84年の人生を振り返ると「嫉妬にまみれていた」
幼少期の劣等感、そしてノムさんが嫉妬した男とは。
■海水入り酒瓶で素振りユニフォームも買えず
「嫉妬」とはつまり「やきもち」のことだろう。
最近ではやきもち妬く相手もいなくなったが、若い頃はずいぶんと妬いた。
育ちからして他人を羨まざるをえない。思えば俺の人生、嫉妬にまみれていた。
俺が3歳の頃に親父が戦争で死んで、そこからずっと母子家庭。
当時は学校で「父親がいない」ってのは、それだけでもう劣等感の塊だ。
母親が必死になって働いて、それでも生活はカツカツ。
俺も小学3年生から新聞配達をして、
夏はアイスキャンディー売り、冬は近所の子守なんぞをしたもんだ。
子どもはさっさと寝かすに限る。
そうしたらこちらは楽だからね。でも、その親からは怒られたねぇ。
「昼間寝かすから、夜寝ないのよ!」って(笑)。
学校ではいじめられてたよ。
4つ年上が仲間を引き連れて校門の前で待ち伏せして、
教科書をぶちまけたりしょうもないことをしていた。
野球を始めたのは中学3年生から。
でも貧しくってユニフォームなんて買えねえの。
集合写真撮っても俺だけ短パン、ランニング姿。
試合では後輩からユニフォームを借りていた。
実は俺の野球人生は中学で終わるはずだったんだよ。
母親から「中学を卒業したら働いてくれなきゃ困る」
っていわれて。だけど兄貴が
「高校くらい出ていないと将来苦労する。
俺が大学進学しないで働くから」
と後押ししてくれたんだ。もう頭が上がらないよね。
俺と違って頭がいいのに、その言葉どおりに高校卒業後に就職して、
しかもその後、ちゃんと夜学で大学までいったんだから、
俺とはまったく出来が違う。
だいぶ後になって兄貴に聞いたことがあるんだよ。
「俺の野球の素質を見抜いていたのか」って。
そうしたら、
「いい素質しているなとは思っていたけれど、
プロになれるとは夢にも思っていなかった」
とさ。
野球部の顧問にもお世話になった。
金がないから野球ができないというと、わざわざ自宅にまで来て母親に
「野村君は野球の素質がある。
私が父親代わりとして就職まで世話をします」
と直談判してくれた。
こう考えると、俺の野球人生はいつも首の皮一枚でつながっていたんだな。
高校には1日4本しか走らない汽車で登校していたからバイトもできない。
ユニフォームや道具は先輩からの払い下げ。
海水入りの酒瓶をバットにして、必死に素振りした。
高校卒業前に、南海ホークスの入団テストを受けた。
部活の監督が
「お前ならひょっとするとひょっとするぞ」
と大阪までの汽車賃まで貸してくれて、
それで見事受かったんだから、自分でもびっくりよ。
でもこれには後日談があって、実は田舎者ばかり受かっていたんだよ。
キャッチャーはとにかくピッチャーの球を受け続けなきゃいけないから絶対数が必要だ。
あるとき二軍のキャプテンにいつ試合に出られるのか聞いたら、
「がっかりするなよ、後は自分で決めろ。
テスト生から一軍に上がった奴なんて過去にひとりもいねえよ。
お前らは全員ブルペンキャッチャーとして採用されたんだよ」と。
もうショックもショック。田舎者は純粋で忍耐強いだろうと採用されたんだ。
でも、3年後に仲間は全員クビになったが、俺だけ残った。
不思議だ。いまだに理由がわからない。
■王よ、お前さえいなければ……
そんな底辺にいた俺が野球界に残り、
将来を嘱望され華々しくデビューしたのに
その後鳴かず飛ばずで消えていく人間がいる。
その違いは何だろうと考えることがあるんだ。
きっとそれは目標と到達点を勘違いするからなんだよ。
みんなプロの野球選手になりたくて必死の努力をしてくるわけだろう。
そして夢が叶う。でもそれは人生の到達点じゃない。
むしろ出発点だよ。なのにそこで安心して遊びまくってしまう。
■俺の野球人生で数少ない満足の瞬間
そこに金の魔力がくる。
プロ野球選手なんて若くして
尋常じゃない給料や契約金を得て、酒と女を覚える。
夜なんて合宿所に誰もいやしねえ。
俺? 俺は契約金0円のテスト生で、遊びたくても金がねえ。
2年間、背広をつくる金もないからずっと学生服を着ていたくらいだから
「金のある奴はいいなぁ」
と妬みながら、1人黙々とバットを振っていたよ。
俺なんぞは監督が褒めるところがなくて
「よう頑張っとるな」くらいしかいえない。
マメをつくるくらいしか努力のしようがなかったんだよ。
