からロッテに在籍していたものの手首の怪我で解雇されホークスに加入。1年目から本塁打・打点の二冠王に輝き、ベストナインにも選ばれたで。19年にも36本を放ちベストナインを獲得。大舞台にも強いし積極的に走るし模範的な外人や
101.井口資仁
【生年月日】1974/12/04
【通算成績】RCWIN 7.03 oWAR 23.4
【出身地】東京
【在籍年】1997~2004
【解説】
東都大学リーグ通算本塁打の記録を塗り替え鳴り物入りでホークスに入団。入団数年は低打率にあえぎ首脳陣の信頼を得られへんかったけどすり足打法に変更して覚醒。MLBに移籍してもCWSをワールドチャンピオンに導いたで、今は幕張の主な模様
歴代ホークス百傑(実際は101人)に選ばれた選手の出身県別内訳
9 米国
8 福岡
7 広島、大阪
6 京都
5 愛知
4 兵庫、大分、熊本
3 神奈川、静岡、愛媛
2 和歌山、佐賀、山形、奈良、鹿児島、島根、石川、沖縄、東京、プエルトリコ
1 山口、香川、山梨、栃木、高知、鳥取、岡山、富山、三重、長崎
滋賀、埼玉、秋田、宮崎、北海道、徳島、パナマ、キューバ
ワイの坊西は?
>>150
おらんで、残念やけどな
西暦による出生年代別内訳
1910s 2
1920s 13
1930s 15
1940s 13
1950s 9
1960s 13
1970s 14
1980s 16
1990s 6
P 43
C 5
1B 6
2B 8
3B 7
SS 6
OF 24
DH 2
>>153
入れようと思ったけど出場機会が少ないのと守備肩の指標が良くないから外してもた
これで終わりや、皆さんおつかれっした
坊西は吉永や城島を影で支えたキャッチャーやのに・・・
まぁ試合出てへんかったけど
試合に出な活躍できへんからな・・・