「あの選手の現役最終年ってどんな感じだったっけ?」
よく野球ファン同士で球場観戦帰りに飲んでいると、そんな話題になる。みんなスター選手の全盛期の活躍はよく覚えている。あのタイトルを獲ったとか、優勝に貢献したみたいな輝かしい経歴の数々。けど、現役晩年。特に「最後の1年」の成績まではほとんど記憶にない。
場合によっては、自由契約後の移籍先で一軍出場のないまま静かにユニフォームを脱いでいたり、引退宣言をしないでひっそり去って行く。まさにプロ野球、男たちの挽歌。連載1回目は、1998年(平成10年)の落合博満のラストイヤーを見てみよう。
というわけで突然ですが、あなたはオレ流・落合の現役最終年の打撃成績を知ってますか?……って間違いなく、合コンで前の席のOLさんに質問したら死ぬほどモテなそうな質問だ。
個人的に落合が巨人を追われ、日本ハムへ移籍したことはもちろん覚えている。97年のオールスター戦では全パの1番打者として打席に立ち、当時17歳だったアイドル・広末涼子の始球式に笑顔で付き合っていた。でも、肝心のシーズン成績はどうだったのか?
◆ オレ流の決断
前年の96年オフ、西武の清原和博が死にたいくらいに憧れた巨人へのFA移籍が秒読み段階に。そうなると一塁のポジションが被る落合はどうするのか?
そのシーズン、43歳の元三冠王は、8月末に死球を受け左手小指を骨折するアクシデントに見舞われながらも、打率.301、21本塁打、86打点、OPS.924と年齢を感じさせない堂々たる成績を残していた。
SMAPの香取慎吾や安室奈美恵が表紙を飾る雑誌『小学五年生』の96年5月号では、唐突に「落合博満vs.ラモス瑠偉」のスペシャル対談が実現。
子どもたちが憧れるイチローとか三浦知良ではなく、唐突に2人合わせて81歳の大ベテラン濃厚対談。ミニ四駆のニューマシーンスクープ記事を楽しむ小学生がついて来れたのかは謎だが、ここで落合は手加減なしのオレ流ガチンコ発言を連発している。
「子供のころから憧れ続けてきた職業につける人間が、この世の中にいったい何人いると思う? オレもラモスもそれを実現している数少ない人間でしょう。
それを考えたら、もったいなくて『オレ、やーめた』なんて言えないもの」
「よく『若手を育てろ』とか『若手を使え』という人がいるでしょう。でも、プロの世界は人に育ててもらうものじゃない。自分で育って、自分で這い上がってくるものなんだ。それだけ厳しい世界なんだ」
凄い、これを読まさせられる『小学五年生』読者のその後の人生は大丈夫だろうか……なんて心配になってしまうほど、
大人の世界の生々しい真実をぶちかますリアリスト落合は、11月28日に「清原と自分の使い方で長嶋さんの悩む顔を見たくなかった」と、ミスターと並んで巨人退団会見を開く。
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◆ 異端児から英雄に!?
その直後に、野村克也監督率いるヤクルトと日本ハムが獲得に乗りだし、当初は同リーグのヤクルト移籍濃厚と言われながらも、12月12日には急転直下で日本ハムの背番号3のユニフォームを着て入団会見。
年俸3億円の2年契約という好条件に加え、大社義規オーナーと上田利治監督が同席する異例の熱気に、11年ぶりのパ・リーグでプレーする主役は「来年、日本一になりますんで」と宣言し盛り上がった。
この時期、メディアはちょっとしたオレ流ブームで、週刊誌でも「リストラに負けない中年の星」のような応援記事が目立つ。
選手会を脱退したり、名球会入りを拒否するなど、ずっと球界の異端児でヒール(悪役)だった男が、43歳にして初めてベビーフェイス(善玉ヒーロー)になった瞬間でもあった。
しかし、だ。自著『野球人』(ベースボール・マガジン社)によると、前年の日本シリーズで左手小指骨折から無理して復帰したため、微妙な体全体のバランスの狂いがあったという。
春季キャンプでは球団人気を上げようとマスコミにも積極的に対応したが、自身の練習量は減ってしまう。
アキレス腱痛もあり満足に走り込むこともできず、さらに春先には珍しく風邪を引いて回復に時間が掛かり、開幕からチームも6連敗と散々のスタート。
