っていうのは本当だろうか?
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「田淵が現役時代にもう少し 体痛めつけて努力しとれば、
ひょっとしたら王のホームラン記録抜いとったかもわからない」
・村山実 昭和62年 TV番組での話
「田淵さんは当時“法政の三羽ガラス”って言われてさ。
足も速い、肩も強い、打つのもすごいって言われてたけど。
さっぱり練習しなかったと思う。
それだって480本くらいホームラン打ってんだから
ちゃんと練習すれば700本や800本は余裕で打ってたはずだよ」
・落合博満 平成25年7月 講演会にて
「もし田淵が王の半分でも努力しバット振っていれば、
王の記録を抜けただろう。それだけの素質があった」
・野村克也 雑誌「Number」で田淵について
・「練習する(できる)」というのも才能の一つ
・練習しなかったおかげで使いべりせず、
当時としては長命の38歳まで現役を続行できた
・Tさんとかそういう悪い先輩のおかげ
さてどうなんだろうね
捕手ということを考慮したら、スレタイは間違い
あと、飛距離ならそれこそ田淵
浩二は長距離砲ではない
死球をよける練習だけはもっと力を入れておけば良かったかもしれない
700本も打てるわけない
でも打率は、もう少し上がったかも
田淵がチーム1の俊足やと江本が言うとった。
後藤クマも言ってたな
最初に監督やったときの田淵は強肩で足もけっこう速かったのに
次に監督やったときは別人のように守れん走れん選手になってたと
通算ホームランで抜かれたことを聞かれると
「イヤなことを聞くねえ」と気にしている様子。
ピーコの陰に隠れがちだけど
衣笠にも通算ホームランで再逆転を許しているんだよな。
当時は他チームの選手と自主トレとかなかったのかな
71年までの成績は正直二流以下。
この頃までは人気先行だったんだろな
打率は確かに物足らないが
リーグ打率も2割3分台と低く投手優位状況だったので
まあ平均前後といったところ
清原なんかもそうだけど、
その素質をもっと活かせればどれだけ打てただろうかって
まあ結局タラレバなんだけどw
強肩も見られなくなって
捕手としてはもう使えないとまで言われるようになったよな
本人の体調不良の影響が大きかったようだが
868本ていうのは毎年
四十本以上を二十年以上打たないと達成出来ない。
田淵じゃなくても無理。
神の記録と言っていい。
毎年50~60本ぐらい打てたかもしれないから
無理とは言い切れないっしょ (笑)
田淵の性格だと、おそらく途中で、飽きて20年も打ち続けられないと思う
藤田平がファーストになったとき
「こんな楽とは思わなかった。王さんとかには悪いけどこりゃ打てますわ」
と笑ってた。
指名打者でも故障と欠場が多かったのは意外だった
獲得できる成績だっただけに残念。
たしか、オールスター前に30本打って居たんだっけ?
日本シリーズで西本から打ったホームランといい
あのシーズンは、何か極意みたいな物を掴みかけていたような打撃だったな
その時の近鉄柳田のコメント
「あのくらいの内角球、避けろよ」だったな
西武時代の日本シリーズでは、
当時の巨人2大エースだった江川と西本からホームラン打ってるのがいい
劇的な場面での一発じゃなかったが
シリーズ全体に及ぼした影響は大きかったかも
死球欠場するまでの70試合で29本打ってたね。
130試合に換算すると53.9本で
「王越えが狙えるか」とも話題になってた。
最後日本シリーズに間に合わす中で1本打って
規定打席未到達で30本以上という
珍記録を達成したが、これもまたいかにも田淵らしい。
規定打席未到達で30本は、その時の田淵が初めてだっけ?
