後楽園は暗闇にうかぶ竹中公務店の文字がドーンと目に入るよね。
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レフトスタンドにはよくホームランが飛ぶから。
パイオニアも
「王選手は人気がなかった」って、
50代のジジイからしたら全く意味がわからん。
70年代後半、特に756号打ったあたりの王の人気ってただ事じゃなかったぞ。
テレビでも新聞でもいっつも王は居た。
プロ野球選手の枠をはるかに超えた存在だった。
プロ野球人でこれに匹敵するのって
(長嶋の選手時代はリアルタイムでは知らないので省くと)、
ちょっと思いつかない。
原も江川も比較にならない。
高校野球の助けを借りての一時的なものなら、
新人時代の清原とか松坂とかも大したものだったとは思うけど、でも全然。
あえて言えばイチローが近いか?でも東京の人じゃなかったしなあ。
ただ、上でも触れられてるように
監督やってからの凋落(ガッカリ)感も大きかったから、
その人気は忘れられてるっていうのはあるかもしれない。
福岡行ったのは、無論本人にとってもプロ野球にとってもいいことだろうけど、
東京の非野球ファンにとっては都落ち感あるだろうしな。
そりゃ715号や756号を打った頃のプロ野球界は王一色だったさ
でも振り返って見れば
それは長嶋引退後のたった6シーズンの間だけに起こったこと
助監督時代も大して話題にならなかったし
浪人生活の長嶋のほうが注目されていた
王の方がはるかに人気あったぞ。
>>205
王も人気あったけど長嶋の方が凄かった
リアル体験組です。
まるで神様でも崇めている感じだった。
王さんだってラーメン屋の普通のせがれと言われても
それが余計に努力の賜物を感じて偉大さが増していた。
その象徴的なのが王でありイチロー
逆に親近感があって記憶に残るのが長嶋茂雄松井秀喜
川上が言ってただろ
チームを勝たせるのが長島
終盤に駄目押しをして明日への準備をさせてくれるのが王
どちらも大事だが憧れるのはそりゃ前者だ
王は四球がかなり多かったと聞いたことがある
1試合で4回打席に立つとしたら
そのうちの2打席か3打席を四球で歩かせられ、
まともに勝負してもらった残りの1~2打席で本塁打や安打を打つ
といったケースが比較的多かった
だからあれだけの通算成績を残したのに1試合で3本の本塁打を打つとか
5~6打点を挙げるなどの派手な活躍は意外に少なかった
王の1試合最多本塁打は1964年の阪神戦の4本が有名だが、
このシーズン以降は
他球団から本格的に驚異と見なされ警戒されまくったのだろう
第5打席の2回目のスイングでホームラン
後楽園のライトスタンドで見ていた
チームメイトの長嶋だったというのもある
最大の長所である本塁打に絞れば、
他球団だと僅かにロバーツだけで、これは弱小アトムズの選手だったし
長嶋も実は本塁打王を獲ったことがあるんだな
さすがに王が覚醒してからは縁がなくなったけど、
それでも王と張り合う事はあった(1963年とか)
王と長嶋では本塁打では王が勝ってるが、打者としてのトータルの実力は
長嶋の方が上というのが当時の評価だったらしい
勝負強さを考慮したものだと思われるが
正解→長嶋茂雄が面白すぎるから
高度経済成長のシンボルが長嶋だからだよ。
バットを重そうに振ってるなと感じるが
長嶋は速くみえる
野村が一番スイングスピードが速いのは長嶋というだけある
>>233
長嶋茂雄は素振り第一主義の人。
日本代表監督の時も選手と素振りの話をしてた。
「ワンちゃんは振らせるでしょ?」とか。
何かにつけて素振りの話をするのが長嶋。
相当振り込んだんだろうな。
昨日、松井が上原と対決してたけど、松井のスイングスピードが異常だった。
やっぱり素振りは嘘をつかないな。
重そうってそりゃほんとに重いからだよw
毎日2時間素振りしてやっとまともに振れるような重いバットだからな
落合なんか握力90kgくらいで今でも怪力で病院で驚かれたと言ってたな
むかしの選手は非力だから
スイングスピードが遅かったと思いたいんだろうがそうはさせないw
王は握力弱いってのは聞くが強いなんて話聞いた時ないな
あと落合が90kgのソースは?