4月16日の西武戦では4打数4安打と健在ぶりをアピールするが、その後は途中交代の多い起用法にも戸惑い、調子が上がらず失速してしまう。
終盤には16年ぶりの6番降格、さらに8月22日のオリックス戦で一塁ライナーを捕球した際に左手薬指の脱きゅうで戦線離脱。
移籍1年目の97年は113試合、打率.262、3本塁打、43打点という寂しい成績で終わり、日本ハムも同率4位と低迷。
戦力外通告を受けた選手が「落合さんが来てからおかしくなった」なんつって捨て台詞を残して去るなど、1年前の優勝請負人扱いが嘘のような状況でプロ19年目のシーズンを終えることになる。
◆ 引き際もオレ流
そして迎えた98年。前年に続き、素手でバットを握るこだわりを捨てて左手には手袋をはめ、新たに当時のセ・リーグではほとんどなかったデーゲームにも対応できるよう、サングラスもかけた。
もうなりふり構っていられない。2年契約の最終年、12月には45歳になる球界最年長のベテランは結果を残すしかなかった。
4月4日の開幕戦は西武の若きエース西口文也から意地の3安打猛打賞。だが、時の流れは残酷だ。
どんなスーパーアイドルもやがて歳を取り、おじさんやおばさんになるように、一流のアスリートもいつの日か衰え、終わりは来る。限られた貴重な時間を、演者と観客はワリカンしているわけだ。
4月末にはバットマンの生命線でもある右手親指の付け根部分を痛め一時離脱。復帰後は代打起用も増え、7月以降は首位を走るチームのビッグバン打線の中に、その名はなかった。
落合の現役最後の打席は98年10月7日、千葉マリンスタジアムの古巣ロッテ戦(ダブルヘッダーの2試合目)でのことだ。なおチームは後半戦に急失速し、
当日は西武の逆転優勝が秒読み段階(当時はもちろんCS制度はない)。メディアでは「今季限りの引退」が報じられ、球団からは引退試合の開催を相談され、上田利治監督からは指名打者での先発出場を打診されていた。
このロッテ戦で有終の一発を打てば、12球団すべてから本塁打を放ったことになる記録もかかっていたが、落合はそのすべての申し出を断りベンチスタート。
チームが1対4とリードされた5回表一死、当時の『週刊ベースボール』の写真を確認すると、代打で登場した背番号3は全盛期と同じように素手でバットを握り、神主打法と呼ばれた独特の構えで打席に立っている。
最多勝のタイトルを狙う、20歳年下の相手エース黒木知宏は全球直球勝負。満身創痍の打撃の職人は3球目の141キロのストレートを打って一塁ゴロに倒れる。
19年前に代打出場から始まった25歳の無名のオールドルーキーは、3度の三冠王という前人未到の金字塔を残し、45歳を目前にバットを置いた。
通算2371安打、510本塁打、1564打点の大打者としては異例の引退試合も派手なセレモニーもない静かなラストゲーム。
試合後、千葉マリンで出待ちしていた多くのファンが待つ柵前まで歩み寄ると、淡々と握手を交わして回り、稀代のスラッガー落合博満の「最後の1年」は幕を閉じた。
ひとつの時代の終わりと新たな時代の始まり。ちなみに、落合と同年に日本ハムに入団して、キャンプで緊張しながらもキャッチボール相手を務め、引退の翌99年からその一塁のポジションを継承したのは、ガッツこと小笠原道大である。
(次回、小笠原道大編へと続く)
【落合博満 85年・98年打撃成績】
85年(32歳/ロッテ/推定年俸5940万円)
130試合 率.367 52本 146点 OPS.1.244
※自身二度目の三冠王獲得、得点圏打率.492は日本記録
98年(45歳/日本ハム/推定年俸3億円)
58試合 率.235 2本 18点 OPS.653
※現役最終打席は代打で出場し一塁ゴロ
43歳の成績が化け物すぎるだろ
改めて見るとすごいな
43歳になるシーズンに3割、21HRでOPSが.924
しかもシーズン終盤で死球骨折で欠場がなければ
さらに成績上がってた可能性が高い
結局この怪我で終わってしまった
大塚にちょっと教えただけで
打球がホームランの出る角度まで上がるようになってたぞ?