後のホーナー、ブライアント、デストラーデ等は、
パワフルな外人だからで済まされるが
日本人ではなかなかできないだろうな
「田淵は鏡の前でスタンスを確認しただけで打席に向かい、
ホームランを打ち込んだ。
天才とは田淵を言うもんだと思った」
と言っていたから、才能は本物だったんだろう。
>>36
ボールの下半分を叩くとか、晩年のインハイの捌き方を見ると、
バッティングの技術は相当優れていたと思う
それが持って生まれた時からの天才なのか、
それとも自身の努力によって身についたのかは知らん
しかしいずれにせよ、もっと努力すれば確実に700本位は打てたと、
傍から見てそう思わせる選手だった
晩年の美しいホームランの軌道だけ見ても、只者ではないと思ってしまう。
大学の時に高熱だして、病気明けであまり力が入らない状態で打撃練習した時に
いつもより打球が飛んで、飛ばす極意を掴んだと。
>>45
その話は知っているが、
それは自分の目指すべきバッティングの方向性を見つけただけであって
修得した訳ではないでしょう
それをモノにするには多分な努力があったと思われるが、
その手の話しは本人から一切聞かないんだよな
それは多少なりとも謙遜があると思うが、
もしかしたら本当にそれほど練習しなくても、
その技術を簡単に体得してしまったのかも知れない
だから本人が飛ばすのに力はいらないというのが判ったんだろ。
落合は陰で練習するタイプだったんじゃ?
「俺より練習してるのは王さんだけだ」
じゃなかった?
成績が同じくらいの選手はいるが、内容はまったく違う。
相手投手から見れば怖かったはず。
練習は大してしないのに食べる事には妙に執着していた。
ステーキ食べてもまだまだ足りないもっと太らねばと
ハシゴでレストラン巡りしてた。
wikiとかに書いてあるけど、
江夏に
「お前のキャッチングじゃミットが流れて
アンパイアがストライクに外角を取ってくれいない。」
て言われて手首を強化したら
副作用でホームラン数が激増したとか書いてある。
それが本当なら一応努力はしてたとは言えますなw
田淵と言う男は、山の手出身のスマートな男で、
努力とか根性とかいうイメージがつくのを好まないところがあるからなあ
謙遜もあるだろうし、たとえ死に物狂いの努力をしたとしていても
おそらく自ら努力したとは言わないだろうね
猛虎烈伝のインタビューで>>54のエピソードを自分で語ってたけどね。
鉄アレイで毎日鍛えて、相当頑張りましたよと。
あと「田淵は天才で長嶋タイプだ」というイメージがいつの間にかついちゃったから
そのイメージを崩さないように振舞った。ホントは努力もしましたとも言ってた。
素質はブチの方がかなり上だろ
三羽ガラスのうち、新人当時はブチ>富田>浩司だったな
それまではスマートだった。
そのあと肝炎になって
薬の副作用でデブったんだろ
食べるのも練習のうちと95キロ台に中々乗らないと悩んでいた。
痩せるのも難しいが太る事も案外難しかったようだ。
ちょっと病的な痩せ方だったね。
そこへぶくぶく太った江夏が入ってきたから
ちょっと何だかねって感じだったw
久しぶりの再会で2人とも大人で話さなくとも
お互い心が通じ合っている感じだったね。
今の江夏ならともかく、現役時代の江夏相手に、
話さなくても解り合える人なんかいたのか?
キャンプでは和気藹々としてたね。
全体写真取る時も一緒に並んでたね。
松井秀喜も田淵と同じ位の体格だろうが、
松井の頃は清原とか同じような体格の選手がいた。
田淵以前では段違いの体格でまさに化け物と言える。
田淵はいきなり真面目にランニングと練習を始めて
周囲が目を疑ったらしいな。根本監督時代はチンタラしていたのに。
練習に参加しなかった大田なんかは広岡に落伍者扱いされた。
法大時代の田淵を見たことある広岡は、田淵は山本浩よりずっと素質があって
王以上の成績残せる選手だと思っていたみたいね。
江夏もそうだけど阪神でタニマチに甘やかされたんだね
田淵、江夏が巨人の川上みたいなところに入団したら、
どうなっていただろうな
大阪市民からもっとも嫌われるはずなのに、
ミスタータイガースになった人徳者。
田淵の父親が兵庫県か岡山県の出身だったから、
