期待
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1.伊藤庄七(1950~1953途)
通算6年 482試合 .256 372安打 25本
オリオンズ初代背番号1
主に2番打者として1950年のパ・リーグ初代優勝に貢献。翌年には第1回オールスターゲームにも出場した。
2.橋本力(1954~1956)
通算6年 299試合 .224 121安打 12本
伊藤の退団により48番から変更。
将来を嘱望されたものの、山内一弘、田宮謙次郎らを擁するオリオンズのぶ厚い外野レギュラー陣の壁に阻まれ、怪我に泣き引退。
その後、上背の高さと厳つい風貌を活かして、親会社・大映の専属俳優としてデビュー、大魔神のスーツアクターや、「ドラゴン怒りの鉄拳」の悪役としても有名である。
3.平井嘉明(1957~1959)
通算8年 599試合 .202 181安打 0本
関西大学では、村山実、上田利治らの2年先輩として西日本の大学初の全国制覇に貢献。
オリオンズ入団と共に背番号1を背負い、その期待通り1年目からショートの準レギュラーとして一軍に定着。
しかし打撃が伸び悩み、1960年に国鉄スワローズへ放出される。
4.山田潔(1960~1962途)
※コーチ
現役時代は守備の盟主として鳴らしたが、一方打撃は規定打席到達者歴代最低の.107を記録するなどからっきしだった。
コーチとしては名伯楽として様々な球団で手腕を振るった。
通算打率.198←ひっでw
通算出塁率.326←!?
5.八田正(1962途中~1968)
通算17年 1549試合 .263 1148安打 56本
ようやく背番号1らしい実績の選手が出てきた。
1958年、開幕直前の球団合併により大映ユニオンズから入団。
ショート、セカンドのレギュラーとして長きに渡り活躍。
1968年にボーナスの支払いで球団ともめて阪急へ移籍。運営母体は違えど、当時からロッテの首脳陣はシブちんだったようだ。
移籍後は古巣のオリオンズキラーとして球団の3連覇に貢献。
引退後も阪急にスカウトとして残り、新人発掘に尽力した。
6.広瀬宰(1969~1972)
通算13年 1090試合 .224 564安打 35本
ドラフト2位で入団後、山崎裕之の後釜としてショートのレギュラーを掴むも、今ひとつ活躍せず中日→太平洋と球団を転々とした。
西武・田辺徳雄前監督の恩師でもある。
7.ジム・ラフィーバー(1973~1975途)
NPB通算4年 330試合 .263 289安打 60本
ナ・リーグ新人王を獲得するなど、MLB時代の輝かしい実績を引っ提げて1973年にロッテ入団。チームの主力打者として1974年の日本一に貢献。
翌年のシーズン途中に引退し、コーチ専任になるも、後述のバチスタのあまりの期待はずれっぷりに急遽現役復帰。
その後はコーチ・監督として様々な球団を渡り歩き、WBC中国代表の監督も務めた。
8.ラファエル・バティスタ(1975)
NPB通算1年 48試合 .204 28安打 3本
登録名「バチスタ」。
開幕1ヶ月で解雇されたジミー・ロザリオの穴埋めとして、ビル・マクナルティとともに入団。
6月3日の南海戦で初打席初ホームランを放つも、その後は鳴かず飛ばず。結局1年限りでマクナルティと共に御役御免となった。
その後、背番号1は1年の空白期間を経て、日本ハムから移籍してきた高橋の手にわたることとなる。
10.愛甲猛(1981-1995)
投手通算3年 61試合 0勝2敗 6.70
野手通算20年 1532試合 .269 1142安打 108本
甲子園のスーパースターでアイドル的存在であった一方、素行は清田並に悪かった。
1984年にオッチに弟子入りし野手転向。長らくチームの主力打者として活躍する。
引退後はタレントに転身、現役晩年のドーピング使用を告白するなど、「球界の野良犬」として各方面で暴露話を行っている模様。
ちなみに彼のファーストミットは後年福浦和也に受け継がれ、福浦も愛甲のミットを試合で使わなくなってからも同じ型番、デザインのミットを継続して使っていた。
9.高橋博士(1977~1980)
通算18年 1288試合 .254 790安打 60本
日本ハム時代は1試合で全ポジションを守るという珍しい記録を残した選手。ロッテでは捕手兼一塁手として活躍。
1980年にゴールデンルーキー・愛甲猛に背番号1を譲る形で15番に変更。これが縁で愛甲とは引退後も交流があった模様。
11.仁村徹(1996)
投手通算1年 1試合 1勝0敗 0.00
野手通算13年 1068試合 .273 820安打 67本
80年代中日の名脇役。兄の薫もプロ野球選手。
背番号1は1年のみで、翌年には51に変更。