松井と落合の3、4番は松井、清原の3、4番より遙かに怖かった。
松井が本格化したのも96年だし。
2005年
当時はプレーオフ勝者がリーグ優勝
ホームランの数がみるみる減って行ったよね
当時は最も広い球場だった東京ドームが本拠地の巨人では
20HRが精一杯だった
巨人に移籍した時は40歳
普通なら引退してる年齢で3年間ホームラン平均20本近く打った化け物だろ
>>19
中日時代の1992年に急激に衰えが始まってるんだよ
最終年の1993年なんて打率.285 本塁打17本 65打点と
散々な成績になってる
巨人に移籍した1994年も同等の成績なのに翌1995年は
打率が3割に戻り1996年は20本塁打に乗せた
データで見ると
1996年は超打高投低で打率10位が.312
という異常な年だけど巨人がスーパーラビットの使用を
この時期に開始したのは間違いないと思う
そして日ハムはまだスーパーラビットを導入してなかった
から前年より試合に出てるのに3本塁打に激減した
1996年はスーパーラビットなんて使われていない
東京ドームのパークファクターみればわかる
落合は打席に入るときインコースに投げるなみたいに
脅してたって聞いて大嫌いになったわ
孤高に野球道を究めるみたいな選手だと思ってたのに
こんな奴なんだなってビックリした
落合って
計算高くて手段を選ばない勝負師ってイメージだがな
駆け引きとかに長けていてさ
真っ正直に正々堂々って感じはない。
落合は頭部死球食らったりしてたから、そら警戒するだろう
ピッチャー有利ばかりにしちゃいけないのは当然だと思うが
>>21
インコース投げるなっつって
素直に従う方がおかしいだろ
従うなら言うに決まってるし
従わないなら言ってないも同然
外角打ちが得意みたいなイメージついてたけど
本当は外が苦手でインコースが得意だったって何かで言ってたな
実際そうだろう
ベースギリギリでインコースの球を逆方向に打ち込んでるのが
この人の得意技だろ
他に出来る人は知らない
晩年はみなボテボテのセカンドゴロになってたな
村田さんも10勝上げてたのに引退しちゃうんだから
本人の考える全盛期は凄かったんだろね。
引退の年の記録だけ見てもまだ十分戦力になる成績だと思うけど。
異常にリストが強いんだよね。
同じようなタイプの打ち方してた中村ノリは
何度も手首の手術してるのに
その強いリストを利かせた落合独自の打撃理論だから
他の選手には当てはめられない。
ボウリングだよ
ヤクルトに行ってほしかった
在籍期間は何のプラスにもならなかったが(記事中
にもあるように引退後にガッツが台頭した)超不人気
ファイターズとしては全国区の知名度のある落合の
獲得は大きかった
80年代の30代は
今の50代みたいな見た目しとる
どの球団も欲しがるわ
鳥谷さんもこれほどの成績残してたら
阪神もあんなこと言わなかったのに
阪神は金はみっちり払っとった
今年まで4億 × 4年
40過ぎてるのに
年に2回くらい
完全ノーマークで盗塁決めるのがカッコよかったな
43歳の落合は
8月末に死球を受け
左手小指を骨折するアクシデントに見舞われながらも
打率.301、21本塁打、86打点、OPS.924
すご!
何故だったんでしょう?
江川もまだ10勝してたのに、早すぎる
引退でしたよね。
>>72
小林繁なんて13勝14敗で引退だぞ
本人が川藤に語ったところによると血行障害で
たまに狙ったところに投げられなくなったからだ
そうだが
江川なんて引退年の成績が13勝5敗だもんな
実績もあるし
今ならその成績でも億貰えてるよ
40歳 .311 44本 125打点 本塁打、打点自己ベスト
41歳 .305 33本 93打点
42歳 .280 31本 91打点
43歳 .264 18本 66打点
44歳 .258 7本 23打点 引退
やっぱり40過ぎると
1-2年でガクッと一気に落ちるんだなぁ
ブーマーとのハイタッチで脱臼さえしなければ
もうちょっと上乗せできたのかな。
もともと俊足堅守系野手やったのにアキレス腱ヤってから
長打狙いのフルスインガーにスタイルチェンジ
96年の落合はほんと凄かったよ、特に前半は。
後半は松井が一気に覚醒したから
数字上のインパクトは松井の方が凄いけど、
夏までは落合が打線の核だった。
3番松井と4番落合だと
佐々木が出てきた時が一番わかりやすくて
松井は佐々木に手も足も出なかったから
佐々木を打ちまくる落合スゲーって子供ながらにいつも思ってたな。
「佐々木のフォークはカーブ」
と訳のわからないことを言っており。
>>85
実況「こんなゲーム見たこと無い!!!」
俺もテレビ見てたけど鳥肌立った。
長嶋茂雄 最終年の成績
128試合 15本塁打 55打点 打率 .244 OPS .675
王貞治 最終年の成績
129試合 30本塁打 84打点 打率 .236 OPS .803
まだやれたよな
特に王さん
今の基準ならそうだろうけど
それだけの大打者にはキツかったんじゃない?
あと、通算打率が3割切りそうだったのもあるんでしょう
>>87
王は、引退するつもりなかったから秋季キャンプも参加してたし
来年は900号打ってもう1回ホームラン王取ると宣言してた
川上が裏で糸引いて続投が決まってたはずの長島が監督解任されて
川上の意向で藤田が監督になり読売新聞不買運動が起きた
焦った読売(川上)は監督にした藤田は
王への繋ぎで監督にしただけでということにして
王に引退勧告して引退させた
そして助監督という
わけがわからんポジションにして
不買運動を鎮めようとしたのが真相
通算打率3割なんてあとでとってつけた理由だよ
そう。一塁レオン、三塁有藤だった
>>96
ありがとう
じゃあ歴代最強ナインに
落合セカンドで入れても駄目って訳ではないな
うん
歴代ベストナインで王長嶋と顔を並べることは十分に
可能
セカンドなら横浜時代のローズも捨てがたい
福留が来年復活して3割20本打つようなもんか
ちょっと想像出来んな
巨人移籍すれば可能性ありw
(ドームに滅法強い)
筋トレもランニングもガンガンやるような選手だったら
どれだけの数字残したのか
落合になってしまう
あの打ち方は子供心ながらに芸術的だったんよね
しかも見たら読売在籍期間たった3年?
