>>6
・ほとんどの確率で成功して普通の生活が送れるけど、野球人生はあきらめた方がいい
・10%の確率しか成功しないが、成功すると野球に復帰できる。失敗すると車椅子生活になる。
のどちらかを選ぶことになり、後者を選んで見事復帰。すばらしかった。
たしか、復活初勝利は巨人戦だったような気がするけど、ちがったっけ?
のはず、それと中日1年目巨人戦に滅法強かったのが印象に残る
小林繁もそうだが、巨人追い出された人は燃え方が半端じゃないらしいね
当時だってそうだよ!
しかも相手中日だし。
とてもうれしかったそうだ。巨人時代には一度もそんなことがなかったとも。
巨人のときはそんなに周囲から煙たがられてたのかなぁ?
ただ一人「おめでとう」と声を掛けてくれたのは同期の定岡だった
言葉だよ
ベタベタ仲いいという意味ではなく、
お互いの良さを認め合ってた好敵手という感じで。
西本も一応輪の中には入れてもらえてたのだが、なにぶん本人が
ヒネクレものなので、結果的には孤立していた。いるじゃん、どこにでも
そういうやつって。勝手に拗ねて勝手に孤立する奴。
江川が作った仲良しクラブがキショかったと自著に書いてた。(そんなストレートには書いてないが)
ピッチャーは自分の仕事に徹して勝つことを第一優先にしていたみたいだから、なんか女々しい(ように見える)集まりが好きではなかったんだろうね。
若いころって一球一球あんなに高く足をあげていたのか?
上げてた。
江川より西本の方が好きだった。
「勝負師」の魂がにじみ出ていた。
確かに江川の方が勝ち星は多かったが…西本は江川と違い、粘り強いので代え時が難しい。よって10勝すれば10敗はする。
83年の日本シリーズは忘れられない。
落合博満が中日時代を回想し、自著で書いている。
「野球に対して余りに真摯な姿、野球のためなら全てを犠牲にする姿が巨人では煙たがられたらしいが、私に言わせれば、プロとして当然のことをしているに過ぎない」
確かに。落合の言う通りだと思う。
超亀レスだがそれって落合のなんの本だけだっけ??
そのとおり。著書のタイトルは「野球人」。
西本は当たり前のようにやってたらしいが、周りは余計なことするなみたいな感じだったみたいね。
西本のフィールディングのよさは、努力の賜物だったのだろう。
「投手は9人目の野手」という言葉の意味を理解していたということだね。彼は
凡打を打たせてアウトを稼ぐタイプの投手だったから尚更フィールディングを上
手にならなきゃいけないと認識していたんだろう。’81年の日本シリーズで13安打
されながら完封勝ちする離れ業をやってのけたが、ここにも彼の持ち味がよく表わ
れているね。
契約更改では江川より高ければいくらでもいいと言い、
江川より安ければ、開幕投手にするということで満足させていた。
「江川と西本、どっちが上?」ってスレ立てようとしたがやめといてよさげだな
西本が上と思う人なんて当時を知っていればいないしな
まあ西本が上回ってるのは、フィールディングの上手さと、通算勝利数くらいか。
あと、フォームの美しさは勝ってるかな。
素質では問答無用で江川に決まってる。あのころの同世代の投手で江川を凌ぐ才能を持ったやつなどいない。
だが…「勝ちたい時は…江川」
「絶対に負けられない時は…西本」
この言葉で充分だろう。
江川に嫉妬心むき出しなのが気に入らない人もいるだろうが…プロなんだからその位は当然だろう。
江川だってその位の意識は持っていたはず。
リアルタイムで当時の江川と西本を見ていた世代として…俺は決して西本が江川より格下だとは思わん。二人とも同格だ。
広島・北別府、中日・小松、大洋・遠藤、ヤクルト・尾花。タイプの違いはあれど、格は同じだよ。
ヤクルト・尾花は同じじゃないと思うが
>>81
そうか?
江川ー尾花、の先発なら俺は「お、イイ試合になるかな」って期待したけどな。
ま、人それぞれ感じ方は違うだろうから、それも否定はしないが。
83年のシーズン前半(5月まで)が一番「神」だったと思う。
2-1のスコアが最も似合う投手だと勝手に思っている。
>>99
>2-1のスコアが最も似合う投手だと勝手に思っている。
いいこと言うね。江川みたいにすいすい投げて完封、というより
7~8本打たれながらも1失点で抑える、というタイプだったね。
その1点もエラーがらみだったりしてな(笑