捕手はいわば「脚本家」なのである。
現に捕手出身監督は、ことごとく日本一になり、連覇も果たしてきた。
上田利治、森祇晶、そして手前味噌ながら私。
この伝統をぶち壊したのが、田淵幸一と大矢明彦だ。
特に田淵は捕手の性格ではない。
私は現役最晩年の2年間、西武で一緒にプレーしたことがある。
田淵がレギュラーで私が控え。ロッカーが隣同士だったので、
ある日の試合後、
「なんであそこでストレートを要求したんだ。根拠は何だ」
と聞いたことがあった。
私は、捕手は「根拠のないサインだけは出してはいけない」と考えているし、
どの球団でもそう教えてきた。
試合中も右目でボールを受けて左目で打者の反応を見ろ、
漫然とサインを出しているようでは捕手失格だ、
理路整然と説明できるサインを出し、
万が一それが打たれたなら仕方ない……そうやって考えに考えろと指導してきた。
そんな私に、田淵から返ってきた言葉は
「イヤだなノムさん、投げているのは投手じゃないですか」
だった。
コイツはダメだと思った瞬間だった。
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>>209
古田や谷繁は兼任監督だからしようがないとして
達川が失敗するとは思わなかった。
>上田利治、森祇晶、そして手前味噌ながら私。
上田は実績なんか皆無。根本も同様だよね。
森も横浜で味噌をつけた。
手前味噌の「私」も阪神時代は酷かったねえ。
あの頃のカープは誰が監督やってもダメでしょ
同じく阪神だってそう
誰が監督やっても同じ
フロントがしっかりしないとね
星野さんはフロントを動かす力があった
達川や古田それに谷繁は
野村流にいえば目立ちたがりの性格が捕手向きじゃないそうだ
それをいうと
ノムさんもそれに当て嵌まりそうなんだけどなぁ…
だが、「名選手、必ずしも名監督にあらず」。
これにもしっかりとした根拠がある。
現役時代にスター選手だった監督、
特にスラッガーだった監督は、
攻撃野球を好む傾向が強い。
ホームランが何本も飛び交うような、
素人が見てもわかりやすい、
派手な野球が好みだ。
言い方を換えれば、ただ打って走るだけの才能と技術に頼った粗い野球である。
何かの間違いでハマれば確かに強いが、
野球はそんなにうまくいくものではない。
これでは到底、常勝チームなど作れない。
また、スター選手はその才能からデータを必要とせず、
細かいチームプレーとも関係なくやってきた者が多いため、
いざ監督になったら緻密な野球ができない。
そればかりか、その必要性や重要性をまるで理解しようとしない。
そのため有効な作戦が立てられないし、
相手の作戦を読むこともできない。
そしてもう一つ。
スター選手は自分ができたことは、
皆もできると思い込んでしまっている。
それを言葉に発してしまう。
「なんでこんなこともできないんだ!」
という言葉が、どれだけの選手を傷つけるか。
思ったことは何でもできてしまうから苦労を知らず、
そのため並の選手の気持ちや痛みがわからない。
自分のレベルで選手を見るためにうまく指導ができず、
言葉より感覚を重視してしまいがちなのだ。
苦労を知らない選手は絶対にいい監督にはなれない。
私は2年半ほど二軍にいたことがあるが、
これは今となっては良い経験だったと思っている。
二軍を経験して良かったことは、
二度とここ(二軍)には戻りたくないと思えることだ。
お客さんがいないところで野球をやる虚しさ、
打っても打っても自信のつかない不安。
昔の人は「若い時の苦労は買ってでもしろ」
といういい言葉を残したが、まさにその通りで、
苦労しているかどうかは、その後の人生に大きく生きる。
スター選手の代表格といえる
王貞治、長嶋茂雄のONは確かに天才的な選手だったが、
その余りある才能ゆえに苦労を知らず、それぞれの哲学がなかった。
だから監督としてはまったく怖くなかった。
ONに共通していたのは、目の前の試合に一喜一憂していたことだ。
味方がホームランを打つと、
選手と同じようにベンチを飛び出してきていた。
恐らく心のどこかに、現役時代と同様の
「自分が一番目立ちたい」という気持ちがあったのだろう。
私にはその心境が分からなかった。
最近では原辰徳がまさにこれだった。
確かに自軍の選手がいいプレーをすれば嬉しいし、
リードすれば「よし!」とは思う。
しかし、監督というものは
「ではこの先どう守ろうか、どう逃げ切ろうか」が気になるのが普通だ。
子どものようにはしゃいでいるヒマはない。
現に、川上哲治(巨人)さんや西本幸雄(阪急など)さんが
試合展開によって一喜一憂していただろうか。
監督が初めて喜びを露わにするのは、ゲームセットで勝ちを収めた時だ。
どんなに勝っても仏頂面だった
落合博満(現中日GM)までいくともはや変人だが
まだONや原辰徳(巨人)よりはマシだ。
長島 8094-444 13
田淵 5881-474 1
田淵は王がいなかったら本塁打王10回くらいはとれてたな
40本打っても
王が毎年47ー48本打ってタイトルさらっていったから。
スレタイに沿って仮想するなら、例えばもし当時の阪急に入ってれば
田淵も西本監督の下で嫌でも猛練習してただろうから
ノムさんを上回る超強打・強肩の名捕手誕生という事になる?