ウッズ、カブレラ、ローズ、清原は軒並み70kg以下だったし
メジャートップクラスの打球速度の大谷でも60kgくらい
スイングスピード150km超の山田は握力40kgくらいらしいな
握力とスイングスピードは相関関係なしだな
落合の握力については講演会でよく話してるよ。
握手した時に
「あ、この人、アクリルあるなー」
と思ったのは長嶋さんぐらいだ、って言ってる。
×アクリル
○握力
嫁に500円しか貰ってなかったとか悲しすぎるわ
いつの時代の500円だよw
妻に逐一連絡入れさせられていたようだ
自分の娘「三奈」について聞かれ
→ああ、三奈子の事ですか・・・
鈴木康友
→誰だっけ?
鈴木康友に「ノブヨシ、どうなんだ?調子は?」
ピッチャー阿波口
→ブルペンの阿波野と川口が大あわて
広沢代打時に「代打!広岡!」
広沢が微妙な判定の内野安打
→「広岡の内野安打が・・・」
高橋選手に「おい、山下」
清水選手に「柳田!」
ハギワラ→オギワラ
蛍の光→君が代
携帯電話→リモコン
ヤクルト藤井→稲葉
「セリーグ最多勝の稲葉君のピッチングは素晴らしいね!」
田村コピーの谷を指名したドラフト後「谷コピーの田村君」
阪神・濱中
→浜口、ハマダ君
藤立
→藤本
大豊
→ニイハオ君
井端
→岩瀬
ゴメス
→ロペス
木村拓哉
→木村琢郎
高倉健
→鶴さん
日航
→ANA
ガルベス
→バルベス、ガルビーノ
森岡
→藤岡
神内
→神月、神浦
赤星
→赤堀
矢野
→城島
「阪神の城嶋君はすばらしい」
ニッポン放送
→ラジオ日本
鈴鹿サーキット
→スズキサーキット
中田
→マイケル
ムーア
→メイ
中日・井端
→岩瀬
桑田
→クワダ
桑田の結婚式で「クラダは~」
高橋由
→高橋よしのり
入来兄と弟をよく間違える
由伸・尚成
→よしひさ
はなわに対して「佐賀君の出身はどこなの?」
上原浩治
→二岡
上原が事故を起こしたとき「うちの二岡が迷惑かけまして・・・・」と謝罪
上原に代打を送るとき、上原に「二岡、お前もう打たなくていいぞ」と声を掛ける
ガルベス
→ドミンゴ(スペイン語で日曜日の事)
入来祐作(生え抜きの弟の方)
→お兄ちゃん
岡田展和⇔入来祐作
⇒ 岡田展和にピッチング練習させておいて審判に「入来」と伝える
→救援失敗
→入来が「岡田って言ったじゃないか!」
→角コーチ「監督が岡田って言ったら入来なんだよ!」
岡田→オガタ
⇒ 「オガタは足が速いですからね」と岡田を代走に
「こんにちは、長嶋シゲルです」
→収録やり直し
→「こんにちは、長嶋シゲルです」
四条(よじょう)を「しじょう」
高村(こうむら)を「たかやま」
詳しいですね。まだまだありそうw
キャラとグラウンドでのギャップが人気の理由だったと思う
阪神の城島君は預言者みたいになっているなWW
カンピュータだよ。
長島はアタオカだから好きだったが出て来なくなった
あの人印象派の絵画が大好きなインテリだから
自主トレ期間も練習はそこそこで絵ばっか見てたと言ってたな
落合もニート時代は年間映画を200本みてた評論家並みの映画通
バリバリの全盛期は80とか90あっただろうな
それくらいなければ昔の飛ばないボールで150mも飛ばせないよ
王さんが非力だというのは王さんの謙遜とノムさんのデマで広まっただけ
でもって才所とかいう
奴が体力で勝ってるのにゴロマシーンとか
宮下に殴られたクロマティと同じだな
これが昭和43年のデータなんだよな、
「全盛期は握力80はあった」とか馬鹿かw
腕相撲では巨人でも一番弱かったんじゃないか?