阪神ファンや関西のマスコミも親近感を持ってたんだろうね。
田淵が出てくるとピッチャーを
囲んだ輪が出来る事があった。
そういう打者って今ではさすがにいない。
それだけ田淵の存在感は凄かった。
ファースト一筋の人間と比べるのはどうかと。
一発狙いのバッティングが出来たとも言えるがね。
野手ならまずは打率が求められる。
それでも田淵くらいの選手なら野手でも適応できたとは思うが、
ホームランだけが人生だ、なんては言えないはず
歴代最高ぐらいの才能があったんでしょ
秋山よりも素質は上だろうし
松井との比較はわからないけど
真面目に練習したら常時45本ぐらいなんじゃないかな
田淵+練習量=松井秀喜かw
松井も練習嫌いだったろ
70試合 29本って凄いな やっぱり素材は一位
練習しなくても打てるなら普通 練習しないよ 当時はメジャーもないし
こんな場面でマウンドに円陣が作られるのは田淵くらいしかいない。
流れが一気に変わってしまうからだ。
田淵が打つとチームが一気に生き返るのは不思議だったね。
トレーニングもせず、ナチュラルパワーだけでやってたんだろう。
この田淵イズムを悪い意味で引き継いだのが清原。
ウェイトどころか普通の練習もたいしてしてないだろう
まさにナチュラルパワー
一般人でも一切 トレーニングなしでも力の強い人はいるし
身体能力高い人もいる
江夏の球をミットがぶれずに捕るために
2キロ程度のダンベルで腕を鍛えていた程度だな
結果として
それがバッティングにも良い効果をもたらしたらしい
田淵・清原・松井
共通しているのは皆希望球団に入れなくて悔しい思いをしている事。
反骨精神が彼らを突き動かしたのだろう。
松井は子供の頃から阪神ファンのアンチ巨人だったんだったな。
史上屈指の才能に任せて のほほんとやってる感じ だから憎めない
田淵さん巨人戦では闘志をむき出しにしていたね。
アンチ巨人だから巨人上位指名を蹴る選手っていないよな
反骨といっても知れてる気がする。
巨人の選手層の厚さや社会的影響力のプレッシャーで
入るのためらう人が多い。
これくらいの気概の無い人は巨人に行かない方がいいだろう。
中途半端な気持ちで入って巨人で潰れた選手は多いからね。
国民的注目を浴びるわけで活躍すれば人気爆発だが
プレッシャーも半端なかっただろうな
そんなもん当時だけとちゃいまんがな。
長島、王の頃からずっとだべさ。
松井はFAでメジャーへ
松井は阪神への未練はそれ程強くなかったのかも。
阪神よりもメジャーの方が憧れが強かったのかもね。
松井は時代的にも
メジャーへ行くべきして行った感じだな
日本のパワー型がどこまで通用するか見てみたかった人も多いのでは
あのタイミングで阪神行く言われてもなぁ
是が非でもプレーしたいとまでは思っていなかったのかも。
実際阪神に行くとなったら身の破滅だという事は
馬鹿じゃないから分かっていたのかも。
FAで行ったのは巨人だったし。
西武に行く事になった時は余り嬉しそうな顔してなかったね。
何かの縁ですねとは話してたけど。
やはりそれとこれとは違うんだろうね。
田淵「みんなが田淵は練習しない練習しないっていってたけどね。
僕は隠れてやるタイプだったんですよ~」
たぶんやってないなw
体重が無いとボールが飛ばないから体重を増やさないととレストランを
熱心にハシゴしていた。
それは人前で堂々とやってたよw
確かに体重ないとホームラン打てんが
確かに実際には道楽で楽しんで食べてた感じにも見えたねw
江川とか通風だったしなw
名指しは避けてたけど聞いてた人皆あの日ハムの人でしょと笑っていたw
馬力の弱い電気自動車だったから重い人乗せると大変だったとかw
普通の大人が1つ食べきれないほどの量の
チョコレートパフェ5個をぺロリと平らげたという。
3分の2食べたところで次を注文すると切れ目なく食べれて丁度いいんだとか。
あの風体でパフェとか笑えるw
だから甘党になる。
江夏下戸かw
初めて知ったw
あれだけケガが多くては練習量を増やす事は覚束ない
それでもあの本数だし。
だからDHにすんなり馴染んだんだろうね。
西部時代の田淵のDHはサマになってた。
少なくとも日本人で飛距離ではトップクラスというのが定説
ワンはとてもかなわない