まあ現実味が余りに薄い妄想だが
捕手として大成は厳しいのでは?
一塁手に転向して、加藤英が外野手になり
黄金期の一員になれたかもしれない。
いや、十分阪急の正捕手になれるだけの素材だっただろう
なにせ田淵は若い頃、強打強肩俊足だった
大学時代は、同期の山本浩司や富田よりも足が速かったんだからな
肩はともかく、問題なのはリード面。
西本監督や上田監督が、田淵捕手にガマンし続けるのは難しいと思う。
>>224
リードは教育しだいでどうにでもなる
昔は各球団、場合によっては
ベンチからサインを出す事も往々にしてあった訳だからね
西本近鉄時代も梨田がマスクを被る時は、
当初はベンチからサインを出していた
そのベンチのサインの元は、有田の意見だったんだけどね
浩二は100m11秒台だったはず
田淵は10秒台だったのかw
いや、これは本当の話。
田淵はもとより、浩司本人もテレビでそう語っていた。
一本足打法というある意味不安定な打ち方だったけど
死球を避けるのが上手かった
田淵も足を上げる打法だが危険球を避けれなかった
シーズン半ばで王の55本を超えるペースで
ホームランを打ち続けた事も数回あったが
故障で1シーズン続かなかった
通算で超えられなかったことは言うまでもない
すり足打法なのに死球を避けるのが上手くなかった清原…
そりゃあ清原は当たり屋だから。
田淵に投げるのは怖いと言ってたな
避けたら破綻するバッティングフォームなんだろうな
親友の浩二は避けるの上手かったのに
あともう少し頑張ってれば500本は打ったのにね
84年はまだ諦めてしまうほどの成績でもなかった
同じ年に引退した山崎もレギュラー外れて即引退だし。
本数も長嶋越えは果たしてたし、そこまで拘りなかったんじゃない?
秋山・清原とクリーンナップを打つ
こともできた。
秋山・田淵・清原の三連続ホームランを見たかった。
阪神時代に死をさまよった田淵に
そんな事を平気でするパリーグの投手の神経を
疑った
避けない田淵がわるい
死球が少ない右打者のミスター、ピーコ、落合は
球を怖がりすぎるとう揶揄されたものだ
だから危険球一発退場のルールになったんだ
避けたら術中にはまることになる
だから当たったとしても踏み込んでいく必要がある
「がんばれタブチくん」
で存在を知って(声は西田敏行だったか)ギャグ扱いの選手と認識
西武で82年83年の連覇で主軸で活躍してビックリ
もう終わった選手だと思っていたから
DVDも買ったしたまに観てる、
本人はアニメに怒ってるとかあったが実際は気にしてなかったとか
・・・一方相方扱いの安田は松岡と劇場版観に行ったとか
広くて中々ホームランが打てないとよくぼやいてた
広島へ行く話も出ていたので
西武でなく広島だったらもっとホームランを
打てていたかも知れない
市民球場は飛ばないボールだし
只、当時の広島はというか
今もそうだが守備重視のチームなのでどうだったか
確かにカープへのトレード話もあったが
田淵がカープに来たら水谷は放出でしょうな。
捕手は田淵と水沼の併用になっていたのだろうか?
(田淵がスタメンで出場し、後半は水沼が守備固めで出場)
また、田淵獲得となると、広島も相当な選手を交換で出さなければならない。
投手なら外木場・池谷クラス
打者なら大下・三村クラスを要求されるだろう。
田淵や西武中村辺りも高そうだが
規定不足で30本とか
西宮や藤井寺で量産したのか?
