944試合 5526.2イニング 569先発 365完投
400勝 298敗 4490奪三振 防御率2.34 WHIP1.07
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ズルがよく話題になるけど
これ見る限り1試合平均6イニングは投げてた計算になるんだな
すげえ
まさに神
400勝はMLBと合わせても
歴代3位、奪三振も歴代4位だからな。
特に400勝は金田を超えてる二人は
いずれも金田より昔の選手で
金田以降に金田の記録を超えた選手はMLBにも居ない。
バケモン
確かホームランも投手の記録持ってなかったか
30本以上打ってたはず
ホームラン36本(プラス代打で2本)だったかな
最近だとソフバン監督の工藤(西武時代)
>>91
落差のあるカーブではなく
スピードの乗ったカーブだから工藤で当たりだろうな。
そう言われれば後はいないなあ
縦スラがドロップかな
5イニング目に出てきて投げ切り
>>96
なるほど、サンクス
投げきるだけいいけど
4回まで頑張ったやつは気の毒だな
確実に勝ってる状況なんだろうからな
その投手が5回以降も抑えられるかわからんだろ
金田の救援登板の88.5%は完了だからね
名球会を私物化して晩節を汚してしまった
どんな人物でも光と影があるやろ
これはもう日本では絶対にぬりかえる事のできない記録だわな
魔球だよね。
金田は実はトップ層からは一段落ちる位置だったりする
時代背景ゆえの異様な登板回数がもたらした勝ち星の数という
その同じ時代でも400勝った選手がいないことはどう考えてるんだ
つまり藪の最上位版か
金田在籍15年間、国鉄の最下位は3度だけ
この間の国鉄の勝ち試合833のうち
「勝利投手金田」は42.4%にあたる353
現役9年間、やはり160キロ出すと肩がいかれる。
投げ過ぎの可能性もあるが。
金田は例の長嶋四三振しか映像残ってないから
分からん
つーか昔は常時145以上だったのが
いつのまにか常時150以上になって
最近は常時160以上になってんだが
歴史修正主義者かよって思うわ
>>120
同じ空振りでも、江川のは明らかに打者の反応が違う
上原もそうだからスピンが効いてたのかも
>>120
おいおい、江川はリアルタイムで見てたが、
ぶっちぎりで速かったぞ。
それはYouTube見てもわかると思うが。
しかし、スピードガンほど当てにならんものはないけどな。
測る位置や球場でも数値が全然違うし、
しょっちゅう間違いがあるし。
参考程度にしといた方が良いんちゃうかねえ。
江夏や山口高志の全盛期の方が全然速い
一番速かったのはタカマサ
防御率すごくない?
弱小国鉄で最多勝ですからなあ 勝ち方を知っていたんでしょうな
当時のセ・リーグは讀賣以外弱小リーグだからな
群雄割拠でユニオンズパールズ以外優勝を狙ってたパ・リーグとは差がある
かねやんの頃っていうと1950年代って印象だけど
それくらいの頃は巨人、中日、阪神が毎年5割超えで
残りの3チームだったり4チームだったりが5割を下回ってるイメージ
日本一になれたのは金やんの弟でハムの金田留広が
「兄貴の監督する球団相手に投げられない」
とかなんとか訳のわからんことぬかしてゴネて、
明らかに格の劣るのと交換トレードでロッテに移籍したからってのが大きい
そんなんで最多勝投手放り出すとか今なら有り得ないが、
ハム初期は球団社長三原修が張本だの大杉だの大下だの主力を気前よく放り出してた
その三人は三原の宿敵水原時代の選手だからってのもあったが
金田は水原が辞めた後の選手だからな
東映カラーを排除したかったんだな
支配する世界だったし金田も結構苦労したみたいだけどな
あの実績で殿堂入りに4年もかかってるし
金田に拾ってもらった恩を忘れているのか
ロッテで金やんの後釜候補になって固辞して退団した経緯がある
打撃面や捕手としての守備面の予想以上の衰えを目の当たりにして
ロッテ時代中盤から関係が微妙になっていった
金田はフォークも投げてたよ
巨人の森が死んだ後のコラムで書いてた
フォークもそうだし
晩年にはサークルチェンジも投げてたと言う記事を読んで事ある
江川ベタ褒めだったな
一方西本は二流扱いw
西本は
キザで偶に足を高く掲げて上げて投げるのは格好良かった
