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広島戦でやらかした西本を長嶋が往復ビンタした一件の直後だな
この漫画の長嶋の描き方は他の漫画にはなかった感じで新鮮だ
西本が中日来た時に出した本にも書いてあった
そりゃこのエピソードは有名だろ
でも野球漫画ですぐ鉄拳制裁する長嶋が描かれるのは珍しい
侍ジャイアンツであったと思うが。
番場蛮が殴られて吹っ飛ぶシーン。
壁までぶっ壊れてたなw
「落合のスイング軌道なら西本のシュートは絶対ホームランにできない。
開幕戦は西本でいくべきです」と
江川が開幕投手奪われてまで、ライバル西本に開幕投手の座を譲るわけないでしょ?
本当なのですか?
「なぜ西本を開幕投手に?
そりゃあ、世界中でいちばん勝ちたいのが俺だからだよ。
投手もいちばん勝ちたい奴を使ったんだ」という王のセリフがすべて
御託並べている江川より、さりげなく他球団で投手コーチしていた西本の方が印象がいい。2003年阪神が優勝した年だけどテレビで何気なくある阪神戦見てたら白髪混じりの無精ヒゲ生やした投手コーチが出て来てよく見たら西本だった。あとロッテでも投手コーチやってたな。アンチ巨人だったけど改めてファンになった。
ロッテではどの投手にもシュート強制して問題視されてたけどな
阪神では徹底的に球数を管理してたな。
練習で投げる分まで。
こんなエース世界初だね
つまり、江川が翌年の開幕投手になるような働きをすると優勝するってことだ。
当時見てないだろ?
82年の終盤の天王山で江川がまさかの逆転負けで優勝を逃したようなもん。
その印象が悪すぎるから。
当時ばっちり見てたよ。江川は中日19回戦@後楽園では完投勝利あげてる。見に行った。
82年と86年は優勝しなきゃいけない年だったな。
それはガセネタ。
前年までの酷使がたたって肩を痛めてたので、
開幕投手なんかとんでもない状態だった。
しかし長嶋はマスコミに対してこの情報を秘密にしていたので、
新浦にも「絶対に言うな」と伝えていた。
それでも何も知らない記者は「開幕投手を奪われた心境は?」などと聞きに来る。
新浦は「何も言うな」と言われていたので、
「何か一言」と聞かれて「アイウエオ」と答えたことがあり、
これが奇行として騒がれたこともあった。
江川以上に巨人に翻弄された選手
>>41
江川が初勝利の時、何と4点差でエース新浦投入した
4点差なら江川完投させろ甘やかし過ぎ
新浦は酷使で省エネでドロップばっかり
直球は疲れて殆んど投げてなかった
杉下コーチ、長島、堀内みんな安心仕切ってる表情みて腹たった
4点差で江川の初勝利のために投げてる新浦さんのことは何も気遣いない
江川は、鼻血出してエースの新浦さんにご迷惑かけて申し訳ございませんでしたと、ヒーローインタビューで謝るべきだった筈
西本だったら4点差もあったら完投するよ
あけてもくれてもニウラニウラだったのに
江川が入団してからは手のひら返してポイ
小林なんかよりよほど新浦の方が江川のこと恨んでいそうw
それはない。
自分の衰えと江川の台頭は全く関係ないと言ってた。
逆に江川が沢村賞落選した時は怒ってたぐらいだぞ。
衣笠祥雄さん先程死去(71)
西本がデッドボールで肩甲骨を骨折させた衣笠祥雄が翌日も出場
3球三振
1球目はファンのため
2球目は自分のため
3球目は西本君のために振った
西本君が悪者にされない為の衣笠さんの計らいだ
懐が広い
泣けるねぇ~
もしぶつけた投手が江川だったら、江川事件もあるから叩かれたね
江川の死球率はものすごく低かった
えげつない攻めは嫌いだったのね
大野と川口とか
つまらんだろ
巨人(昔の)だから面白いんだよ
倉田とか新浦とか柴田とか
それも違う。
新浦が使われなくなったのは単に肩を痛めたから。
柴田や堀内は記録のために起用していたが。
いやそこそこ使ってたと思うけど
勝てなかったけど
違う。肩と相談で起用されてただけ。
勝てなかったのは藤田になってから、
肩が治ったが、
先発が江川西本定岡加藤で回ってたので谷間しか投げられず、
好投しても五連敗した。
本人や家族にすらどうにもならんかった
江川卓個人に恨みつらみぶつけてもしょうがない
だよね。
その前は宇野の次にエラー多かったのに
長嶋最後の年、勝利投手目前の西本が投げてて決勝エラーしてたな。
解説者は「三塁失格」の烙印を押していた。翌年めでたく原が三塁にw
夏だったよね
信じられないトンネルエラー
翌年一塁から追い出された山本功児が不憫だったな
守備なら王以上で駒田と同じくらい上手かったのに
おお、覚えている人がいて嬉しいよ。
たぶん誰も知らない(リアルで見てないから)からレスがつかないと思ってた。
この板は80年代でも前半はリアルで知ってる人がものすごく少ない。
で、その辺を知ったかで語ったり捏造する馬鹿がいるからイラッとするわ。
他のスレで「愛甲が入団前に常勝西武には入りたくないと言った」と、
当時知ってたらありえない発言を捏造してたわ。
愛甲の入団時は常勝どころかずっと負け越しのヘボチームだったのに。
中畑が怪我したことで数年続く中畑、篠塚、原、河埜の布陣が固まったわけだが、ドラフトといい、原は強運というか、やはり生まれながらのスターなんだと思う。
中畑欠場時にサードに原が入った時の大歓声は忘れられない。
その大歓声を聞いて中畑が「もうサードには戻れないと思った」と言ってたのを昔何かで読んだなあ。悪役扱いが続いて仏頂面だった江川も、原が入ったことで巨人への世間とマスコミの風当たりが和らぎ、自然に明るくなったとも。
俺もそれは覚えてる
「悔しいけど原のほうがオレよりうまい。ファーストで頑張るよ」って言ってた
山本功児は「えええええーっ!」だったろうけどw
公式戦ではなくてキャンプの時。
多分焚き火に使っていたのでは?