ブチは1980年に43本打ったけど
スーパーラビットを4球団も使ってたらしいからな
マニエル48本塁打
ソレイタ45本塁打
田淵43本塁打
門田41本塁打
レオン41本塁打
80年前後のパ・リーグの打撃成績は参考記録でいいだろ
ググったら出てきた
田淵幸一(西武)
123試合43本塁打・・・2.9試合に1本塁打
【ミズノ球採用試合】
97試合39本塁打・・・2.5試合に1本塁打 130試合換算52本塁打
【ミズノ球以外採用試合】
26試合4本塁打・・・6.5試合に1本塁打 130試合換算20本塁打
広島の選手だったら20本前後だったろうね
西武球場の中間の膨らみ113.7メートルは今の球場と比較しても
決して恥ずかしくない広さ
今の横浜よりも広い
当時としてはかなり広く感じられたので
田淵も西武球場の広さには苦労してたようだ
高い放物線を描くホームランなので
だから川崎のフェンスも意外と苦手にしてた
余裕で入る当たりが川崎のフェンスに当たってしまう事があって
やり難そうだった
>>284
?
逆でしょ?!
川崎球場ってフェンスが高い分アーチ型の方がスタンドインしやすいでしょ。
寧ろ王・杉浦・秋山みたいなライナー型には鬼門。
ホームラン結構ふいにしてる
川崎を得意にしてる感じでもなかった田淵は
場外ホームランを田淵は打っている
あの西日よけシャッターが設置される前かな?
それだとしてもその飛距離は凄いね。
最後は行ったと思った打球がレフトフライになって引退した。
柵越え本塁打とランニング本塁打と記録を分けるべき
ランニングホームラン王になれる。
当時はそんな時代だったんですね
寧ろスペの割には4千万も貰っていたと考えるべきだな。
その後の記者会見で、
「なんでわたしが・・」と人目を憚らず号泣していたw
当時子供心に、この人は純心な人だなぁと感じたよ
この時代の選手は解説者で選手時代の年俸以上を稼いでたからね。
掛布も江川もそう。
今は選手の年俸は当時の何倍にもなったが、
OBの仕事がメチャクチャ安くなってしまった・・・
博満がはじめて1億超えるかってときも記者連中はみんな失笑してたらしい
ON、ノムさん、コージ、サチは何億ももらってたことをみんな知ってたからね
金村が言ってたけど栗橋クラスでも1億前後もらってたとか
>栗橋クラスでも1億前後もらってたとか
鈴木啓示が海を見下ろす豪邸を構え食費に百万以上使ったとか
年俸で考えると有り得ないと思ってたがそういう訳ですか。
やはりそんなには貰ってなかったとは思う
羽田が珍プレーで宇野並みに有名になって
珍プレーでCM一本取れたよと喜んでたな
野球選手は他業種と比べ低かった
ランクインの常連がON,山本浩二、掛布、原、江川、
80年代の西武以外のパリーグで1億は無理だと思うな
半端ないガラガラだもの
いま思えばやめた方が稼げる算段があったってだけなんだな
いまは引退後が厳しいから現役に固執するのは当然か
それはセの人気球団の選手だけでしょ。
門田や村田や大島等は現役に固執したじゃないか。
門田 33→31→18→6 本塁打二桁に届かなくなった年に引退
村田 10勝したのに引退 前年は最優優防御率
大島 チーム一の代打屋として3割を打つも大沢監督とともに引退
どれも固執してたとも思えんのだがね
むしろ掛布の方がズルズル引き延ばしてたとも
村田なんか今だったら引退させてもらえないよ。
これは今もそうだが、190cm超えてる選手は188とかで登録するのが多い。
駒田はもうごまかし切れなかった数値だったんだろう。
175cmの王と大人と子供位の差があったし
183cmの浩二よりもひとまわりでかい
江本も190以上あるし巨人バッテリーだったよ
確か185ぐらいだったんじゃないかな?