そんな人生に転機が訪れたのは、入団から3年目。
帯同したハワイキャンプで試合に出させてもらえたこと。
理由はなんてことはない、一番手が肩を壊し、
二枚目の二番手がハワイで遊び惚けて、監督が激怒。
「もういい! 野村お前出ろ!」
と投げやりに仰せつかったんだ。
でもそこで大活躍できて運命を変えたんだから、
人生わからないもんだ。
人間、努力をすれば誰かしらが見てくれているもんだとも思ったね。
俺の野球人生で数少ない満足の瞬間がある。
52本のホームランで新記録をとったとき。
「これで俺の地位もあと10年は安泰だ」
と一安心したら、翌年に王(貞治)がその記録を抜きやがった。
表向きはにこやかに接したけど、王、あいつは俺の価値を下げた男よ。
あいつさえ、いなければ……。
ちなみに、オールスター戦で王と戦った数十打席、
俺は1度も王にヒットを打たせなかった。
「王はこう抑えるんだ」
って気概でやったが誰も評価してくれない。なんでやねん。
長嶋? あぁ、あれはもう天才だ。それ以外、何もいうことはねえや。
俺は今、84歳。俺から野球をとったら何も残らない、そんな人生だった。
今思うことは、なんで若い選手たちから
もっと記録が出てこねえんだろうなぁということ。
野球知識も増えて、才能ある選手もいて。
時代的に恵まれすぎているのかな。俺がプロになろうと決意したのが、
小さい頃から苦労をかけてきた母親を楽にさせてやりたかったから。
ハングリー精神は必要だよ。
世のなか「努力=結果」ばかりじゃない。
でも、努力しなけりゃ確実に結果は出ないんだよ。
「この世界は才能。素質だよ。
バット振って一軍になれるなら、みんな一軍になっているよ」
って俺も散々いわれた。
でも「才能がない」ってのは、甘美なる逃げの言葉だ。
それくらいなら、他人を妬んでもその感情を
「なにくそ!」と力に変えるほうが人を成長させるんじゃないかね。
----------
野村 克也(のむら・かつや)
野球評論家
1935年、京都府生まれ。
54年、プロ野球の南海に入団。
70年からは選手兼任監督。
その後、選手としてロッテ、西武に移籍し45歳で現役引退。
ヤクルト、阪神、楽天で監督を歴任。野球評論家としても活躍。
----------
>>3
>長嶋? あぁ、あれはもう天才だ。それ以外、何もいうことはねえや
こーゆとこホント好きだww
こちらもおすすめです
王長嶋の著書には野村の名前はほとんどでてこない
どう考えても野村の著書の方が面白そうだな
野村のことを書いてる杉浦忠の本も面白かったぞ
幸運だったのは入団二年目にウェスタンリーグ始まったことだろうね
イースタンリーグも同年に始まったけど一年やってしばらく中断しちゃったから
あの頃の監督は絶対的権威だから、一選手が気安く話などできない
特に鶴岡は軍隊上がりで超スパルタのカリスマ監督だから、
今のようなフラットな関係など微塵もない
陸軍で若くして二百人の部下を従えていた人で、
軍隊式のトップダウンの訓示や号令ばかり
いくら四番選手でもテスト生上がりの野村は、
ハイといいえくらいしか口を聞かなかったそうだ
鶴岡監督は、選手に挨拶されても完無視。
自軍の選手は絶対に褒めないが、
相手チームの選手は褒める。
とことん自軍の選手には厳しい監督。
当時のパリーグがいかに日の当たらなかったかわかる
金もなかったからな門田がアキレス腱切ったとき
担架すらなくて戸板で運んだんだろ。
そら性格もねじ曲がるわ
>>80
ワンマンオーナーの川勝傳が寵愛してた野村克也を
放逐しなきゃならなくなってそれ以降チームに全く金
を使わなくなったんだよ
1977年まではむしろリッチだった方だ
不遇というよりは良い人間に恵まれたなと思うけどw
兄貴や顧問、監督みんな良い人だな
俺も思った。人に恵まれてるって。
でも野村にも人から良くしてやりたいと思わせる何かがあったんだろう。
いいこというね
何か昔から不思議に愛嬌っていうか
憎めない所あるよねw
ほんと。
兄ちゃんから恩師からいい人に恵まれてここまでこれたのに、
首の皮一枚って。
その上貧乏貧乏言ってるけど、
昭和10年とかの生まれて、高校行けたとかそこそこの家よ。
兄ちゃんのお陰だとしても。
その当時地方の田舎なんか中卒多いよ
王が南海に入団してたら大成してないと思う
王さんが南海に入団してても大きい記録残したんじゃない?