しかし蹴るなよミスターw
巨人軍が一番輝いてた時代。
山倉も入れてあげて。
>>158
・ゴールデンルーキー原の大活躍
・江川20勝・投手タイトル総なめ
・巨人8年ぶり日本一
・日ハム球団初優勝
・江本のベンチがアホ発言
世間的にはプロ野球が一番注目された年では?
もちろん巨人人気がメインだけど。
現在は各地方で観客動員はいいけど、
ローカル向け娯楽になった感がある。
・
ああ、それ忘れてた。
江本事件と同日だったんだよな。
-あーっと!宇野平凡なフライをヘディングだぁ!!
ジャイアンツ連続試合得点記録を伸ばしましたあ-
星野「何やっとんじゃボケェ!!!」
宇野「うぁーやっちまったあ 星野さんまた沸騰したよヤレヤレ」
試合後
星野「まあ、そう気にすんな。メシ奢ってやるから行こうぜ」
宇野(うわわわわわ・・・怖い怖いよ 誰か助けて!!)
実話です
結局藤田の第一期監督時代(81~83)に扱いづらかった投手は、
第二期にはことごとくトレードで出されてるんだよね(西本、角、鹿取)。
意外にも一番反抗的だったのが鹿取で、
角は藤田さんというより中村稔コーチが手を焼いていたらしい。
最近たまたま糸井重里と藤田の対談が載ってたコラム読んだが、それによると鹿取は89年、熊本での中日戦で不甲斐ないピッチングしたので藤田が喝を入れたらふて腐れてしまい、以降二人の関係が悪化した
藤田が瞬間湯沸し器な反面、鹿取は根に持つタイプなのかも
あのときは第3者が見ていたところによるとボタンのかけ違いのようだ
藤田は「まあ気にするな。次がある」と言って
鹿取は気丈な振りをして「え?たいしたことないっすよ」と言ったら藤田が「たいしたことないとはなんだ!」となったらしい
まあ球界の紳士藤田も若い頃は瞬間湯沸かし器と呼ばれてたし
潔いね
山本功児は割りを食ったけど
早死にしたし一生不遇だったな
プロで10年プレー
ダイヤモンドグラブ賞
一軍監督
息子もプロ野球選手に
一生不遇???
これより良い人生なんて早々無いと思うがな
アウェイでは毎回ニセコージ呼ばわり
プロ1年目はポテンヒットばかり(HR1本)
一本足打法試した
その時の3番がコンコルド淡口
>>223
兄が通用しなかった六大学でまず活躍したいってことだったか
親しかったからこそ逆に我を通せたともいえるが
単に内情よく知ってたから体よくお断りしたのかもしれんな
大学入って一年ですぐにレギュラーになれたから野球を舐めてしまって上級生になってからは真剣に練習しなくなったらしい
そのせいもあって大卒時にはドラフトにかからず
南海入ってたら長くレギュラーでやれたかもしれんのにもったいない
ドラフト制度でそれができなくなった。
南海はその影響をモロに受けたんだわ。
しばらくはオープン戦ですら勝てないほどのトラウマになっていた
やっと長嶋が雪辱を果たしたがあれは森監督が「ミスターは何をやってくるかわからない」と考えすぎたってこともあったんだろう
その長嶋も阪急→オリックスにはとうとう勝てないまま終わったんだけどね
こういうのは結構重要で
トラウマ的なものが出来て他のチームには勝てるのに
そのチームだけにはなかなか勝てないことがいろんなケースで多い
西本を沢村賞に選んだ馬鹿選考委員のスポーツデスク共の話
次年度から選考権剥奪されてやがんのw
この漫画のシーン、ことごとく覚えてる。
特に投手交代のタイミングがことごとく的確だった
V9の知恵袋の牧野ヘッドがいたからという声もあるのでは?