もっと長くいたかと思ってた
記憶っていい加減なもんだなあ
秋田県人のリスト(腱)の強さは異常
多分最後はどこにいたかすら知らない人多いだろ
江夏も知らないの多いはず
ええ夢やった
この頃のマリンは最終戦が内野自由タダってやってたんだよな
小雨の降るなかビッグバンの終焉を見届けに行ったわ
最優秀防御率かかる金村は規定投球回に達した瞬間に降板だし
キャプテンの片岡は三割きりそうだから代打出されるし
本当に終わっとったな
そして、ダブルヘッダーの第一戦が終わったとこで
マジック対象チームがハムからオリックスに代わったw
データで見ると1998年が稀に見る大混戦になったのは
抑えの有無だったね
先発投手陣が壊滅状態の近鉄が踏みとどまったのは
大塚の存在が大きい
日ハムが力尽きたのは抑え不在が原因だろうね
野手の限界は43歳やな
メジャーのイチローと他を比べるのはそもそも間違い
イチローも日本に戻ってきたらな
3割20本30盗塁ぐらい余裕だったろうし
FAのベテランは高給で引き止めない、逆にFA選手は取らない
常に生え抜き選手中心のチーム作りなど
FA選手は取ってるだろ
稲葉や新庄が中心選手だった時代もあるし
常に生え抜き中心ではない
身長170無くて40本HR
確か現役も40歳まで続けていたよな
40歳でホームラン王とって不惑が流行語になった
39~41歳までOPSリーグ1位とかもうでないと思う
その頃の記憶があるが
ベテラン遥かに通り越してお爺ちゃんという感じだったな
だから今の人が考える以上に
凄い事やったという感じだったな
ハイタッチで怪我した人?
>>184
元々脱臼癖があった
それを知らずにハイタッチして長期離脱に追い込んだ
のでブーマーは落ち込んでたらしい
落合は節目の記録は狙ってホームランを打ってたからな。
本塁打
100本目 ホームラン
150本目 ホームラン
200本目 ホームラン
250本目 ホームラン
300本目 ホームラン
350本目 ホームラン
400本目 ホームラン
450本目 ホームラン
500本目 ホームラン
安打
1000本目 ホームラン
1500本目 ホームラン
2000本目 ホームラン
節目の本塁打が全部ホームランてすごくね?
背番号の6枠がサインと読んで
ジェニュインでごっつぁんでした
当時大杉ただ一人の記録だった「両リーグ1000本安打」を
達成したかったからじゃないのかと言われたがな
実際この記録は現在でも大杉と落合と和田の3人しか
達成できてないレアな記録だしね
それと前人未到の両リーグ200本塁打も達成できたしね
監督するならハム一択にしてほしい
ノムがグチってたな
「絶対に背番号6じゃなきゃダメっていうから
宮本に譲ってくれって話つけたのに…」って
まだ宮本が若い頃だったからな
ハムは田中幸雄に譲れなんていうことできる訳もなかったが、
けっきょく3番でいいってことになったから
大して拘りなんかなさったのか
落合記念館もあったし条件いいとこ選ぶ方が先決だったのか
ハムって背番号に重みのある選手っているのか?
もうこんな打者は現れないんじゃないの?
ムチのようにバットが遅れて出てきて
インサイドもアウトサイドもポイントが一緒
あの打ち方ができる選手は落合以後 一人もいない
いくら1塁手とはいえどもある程度の守備力は必要だと思うが。
2塁走者を3塁に進めるバントで3塁手に取らせるバントではなく
1塁手の落合に取らせるバントをされてた記憶があるが
普通は3塁手に取らせるバントがセオリーだよな?
巨人が96年秋に清原を取った理由のひとつは
落合の1塁手としての守備力の酷さもあったと思う。
かといって1塁以外をやらせるとさらに酷いから使いようがない。
あの当時の落合は打撃よりも守備がかなり衰えていた。
普通の1塁手ならばなんとか処理できる程度の軽度の悪送球でも
落合が1塁を守るとアウトにならなかった。
まああの歳だからなあ
守備範囲も俊敏性も落ちるのはある意味自然
現役時代からベテラン優遇は当然と言ってたし、
監督になってもそういう感じだった。