今は居ないなあ
本人の動画みると足をあまりあげずに
上半身でヒョイッて投げてるようにしか見えないけどな
強靭な上半身の持ち主で
それを支えるための下半身強化が走れ 走れだったのかもね
NPBで数少ないメジャーピッチャー風の投げ方
89年 金田がフロントの意向を無視して野茂を指名
90年 金田がフロントの意向を無視して小池を指名
スカウトもやってられんわな。
その年のドラフト全体を見て、1位指名をするわけで
外れ1位を誰にするか、 2位3位4位と誰にするか
様々なケースを想定して、午前中にチーム内で会議をするわけだから
それを監督の独断によって現場で覆されたら
スカウトたちもたまったもんじゃないな。
野茂は大正解やん
>>243
結果外れてるし
本来獲るはずだった小宮山獲れたからOKだけど、
先に取られてたら失敗だろ
小池の時だって
スカウトが指名しないって約束したのに指名したからな。
野村は打者、監督としては別格、キャッチャーとしては失格
自分の弱肩を誤魔化すために
自分に有利なバッテリーの役割分担を「セオリー」と称して作り上げた
野村が変に権威持っちゃったせいで日本のキャッチャーは遅れた
打者としては別格だが、監督としてはそれほどでもないよ
阪神と楽天で散々だったし
星野が阪神と楽天で優勝できたのは
野村の手柄だと思ってるバカが多いけど
楽天のあの戦力でCSまでいったのはすごかった
阪神での失敗を上手く消化してうまくやってたよ
野村を監督としてたいしたことないと言って
誰が凄かったと言えるかわからんね
肩の守り方
肩の休め方
を殆ど勘だけで組立た
原始的でも非論理的でも
自分の身体にあった方法論を作り上げる能力があった
逆に言えばこんな原人みたいな男
今は現れにくいだろうね
登板後に肩を温めるのでなく
アイシングするということには気づかなかったんだよな
本人もアイシングの効能には気付いていたが
当たり前のように連投する自分は逆に暖める方が効果あるから、だって。
中3日以上開けるならアイシングを勧めるとも言ってた
ノムサン饒舌やなぁ・・・。
カネやんがこれくらい饒舌かつ客観的に喋れれば良かったのに。
国鉄スワローズなんて大昔のマイナー球団に所属したから、
本人が喋ってくれなきゃ活躍の実像が全然わからん。
リアルタイムで見た人の目なら、
「オールスターのときは三振をとることしか興味がないから
ひとりでもバットに当てられたらもうやる気をなくしていたが」
こういう書き込みでも十分伝わる。
>>248
新書で国鉄スワローズの歴史本が出ているけど
カネやんはたっぷりと語っていますよ
高橋(トンボ)の歴史本では佐々木信也さんが語ってくれてる
国鉄本では国鉄球団消滅以降の国鉄愛をふんだんに
怒りを込めて雄弁に語っているから是非探して下さい
その中で国鉄時代にボーナス代わりに有楽町駅高架下の土地を
やるといわれて断ったことがあった
本人は断って良かった
もし貰っていたら人生変わっていて誰かに殺されていたかもと
名球会のボスの座を
あっさり降りたのが納得できるエピソードですな
バブルの最盛期には金田の生涯年俸より上がっただろうな・・。
あんな唯我独尊みたいな人が
身の丈以上の財産を持つのを恐れるというのは結構意外だな。
平凡な人間ですら狂うと思うけど。
>>341
ロッテの監督やめた直後の『プレジデント』
(当時は月刊、今みたいな低俗誌ではなかった)で
「ワシがもらう予定の養老年金は月たった8万円や。
ワシくらい活躍したら、
養老年金だけでメシが喰えてもおかしくない」
みたいなことを答えていた。
案外、財産はなかったのかもね。
>>361
これは張本も言ってたな。財産無いって当たり前じゃん。
いくら一時代を築いたとしても、
引退して亡くなるまで50年経過してるんだし、
野球選手は自分が何もしなければ、自動的に無職だ。
MLBの場合は規定の年数を満たした選手にはスゲー手厚い。
野茂の年金は月額100万円。
日本の野球機構が組織として未熟なんだろうね。
第一次ロッテ監督では
年俸一億+金田企画サポート契約だったそうだが
70年代には超破格
ノムさんも
南海監督時代は選手料と監督料あわせて1億
越えてたとか言ってた様な。
あの時代は企業も金余りだったんじゃね?