よく「ボールの少し下を叩いてスピンかける」と田淵は言ってるが
ワン曰く「そんなことは不可能ですよ(笑)」
理論でなく才能で打ってた田淵が
リップサービスの意味で後付けした発言だろうけど
昭和55年頃に調子がよかったとき、インタビューで好調の秘訣を聞かれて
「最近走り込んでいるので、それがいいんだろうと思います」と言ったが、
試合前に外野の定位置にいて、コーチがノックするイージーフライを10分
ぐらいチャッチするのを走り込みと言ったらしい。
野村に「キャッチャーにとって一番大事なことは何だ」と聞かれて
「ボールを後ろにそらさないこと」と答えたという。
野村も、田淵というのは余程 考えるということを何もせずに野球を
している選手だと思っていたよ。
野村は昔 週刊朝日に連載していたとき、昭和56年秋に西武の次期監督に
広岡が決まった時「田淵もやっといい人にめぐりあえたな。広岡監督に
心酔しろ。今まで持っていた野球観は捨てることだ。もっとも野球観が
あったらの話だが」と書いていた。
さすがノムさん
このころは本当に適確だったよな
いつのことかわからないが、田淵に
「プロに入ってから素振りをしたことがあるか」
と聞いたらしい。
また、週刊朝日に
「田淵が王の半分でも素振りをしていれば、
ホームラン王のタイトルを王に独占されることはなかっただろう」
とか
「一流選手というものはよく練習していて、手のひらが固いものだ。
だが田淵の手のひらは一流選手というには柔らか過ぎる」
と書いていた。
2割8分も打てば絶好調と言われるほど打撃自体は雑でお粗末、
だが一旦当たれば、ボールは実に美しい放物線を描いて夜空に舞い上がり
スタンドに吸い込まれた。田豚のホームランには何度も感動した!!
二年目で死球うけて、生死をさまよったときに、
大量の輸血をした。
このことで、体質がガラっと変わってしまったらしい。
以降は田豚と呼ばれることに。
六大学でも長嶋の記録を塗り替えた
ハンサム、長身痩身、運動神経
全て、揃ってたのに。
あの死球がなければ、とんでもねえ記録作ったんじゃないかな。
確かに、あの時の頭部への死球は観たがゾッとしたな。
ヘルメットは割れ、血へどを吐いて鼻からも出血していた。
ピクリとも動かなかったから逝ってしまったと思った。
それを思えば、よくカムバックしたなと田淵に敬服する。
アレが無かったら野球の歴史は変わっていたかもしれない。
REAL天才ホームラン・バッターだった!
そんな事件があったのに
躊躇せずに落合の頭を本気で狙いにいってぶつけた盛田はマジキチだ。
田淵の二の舞になる処だった。
ファーストにコンバートされて、
田淵、岡田、掛布の内野が完成したかもしれないが
気分屋だけに無理だったかな
ただそれだと
掛布のスラッガーとしての成長はなかったと思われる
掛布自身も
「田淵がいればそこまでホームランに拘らなかった」
「自分は本来中距離打者」
と言っていたが
そうなったら藤田平トレードかな
ポジションほぼ与えられたも同然だった感じだったからな
意外と巨人に行って、川上にビシビシ管理され、森にイビられ
キャッチャーのポジション取れないでライトにでもコンバートされ
国松や末次と争って、甘やかさなかった方が良い通算残せたかも
3割1回は淋しい数字だな。
ホームランの打ち損ないが安打と言った門田が、2割8分9厘だから、
いかに田淵が低いか分かる。
門田はアキレス腱切ってなかったら
HRは減ってたが3000本安打打ってたと言ってる。
果たしてそうか?
怪我する前の門田って駒田に毛が生えたような成績じゃん。
田渕監督に「もう練習はやめろ」
って言われたくらい晩年でも猛練習してた。
そこまでして
「ホームランの打ち損ないが安打」
のレベルまで行ったのかもしれないが、
田淵はさしたる努力もなく
「ホームランの打ち損ないが安打」だった
いろんな人が言うように天才だったんだろうよ。
自分は門田にほうが好きだけどね
通算では門田>田淵だけど、本塁打率は田淵>門田。
打率なんざ
日本一になりたいという執念が田淵の体を動かした
第1戦で平野のセーフティバントを好捕したね。
ワンバウンド判定されて、珍しく滅茶苦茶怒っ
てたが、ただならぬ勝利への執念をみた。