球場狭い、投手はストライク勝負、メディア対応しなくて良い
良い事づくめだよw
荒川さんと出会ってないからなあ
コーチ()なんかで変わらんと思うけど
そもそも打者転向って事なら南海ならなかったかも知れんね・・・
荒川の指導を受ける前の王なんて凡打者だろ
二本足で打ってただろうね
その場合あそこまで打ってたかどうかつーのは興味あるね
「団野村はイケメン、克則は不細工・・・畑が違うわ」と思ってる。
ダンとケニーは伊東芳枝(野村沙知代)の連れ子だね
いま動画でみてもスイングスピードがとんでもなく速くて
すげえのがわかるけどノムさんが657本とか意味不明
くっそしょぼいバッティングホームだし
適当なことを言えば
最近で言ったら山崎武司みたいな感じだったんじゃないかな?
山崎もゆったりとしていてそんなにスイングスピードは速くないし
「なんでそんな打ち方でホームランになるの?」みたいな感じだし。
日本人の成人男性の平均身長が160cmとかの時代に
175cmあってガタイもいいし
まあナチュラルなパワーはあったんじゃないかな?
野村はおかわりタイプだろ
>>26
とにかく手首の返し方が凄く上手くて、
ボールをバットてすくい上げるように
高い打球で本塁打を量産した人だったらしい。
中日時代の落合の打ち方がノムさんに近かったみたいよ?
かねやん曰く沙知代に頼まれて仕方なく獲ったらしい
稲村亜美と同じくらいの肩だろ
脚も遅い
このしょぼい身体能力でどうして657本も打てたのか
>>31
遠投及びあなたの言う身体能力と
ホームランを打つ技術は関連が薄いからじゃね?
下半身の強さと、ボールに力を乗せる技術は最低必要。
遠投の距離は全く関係なさそうです。
関係あるよ
王は投手で肩が強かったし
門田は若い頃は俊足強肩
山本浩二も史上最高の5ツールで強肩俊足
落合は肩と足はなかったけど握力90kgの超怪力
ノムさんにはなにもない
背筋力があった
何かの力がなければとても飛ばせない
本塁打ランキング入らないよ
小学何年生かは忘れたが
当時のプロ選手の背筋力ランキングが
確か小学何年生だかに載ってて
1位野村、2位若松だった
何か子供心にも、このランキングには
痛く感心した記憶あんだよね。。
なるほどなー、みたいなw
若い頃は俊足だったらしい。
それはさすがにないw
ノムさん若い頃足はそれほど遅くはなかったみたいだぞ
入団テストで走塁テストは普通にクリアしたらしいからな
遠投テストは審査する人が多目に見てやるから
線より前に行って投げろと言ってなんとか合格したらしいがw
日経の私の履歴書で読んだから間違いない
安打
1位 張本 勲 3085
2位 野村克也 2901
3位 王 貞治 2786
本塁打
1位 王 貞治 868
2位 野村克也 657
3位 門田博光 567
打点
1位 王 貞治 2170
2位 野村克也 1988
3位 門田博光 1678
歴代2位が多いな
試合
1位 谷繁元信 3021
2位 野村克也 3017
3位 王 貞治 2831
門田、話題にならんね
>>218
「ワンちゃん、ホームランはヒットの延長やろ」
「そうですね、ノムさん」
「監督、王さんまで抱き込んでこんな芝居うってもあきませんよ」
「ワシのやり方に不満のあるやつは手をあげい(まあおらんやろけど)」
「ハイッ!!」
しかし同時期に通算2位と3位がいたんだから南海もたいしたもんだ
もっとも門田さんが量産し始めたのはノムが追放されてからだが
大けがもさることながらカセが外れたのが大きかったんだろうな
それもあるがアキレス腱を切ったことが大きい
もともと俊足攻守の外野手
走らない守れないだから、居直ってホームラン狙いに徹した
地球人最強のクリリンみたいだな
ルーキーたちの年俸
金田正一(国鉄)1950年 120万円 契約金 50万円
野村克也(南海)1954年 8万円 契約金 無し(練習生)
長嶋茂雄(巨人)1958年 180万円 契約金 1800万円
王 貞治(巨人) 1959年 144万円 契約金 1500万円
張本 勲(東映) 1959年 130万円 契約金 200万円
1949年長者番付(当時は収入で発表)スポーツ部門
1位 スタルヒン 46万円
1位 大下 弘 46万円
3位 青田 昇 45万円
現在だと金田のルーキー年俸は、20億円相当
野村の最高年俸は監督兼任の時で、5億円