マー君(191cm)くらいに見えたもんだが
オーラででかくみえてたのか
いまは加齢で少し縮んで187程度か
江川は山本浩二とほぼいいっしょだから183で間違いない
昔の野球選手は大きかったよな
も抜けて大きいだけでしょ。
HR打ってお出迎えのシーン見たら外人以外、子供に見えるぞ。
現在の選手が1人だけタイムスリップしてプレーしてるみたいな体だ。
現役ホームラン数上位の身長(実寸)
中村剛也 171
松田宣浩 173
村田修一 172
松井稼頭 170
山田哲人 176
平田良介 170
菊池涼介 168
180以上
筒香 新井 鈴木誠也 大谷翔平
田淵、山本浩二よりでかいのなんて翔平くらいだろ
20代の野手はドチビばっかだな
体格偏重主義ではなくなったから
昔の野球というか
スポーツ界の一番の課題は兎にも角にも体を大きくすること
だから体の大きい人は重宝がられた
今は体格偏重主義は幾分和らいだといった感じだね
小さい人の俊敏性も見直されるようになった
田淵はのんびりした環境で、伸び伸びと才能を発揮するのがよい。
晩年にまだ選手層の薄かった新興球団の西武に移籍したのもよかった。
最も競争の激しい広岡西武の下でも田淵は特別な存在だった
田淵はどこへ行っても特別なんだと思う
相手チームが中盤3点リードでランナーなしの場面で田淵が登場したら
マウンドに輪が出来るくらい打たれたらマズいそれだけ特別な選手だった
キャッチャーとしての観念が野村と違いすぎる
野村が布教したリード教が旬を過ぎ、
12球団の捕手を苦しめている現在、
球界は田淵の考え方に立ち返る時期だと思う
問:野村 答:田淵
キャッチャーにとって一番大切な事とは……→ボールをそらさない事
リードとは……→投げるのは投手ですから
練習は万能ではないし、才能には限界がある
リードの才能だけを見るから貧打でも起用する事になる。
(その才能もチーム1というだけでずば抜けた才能ではないから普通に打たれる。生兵法。それでは意味がない)これが球界の現状
選手はまず、自分の一番の『野手としての』才能で自分を売り込み、
それから、二の矢、三の矢としてリードを覚えるべきだと思う
リードだけがキャッチャーじゃない。
練習だけが練習じゃない。もっと本質を見ようよ
田淵がいた頃の阪神は強かったよね
殊更に捕手のリード、配球を重視する野村が与えた悪影響って
結構大きいんじゃないのか。
大型捕手が生まれないのもそこも大きいと思う。
打てる捕手が見たい。それもHRが打てる捕手を。
江川によれば、捕手にとって最も大切なのはキャッチングだと言う。
自分は捕手がキャッチングするのは当然のことで、リードや配球こそ
が捕手の本領だと考えていたから、江川の話に驚いた。
だが、江川によれば、キャッチングは実は難しく、本当にきちんと
できている捕手は実は少ない。本当にできていたのは、ヤクルトの
古田と西武の伊東だけだった。だから、このふたりは長年活躍した
名捕手なのだ、と。
だとすると、田淵が捕手の主眼をキャッチングだとしたのは、
実は正しい考え方だったのかも知れないと思った。
ボールを逸らさない事というのはプロとしては志が低いというか。
お前デブだからキャッチャーやれみたいな風潮があるから
いい人材がキャッチャーに集まらない
これはサッカーのキーパーにもいえることだが
外人の思いっきり吹っ飛ばされて脳震盪を起こしていたので
サードはやはり体の大きい人がやった方がいいのかなとも思った。
キャッチャーもあの体格のいい城島が
メジャーでボロキレの如く軽々と吹っ飛ばされてるのを見て
キャッチャーも
やはり体が大きい人がやった方がいいのかなと思った。
野茂のあのコントロールも悪く
何処へ球が行くかも分からない荒れ球を体を張って止めてた。
それは日本の野球界にも影響を与えて
日本でもピアザのように
体を張ってボールを止めるキャッチャーが増えた。
そういえばピアッツァはイタリア系だから
サッカーだとGKが花形ポジションだから
野球だと捕手が花形ポジションになるのかな。
あれも凄い逸材だったんでしょ?
時々、外野を守ったり、代打に出たりで、
まさに槌田のようになっていただろうね。
正捕手が居座ってたらジエンド
野村は正捕手がいなかったから南海に行ったと
試合慣れさせないと活躍できない。
高井のように代打専門で活躍するのは難しい。
その猛練習が心に残る内容だった。
「猛練習したから、世界の王になれた」
というのが、当時の評判だったから、
あまり練習しない田淵は、野球ファンから対照的に見られた。
不覚にもワラタ
同期の浩二は通算記録で上位に名を残していますぜ、ダンナ
開幕当初は絶好調だったんだな
今みたいにベテランを休ませながら起用する野球なら
もう何年かやれたんじゃないか?
なんだかんだ300打席以上なんだね
「やめていく人に今さら言っても仕方ないが」
と前置きした上で、
田淵はもっと練習していれば、
自分は本塁打王をもっと田淵に取られていただろう、
と言っていた。
最後まで「練習しなかったこと」を、王にまで言われていて、
スレのタイトル通りの人なんだなあと思った。
王を抜いて
ホームラン王て難しいよ。
年間五十本近く打ってもなれない年も
あるからね。
バースやカブレラや
ローズやバレンティンが
王の現役時代にいたらね。
田淵、江川、清原
能力を使い切ることなく終わった一流選手
どんでん・パンダも。
どんでんはあの程度が精一杯
>>376
1流選手以外なら元木も
奴が能力を最大限に発揮出来たら原辰徳レベルにはなれたか?
あれだけ練習しない選手を初めて見たというレベルだからな。
並の選手程度でも練習していたらもっと凄かったんだろうが。
プロで長距離打者として活躍するのは難しかったと思う
通算450本は凄いよ。
頭部死球後に力を失う選手が大半だから。