藤田時代が一番面白かった。
なにせドラフトで引き当ててくれた恩人だし
王さんが日本シリーズやオールスターでMVP を獲得したことがないのが意外。
日本シリーズでは通算で2割8分、オールスターでは通算で2割3分くらいだったかな。
公式戦では阪神戦であまり打てなくて、通算で2割6分くらいしか打っていない。
阪神はエース級の投手が多く、村山には2割4分3厘に抑えられている。
江本や小林繁にも抑えられていた。
小林繁との対戦では一本足を捨てて二本足で打っていた。
村山が生前「この成績では打たれたうちに入らない」と言っていた。
長嶋が王より人気あったのはそれなんだよな、
オールスターも日本シリーズも大活躍のお祭り男だったから。
日本シリーズ
オールスター
全てに3割を打っているから長嶋はスーパースターだったのだ
特に長嶋は現役中日本シリーズやオールスターにほとんど出てた訳だから尚更すごい
それって川上なりのファンサービスってこと?
だとしたら、意外なイメージかも
前に広島巨人のオープン戦で江藤と前田を山本監督が
「調整に専念させる」
とかで出さなかった時に川上は
「地方での試合は絶対に出さないとダメだ。私は王も長島も絶対に休ませなかった」
って言ってたな
あくまで広島のローカルチームのカープにそれを求めるのは傲慢だよなあ
地方民はほとんどが巨人ファンだから王長嶋を見せてやろうってのは立派だけどさ
野村克也は「江川とバッテリーを組みたいかと聞かれたら「NO」と答える
江川の調子のよい時の球だとどんな配球だろうと打ち取れてしまう
捕手はただのキャッチングマシーンになってしまって
喜びが見いだせない」と書いていた
この頃からノムはこの捕手主体思想だったのか…
捕手は文字通り捕る人でいいのにw
昭和58年には山倉が風疹?にかかって休んだ期間思い切り勝率下がって一時広島に抜かれたんだよね
つくづくキャッチャーって大切だと思ったよ
「なあ掛布プロって凄いよな。とにかくバットに当てるもんな。」と言われて
唖然としたそうだ
江川にとっては自分の球はバットに当てられないが常識だったという
解説でもそれをよく言ってるから
よほど衝撃的だったんだろうな
完全試合やったり江川も西本も倒せなかった西武を制してMVPとったり槙原はもっと評価されていい
>>367
日シリの貢献度なら斎藤よりもはるかに槙原だろうね
西本と同格と言っても良い
ただ槙原は90年のデストラーデ砲も印象強いのだろうけれど
あのときは神だった
その無理がたたって後半怪我しちゃってシリーズ間に合わなかったけど
槙原が健在なら近鉄とのシリーズ4勝3敗なんて綱渡りにはならなかったと思う
実は89年の日本シリーズでしれっと槙原は投げている
加藤哲に完封された3戦目の敗戦処理で
俺当時たしかに見ていたはずなのに覚えてなくて
あとから熱闘日本シリーズとかいう市販のビデオで見て驚いた。。。
槙原はケガが多かったからな。
視力が悪くて自分からサインを出していたら見破られていたとか?
西本は中日移籍して即20勝したけど、週間ベースボールのインタビューで、中日は大人のチームと言って巨人を批判していたな。
バッティング投手をやる時に前にネットを置くけど、ネットが気になって投球フォームが崩れるからやりたくなかった。巨人ではそれが許されなかったと批判していた。
なぜか17番は呪われていたみたいだな
倉田、淺野もみんな準エース級の実力を持っていたのにみんなケガに祟られた
57年途中から三振取れなくなったのはよく覚えてるけど。
よく聞く話ではあるね
球宴休み中の撮影とかじゃなかったっけ
そのシーズンの前半後半の成績はどんな感じだったんだろう
江川と掛布が対談した「巨人ー阪神論」にも書かれてた1982年9月4日、8回裏二死二塁で掛布を敬遠した試合で18勝目を挙げたが、そこから1勝しかできなかった
夏場はそれほど痛くなかったが、秋になって朝晩寒くなると痛みがひどくなったらしい
江川の終盤
8月
vs中日○
vs阪神●
vs広島○
vs中日○
vs大洋○(ただし高木豊に満塁弾被弾)
9月
vs阪神○
vs中日●
vs大洋●
vs中日●
vs大洋○(後半唯一の無四球試合)
vs大洋●
19勝12敗 196奪三振 無四球試合10(日本タイ)
無四球試合は前半だけで9。日本新記録は確実と言われたのに…。
後半は2桁奪三振もまったく無かったと記憶してる。
定岡は王時代はしょぼかったが藤田時代は貴重な存在だったよ
江川でさえ相性悪かったあの時代のライバル広島に滅法強かったから
デーゲームも強かったし広島戦でのピンチにはリリーフにも立った事がある
あと山倉もなぜか広島戦にはよく打ってた
西本が卓ちゃんと慕ってる感じも良かった、お互いに友達も居ないしコーチの声もかからないし