現在だと育成選手が年俸150億円まで上げた
むちゃくちゃやん
王は甲子園の優勝投手
野村は妬む以前に格が違い過ぎるだろ
王さんって甲子園の優勝投手だったんだ
今知った
春の甲子園
本人は投手でやる気だったが、球団は才能なしということで野手に
漫画で読んだ
>>63
自分でも薄々気付いてたけど
球団から投手の才能ないから野手で行けと言われた時は
相当落ち込んだらしいな。
まあそりゃみんな投手で成功したいと思うわな。
それが人間としての成長に結びつかなかったから、プラマイゼロなのかな
野村の考え方だと
どんな境遇でも同じことだったと思う
野村よりはるかに厳しい境遇の人間は無数にいた
「自分は選ばれた人間」と思い続けてたんだろ
で、その思いがエネルギーになったと
こういうものは生まれ持ってのものだから
努力や根性ではどうにもならない
実はそんなにジェラシー抱いてない。
俺の方が上ぐらいに思ってるし、周りにも
「いやいや、野村さんのが凄いじゃないですか」
と思われたくて言ってる
スポ根漫画のような人生だな
ノムさんモデルで朝ドラやったら面白そう
波瀾万丈だし面白そう
左門豊作は川上哲治
熊本育ちで貧しい子沢山兄弟の長男で
家族のためにハングリーに野球をやると
メガネや見た目も川上がモデル
寮の窓ガラスが割れても付替えてくれずにベニヤを打ち付けてたり、
試合後の食べ物がポテトチップスだけだったり、
門田がアキレス腱断裂しても担架がないから戸板で搬送したり、
ユニフォームは洗うと縮むのが一枚だけだったり、
貧乏エピソードには事欠かない南海に
ハワイキャンプなんぞする金があったのか。
ハワイの費用を捻出するために他のところが削られたんじゃない?w
>>91
1950年代だからなあ。
そもそも海外旅行自体気安く行けない時代だ。
多少コスト削ったところで、
ハワイキャンプの費用は捻出出来ないだろうな。
しかも26日間もいたらしいから。
ちなみに
ハワイで遊び惚けていたという二番手捕手の小辻英雄は
この年のオフにクビになってる。
当時の南海は人気球団で金もあった
水島新司とも疎遠になったんだっけ?
あぶさんにノムの前妻とその子供が出てたから
サッチーが一方的に毛嫌いしてたと聞いたことある
野村克也はメディア出演も積極的にやったからな
そういう意味ではあのいかれた嫁も助力にはなってたな
現役時代は殆ど取り上げられなかったんじゃないか?
あれだけの成績を残したにも限らず
球場はいつもガラガラでそりゃまあ捻くれるだろ
野村はそこんところをとても大切にしていた。
「長嶋や王はいい野球をすれば自然とお客さんは来てくれるくらいに思ってる。
そうじゃないんだ」
って言って、ヤクルト監督時代も選手が
オフシーズンにテレビ等に出て顔を売ることを積極的に勧めていた。
これは大事なことで普及しなきゃ話にならない
いいもの作っても宣伝しなきゃね
森は恵まれた環境に産れたのに子どもの時に家が没落してひねくれた
オレは元から貧乏で向上心しか無かった分オレの方が素直
的なこと言ってたような・・・ ノムさん
特に言語センスが優れてる
監督インタビューが毎晩ニュースに出るんだから異常だったよ
その後を継いだ星野のときにすぐ優勝して世間の人々は星野だけを称賛した
楽天でもそうだけど
やっぱ星野は過小評価され過ぎよ
監督としての値打ちなら星野の方が断然上
>>102
星野時代に、片岡、金本、伊良部、下柳を連れてきたから優勝出来た
フロントを動かせる政治力の違いだろw
阪神を三年連続最下位にしただろw
星野が来ずに野村が続けてたら5年も6年も最下位だったと思う
野村は阪神では赤星だけ
今岡は干したし新庄は出て行った
次の監督に星野を推薦しただけでも凄いと思う。
生え抜きじゃなく、阪神に必要なのは
星野みたいな厳しく、変な癒着の無い人物なのは正しかった。
人生をトータルで考えれば何一つ負けていないだろう
今は逆に野村克也の存在によって
王、長嶋がクローズアップされる逆転現象が起こったんじゃないか
平成の人に王、長嶋と言ってもピンとはこない
ノムさんが「あの人は凄かった」
って讃えたり、貶したりするから、その存在を知るだけ
王って荒川コーチと畳擦り切れるぐらい素振りして
猛練習したってぐらいであんまりエピソード覚えてないな
長嶋は一茂忘れてきたとかいっぱい思い出せるけど