>>300
楽天、楽天、ドッと落ち込む
野村うまいなと思ったよ
金田がボールを握ると
ボールが手の中にすっぽり隠れたのをテレビで見たことがあるな
両親は韓国の済州島出身
差別がひどくて日本に来た
朝鮮族とは本来別の民族でみな体が大きい
当時日本人で金田ほど大きい人などほとんどいなかった
そうなんだ
チェホンマンも済州島出身だな
カネやんはお父さんも180あったとか。
張本にせよ、王にせよ、そもそも親も体力に自信がなければ
母国を離れて日本に行こうなんて思わんわな。
王の父親は福建省出身の料理人だけどな
墨田区で五十番っていう中華料理屋やってて、そこが王の実家
あと、王はそこまで体はでかくない。長嶋のほうがでかい
それは知ってるよ。
王は1950年代としてはでかいほうだろ。
師匠の荒川さんも中学生の王を高校生と間違ったというし
第一チビが甲子園優勝投手兼ホームランバッターにはなれんだろ。
他の参加者を圧倒する体力がないと無理。
国鉄沿線とは言うものの鹿児島本線や山陽本線沿線に行くと、
スワローズを応援しているファンはいたのかな。
参入前年の昭和24年に下山事件とかがあって
国鉄職員の結束を図ろうと
各鉄道管理局の野球部主力を集めてスワローズを立ち上げた
厳密には国鉄本体が経営してたわけじゃないんだけどね
国鉄は戦争から帰ってきた職員が溢れてて
人員整理の必要があったのに、国労が大反対して
松本清張言う所の黒い霧事件が続発してたからね
関西私鉄グループ(パ・リーグ)に対抗したのかと思ってた
>>330
きっかけは東鉄OBで審判員の西垣徳雄
(のちに国鉄初代監督で金田をスカウト)が、
東西対抗戦帰りの特急車中で
東鉄時代の人事担当者だった加賀山総裁に偶然出会って
プロ野球参入を勧めた。
パ・リーグは私鉄球団が多く
旧知の幹部も多い(鉄道省OB多数)ため、
情報漏れて横槍入って頓挫する危険性があったのと、
下山事件で自殺説を唱える毎日新聞がいたため
選択肢はセ・リーグだったと言われている。
>>307
国鉄職員は国鉄一家と言われるほど国鉄愛が深かったため
全国各地で国鉄ファンは多く、
地方球場での試合ではご当地鉄道局の職員から差し入れがわんさか。
柳川事件以前は国鉄で引退すると
野球部のある故郷の鉄道局に再就職、
東京、名古屋、天王寺などの鉄道局の監督はスワローズOB。
ちなみに鹿児島は国鉄球団が長くキャンプ地として
指宿、鴨池、湯之元の各球場を使用、
金田ロッテもずっと鴨池をキャンプ地として使用。
ちなみにちなみに
ロッテ選手とミス鹿児島が結婚するケースが多かった
(落合の最初の奥さんもミス鹿児島)
国鉄職員は上野駅で出稼ぎのオッサンが夜行列車を待つ間、
ホームで酒盛りをしたり、
鉄オタが線路に降りて撮影するのを認めるなど、
大らかな感じの人もいたんだよね。
その一方で、労働組合は過激な思想を持つ人もいたとか。
韓国系、台湾系の違いは有るけど、外国系というところが面白い。
外国人差別なんてどこにあんだよってくらい
日本は芸能界もスポーツ界も外人だらけだな
184で当時は別格の体格だったとかいうけど
それはあくまで野球で生計立てていこうと思って
プロになった人の中でってこと。
昔はプロのスポーツ選手なんて賤業で儲からない物だった。
非効率的なトレーニングと、素振りと、走り込みしか無かった
でも今はガキの頃からプロ目指してエリート教育受けて
高校球児の段階で体格も抜群。
正直金田の球が160出てたとか眉唾もいいとこ。
郭泰源や槇原の球ですら脅威だった時代より、さらに大昔の話。
ま、140ちょいなのが現実だろうな。
金田はロッテ監督時代にバッティングピッチャーやってた時でも
140キロ出てたから
なおそれで押さえ込まれた打者陣の調子が狂って
5位になった模様
そのうち
リードした状況で登板して勝ち星を持っていったのはどれくらい?
ちなみに、
1950年には救援勝利は2、
うち1つは1点リードの3回から最後まで投げて勝ち投手
ジャイアンツ移籍後は救援勝利18、
うちリードした場面で登板したのは7度
前後合わせて、
「リードした場面で登板して勝利投手になった」
のは18度、ということになるのかな
思っていたより全然少ないよね。
18勝なんて
1988年の伊東昭光の救援勝利数と同じだなw
捕手>内野手>外野手>投手
てのがノムの持論だろ
野村が捕手だからそう考えてるんだろ
谷繁や古田の失敗を見てもとてもそうは思えん
当初は永久欠番の予定は無かったという
週刊誌記事の見出しを見た記憶がある。
なんか小正力の鶴の一声云々だったような記事。
永久欠番は普通は生え抜きだから
たしかに異例だわな
ヤクルトが永久欠番にしないなら
巨人が代わりにって言うのもあったのかな
巨人に移籍できるっていうのが時代だよな
そういうパターンの移籍はいつの時代も結構あるような気が
ここ数年だと井端や金城なんてまさにそうだったじゃん
地元が仙台で子供の頃観てた思い出
一塁コーチャーでカネやん体操
一試合に一度はファンサービス的に主審に抗議
何故か両者笑顔で楽しませてくれた
宮城球場名物弁当おじさん等
両親と弁当食べながら笑って観戦
1日だけでいいから戻ってみたいな。
ノムさんは昔から一貫してこういう評価をしてたな
選手は体が資本だからと12球団一良いものを食べさせ
投手には特に下半身が大事だと走りまくらせていた
カネやんの嫁さんが秋田出身でキャンプに餅を送ってきた
「秋田の餅なんかめったに食えんぞ!食え食え!」と選手にふるまった
選手たちは
「すげえ美味い!」と大喜びだったが、実はサトウの切り餅
選手を鼓舞して盛り上げる人心掌握に長けた人だった