踏ん切りつけさせるために登板させたら勝ち投手になっちゃったって話すき
中日のイメージしかなかったわ
12.南渕時高(1997)
通算11年 824試合 .262 538安打 22本
川崎時代末期~マリーンズ初期にかけてのショートのレギュラー。戦国武将みたいな名前。
1993年には14打席連続出塁を記録するなど、粘り強いバッティングには定評があった。
1996年には初の規定打席に乗るも、翌年には出番が激減、結局は背番号とポジションを小坂誠に譲り渡す形で中日に移籍した。
しかしロッテと中日の間では割と選手の移動が活発である。
13.小坂誠(1998~2005)
通算14年 1371試合 .251 574安打 19本
今もなお球界史上最高のショートとして名前の挙がる選手。
1997年に新人最多記録の56盗塁を挙げ新人王獲得。翌年に背番号1を背負うこととなった。
脚と守備で長い間チームに貢献し、特に守備は城島に「毎試合ヒット1本損をする」と言われるくらい超人的。
実際youtubeのファインプレー集でも城島がやたら被害に遭っている。
もう少し打撃が良ければ史上最強の遊撃手としてメジャーでも通用できた可能性あるよな
>>37
稼頭央でアレなんやし小坂やとあかんそう
源田より小坂っていうやべーのがおったんやでって言われてめっちゃ驚いたわ
結構見始めたの最近なんやな
でも源田も確かにすごいわ
14.大嶺祐太(2007~2009)
通算11年 121試合 28勝34敗 4.73
小坂移籍後、1年間の空白期間を経て、背番号1は「沖縄の星」・大嶺の背中に渡った。
ロッテは当初、ドラ1として福田秀平(SB1位・後にロッテ入団)や前田健太(広島1位・現MIN)らを指名する予定だったらしいが、ボビー・バレンタインの独断により急遽大嶺を指名することとなった。
後のことを考えると福田秀平やマエケンに行っておいた方が絶対良かったと思う。
ちなみに弟は清田と同期入団で、入団前に未成年で飲酒運転を起こすなど何かとアレ。
などがでかすぎる
なお弟
というかお兄ちゃんから優しいオーラ出てるやん
いうてファンサ自体はどっちも神やったで
まあ翔太はファンにタメ口
裕太は敬語使ってた
こういう所から人格の差が出ちゃうんやな
祐太はホンマに報われへんな
よく「同じ兄弟でここまで性格違うのも珍しい」って石垣居る時から言われてたらしいで
マジで祐太ってぐう聖なんやな
地元愛も強いし
15.清田育宏(2010~)
通算14年 919試合 .258 716安打 58本
今代の背番号1。時の人。
2010年には「ラッキーボーイ」としてチームの日本一に貢献。以来5年周期で活躍し、スキャンダルも5年周期で起こす。
今回の事態を重く見た球団は、清田を無期限謹慎処分に課したことを発表。ある意味今後の動きが注目される。
以上や
こうして見ると結構活躍してる方なんやな
ちな猫
南牟礼もロッテ中日やな
千葉出身
でも福浦には歓声なかったんよな
人気はあったけど
ドラフト外から2000本打ったリアルレジェンドやのにな
晩年が酷すぎたからなぁ
福浦はドラフト経由してなかったっけか
10位でドラフト最後の指名やね
それはダイエーヤクルト田畑やないか
福浦はドラ7や
すまん、色々と勘違いしとったわ
どちらかって言うと登場曲の問題や
サブローとかみたいに手拍子から叫べるか否か
サブローに関してはウグイス嬢さんがね…
さ ぶ ろーーーーー
引退試合のサブローーーほんと好き
さあ立ち上がれ
愛するこのチームのため
待っていたんだ君の戦う姿を
輝けサブロー
ワイは大空キャンバスの方がすこ
ボール引き付けて~もすこ
根元やなくて井口やろ…
ほな四銃士や
別に福浦以外にも2000本のためにやってた奴なんてたくさんおるしワイはなんとも思わん
チームも福浦関係なくクソ雑魚やったし
平松の晩年とかもそんなんやった気がする
平松は引退年1勝10敗なだけでその前2年は9勝8勝やから普通に戦力やぞ
通算201勝やから200勝チャレンジで晩節は汚してない
>>116
大昔の記憶だが平松の200勝達成を見た気がするんや
雨天コールドやったんやけど平松のために無理やりやった感がすごかった
1試合勝ち付けるために投げさせたのと記録達成のために無理矢理現役引き延ばしたでは意味合い違うやん
2015までは普通に半レギュラーで戦力やったからな
本当に2000本のために無理矢理試合出てたのは2018くらいやし
>>127
解説古田「サブローは変化球打つの上手いですからね、甘く行かない方が良いですよ」→ボール球のフォークを打ってセンター前同点タイムリー
これかっこよかった
えぇ...似合わへんやろ
個人的には44でいて欲しいわ
落合おるからええやろ