王で思い付くのは鯉が口をパクパクさせてるのみて
「フェ○○オみたいだな」って言ったのと、
江川に対して「おい、嫌な奴が飯食ってるぞ」
っていうクソみたいなエピソードあたりかなぁ
王の練習に関しては
広岡の著書、巨人監督時代に関してはクロマティの著書を読めばいい
>>141
前者くらいは許してやれw
後者は、
王は人格者でもなんでもないと思わせるに足る暴言だが。
青い稲妻(松本匡史)に対して
こいつのそばにいると感電するから
あっちで飯食おうぜって話もある
松本に対する扱いで
中畑のワン公発言が出てきたわけでない?
長嶋は…誰にもわからない
大学時代にメジャーのトレーニングメニュー取り寄せてたとか
長嶋は大学では砂押に鍛えられてるよ
あまりのスパルタぶりに部員が反発するくらい
>>280
砂押は後にスワローズの監督に抜擢されるがあまりの
無知さに呆れ返られた
野球のことなんて何一つ分からず扱いてただけだった
長嶋はプロに入ってからもスランプの時
砂押に教えを乞うてたそうだがな
>>280
大昔読んだ本にかいてあったが、
日々の練習の締めのノックで、
長嶋がエラーすると砂押から「やり直し!」と声がかかったらしい。
もう一本ノックやり直し、の意味ではなく
練習の最初の体操やランニングからやり直し、の意味だと。
スパルタなんてもんじゃねえ。。
もっと凄いのがあって
夜中寮で寝ている部員を叩き起こし
照明も何にもないグランドで月夜の中
猛烈なノックが始まるらしい
王や長嶋が目指してたのはメジャーを意識したベースボール
野球に対する志が違いすぎる
イメージだとそう思い込んでしまうってのはわかるんだが
(あの言動的に)
実際はすげー攻撃的だったりばくち打ちだったりする
走塁とか戦術だったんだけどなあ野村
基本的に戦力足りないチームを任されることが多かったから
意外と奇襲が多いんだよ
>>176
相手に必要以上に警戒させるためにわざとね
ツーランスクイズとかまさにそう
仮に失敗しても相手が意識するようになれば儲けもの
与田が野村の元で選手をやった時に、
「色々やっても上手くいかない時は
何も考えずにズバッとど真ん中に投げて力勝負するのも必要」
と言われて
与田も野村に対しては策士という印象を持っていたので
意外な一面を見たと語ってたな。
ホームスチールを何度も成功させてるんだよね
こんなしゃべりかたはしないよな
関西人だぜ
江夏の投球を解説してたが、
南海で2年間一緒にやってたから、
何を投げたから何をさせたいって、
詳細な事まで考えて投球してたんだな、
と分かるのが凄い。
絶好球見逃しでスクイズ警戒は現在の感覚では
セオリーだけど当時は激賞されるようなことだった
んだなと違う意味で感心した映像だった
ミーティングでは選手に高度すぎる知識を要求してたっぽいんだけどな
エモやんが書いたエピソードで、
ウェストボールとピッチドアウトの違いを述べよなんて問題が出てくるらしい
ちなみに上記の答えは
「ピッチドアウトは明確な目的をもってボールを外す。
ウェストボールは相手が何をやってくるかわからないような場合に
様子見的にボールを外す。
ウェストボールのウェストはwasteで
「浪費する」という意味から来ているから」
だそうだ
みんな子育て失敗してるくせになに偉そうにしとんねん
野村克則はコーチとして引く手あまただし
落合福嗣は声優として立派に活躍してるぞ
なんか奥さんに先立たれるの多いね
監督夫人はストレスの塊
巨人の水原、川上、長嶋監督の嫁は病に倒れた
王と長島の嫁は早死にした
負けはと抗議や嫌がらせの電話や手紙が殺到
監督はグラウンドで汚名を晴らせるけどな
夫人はただストレスを溜めるだけ
長嶋夫人も二度目の監督には猛反対
昔、なんかの番組で引退を決めたときの心情を語ってたな
ベンチで代打は自分だと思ってたら別の若手が指名されて不満を感じた
その代打に出た若手が凡退したときに
「それみたことか」とつい喜んでしまった
で、チームメイトの失敗を喜ぶようでは
もうダメだなと思って引退を決意したとか
細かいところが違うよ、
一死満塁のチャンスで、スタメンだった野村に打席が回ってきたけど
鈴木葉留彦(もう若手ではない)が代打に送られた。
王さんもお兄さんがいてお医者さんだったな
慶応大学附属病院で石原裕次郎の主治医だったんじゃないかな?
王鉄城さんはお亡くなりだね
しかしあらためて
マジンガーか王天上みたいないかつい名前だな
昔はいかつい名前が多いな
医学が未発達で子供のうちに亡くなることも多かったし
戦争中だし、とにかく強そうな名前を
女でも岩子とかな
どちらでも疎まれてたって言うより
鶴岡人脈からの圧力が原因では?
当時としては平均よりはるかに体格いいよな
俺も貧乏で子供の頃腹一杯食った記憶あんまないけど
両親が小さいから160ちょいしかない
やっぱ貧乏でも両親が体格良かったら大きくなるのかね?
この時代の175は今の180以上だからね
てか戦争で死んでたら、恩給とか遺族年金とか支給されてね?
安定した生活に足りるような恩給や遺族年金が支給されたことはないからな。
そも遺族年金が昭和27年度、恩給が28年度まで支給されなかったし。
母親が戦争中にガンになって、まともに働けなかったとか
看護婦だったから、都会に出れば
母子家庭でもそこそこの生活は出来だろうが
病弱でそれも無理だったんだろう
昔凄い記録が作れたのは層が薄かったから
当然いい選手もいたが、
今なら端にもかからないような選手がたくさんいた。
投高打低で打撃が投手の実力と比較してヘボかったんやろ
投手は沢村とかがアメリカ相手でも稀に抑えたりしてたから
>>288
マシンがないから打撃練習はバッピ相手にやるしかない
バッピもチームスタッフじゃなくて現役選手だから
野村克也と榎本喜八はマシンを買って自宅に打撃練習場を作った
この3人の言葉の選び方というか飛び出す言葉が面白い
何か共通点があるんだよなぁ
オシムは東欧の言い回しが含蓄めいて聞こえるだけ
セットでノムさんが受けてた黄金期前の西武球場の思い出。
ノム曰く、それは根本監督の嫌がらせ
野村の西武へのトレードはフロント案件で根本監督の希望ではないと
それで、監督として優勝の経験もあり、
先週としても超一流の大ベテランのノムを根本は煙たがったと
それで、肩の衰えた野村をわざと、クイックのまだ出来ない、
ファームの大きいアンダースローの松沼兄と組ませて、
散々盗塁をされてはじをかかせて、野村に早く辞任して欲しかったと
最後はチャンスでの野村の打席に鈴木葉留彦だか三流の若手を代打に出して、
ようやく野村が引退を決意
新人を除いたら東尾一本柱の当時の西武で何を
言ってるんだノムは
そういえばパリーグを語る上で根本も欠かせないな
なんせ今年優勝を争ったライオンズとホークスの両方を強くした人だ
しかも監督も秋山、工藤と根本チルドレンみたいなもんだな
良いことじゃないか
それもあるが、ノムの言うようなハングリーさの欠如もあるよ
イチローとか、全体のレベルや戦術も向上して、傑出しにくい中でも、
日米で八年連続首位打者で四千本安打。
記録やタイトルに異様に拘る選手が減ったとは思うわ。
今は、勝星が伸びなくても、タイトル取らなくても、
高い年俸を貰えて、昇給もするしね。
ノムはチームが日本一で二冠王の年に減俸提示されて
それが発奮となり三冠王。
「長嶋、犬の散歩」だったとかで
長嶋にはずっと嫉妬してたというのが定説だったけどw
www
ノムさんの努力は勿論だが貧乏ながらも周りの人に恵まれていたんだなと思う。
結果、選手として一流だったし、指導者としても一流だったから、
幸せな野球人生だったんじゃね?
俺は仕事でもうダメだって時にブックオフでノムさんの本をたまたま買って
気持ちが燃えて頑張れた。おかげで今がある。