握力もそんなに強くない
王がホームランを量産できたのは下半身が発達していて
一本足打法で下半身の力をバットまで効率よく伝達できたからだよ
今年の阿部もそうだが、完全に余裕がある選手は引退することはない。
>>279
最後の年は打率最下位で
更に翌年から圧縮バット禁止。
代打兼一塁で休み休み出ればある程度の成績は残せたかもしれないが
そういう形では続けたくなかったんだろう。
当時は今と違って
レギュラー陥落即引退とか
最後までレギュラーで引退なんて選手も珍しくなかったし。
派閥は反長嶋派の藤田系にちかかったんだよな
斎藤の使い方ぐらいか?藤田と違った感覚だったのは
あれに関しては長嶋系の批判も正論だったと思うが
別に斎藤の起用について長嶋派は批判していない。
当時のねじめ正一や玉木の著書を読んでみるとわかるけど
もっと抽象的な批判だった。
雰囲気が暗いとか選手たちを抑圧してるとか。
当時の選手たちのコメントを見る限り、実際抑圧してる感じもあったけど
後の長嶋第二次政権で長嶋信者が考えるような
爽やかで明朗な野球が行われていたわけでもないので
采配批判はともかく長嶋との対比はほとんど言いがかりみたいなものだろう。
ねじめ正一とか玉木とかそこら辺の長嶋信者って
やたらと現役時代の落合を持ち上げてたよな。
落合が長嶋ファンだったからか?
「いったいこの人はなにを考えてるのか私には理解できない」とボロクソに
王さんをけなしてたな
まぁ堀さんはいまだに王に殴られたことを
根に持ってないといえば嘘になると言ってるけどなw
仲は悪くなくて生意気な弟みたいなものなんだろうな
仲悪いでしょ
名球会も王や柴田が仕切るようになってさっさと辞めてるし
>>388
覚えている範囲で引退後も含めると
長嶋
大正製薬・リポビタンD(王と共演)、
片岡物産・バンホーテンココア、三洋商会、
セコム、カルピス・アミール
王
大正製薬・リポビタンD(長嶋と共演)、
亀屋萬年堂・ナボナ、ビクトリア、
カメラのドイ、デサント、東京西川
こんなところかな
オロナミンの出演が減るんだよな
ボンカレーと日立キドカラー、
大塚製薬カロリーメイト、任天堂ウルトラマシン
まだまだありそう。
カロリーメイトの広告、眉間のシワが凄かった。
ハンクアーロンと一緒にアサヒのJOと言う缶コーヒーにも。
スバル、明治乳業、明治製菓、大正製薬、ミズノ、オンワード樫山。
初のCM出演と言っても、本人の演技や台詞はなく、
日テレの中継映像を使用したもの(華麗な守備とHRシーンを編集)だった。
昔は巨人も人気あったな。
日本一になった翌年1982年は
原以外にも
オロナミンC 多数
定岡 明治製菓
角 サンテオレ アクタススポーツドリンク
江川 不二家ネクター メンフラハップ
西本 はごろも缶詰
まだあった?
藤田監督 IBM
伊藤ハム
オートバックス
オートバックスやってたね
本当に王が人気なかったかのように
思い込んでしまいそうな人間が増えそうだから危険だな。
特に70年代以降に生まれた人間は現役見てないし。
80年代辺りのひょうきんでぶりっ子でナウい時代においては
評価されにくいキャラクターだった。
○長嶋と比べて人気が無い
王と長島はセット。
王だけ、長島だけというのも中にはいた。
うちの父ちゃんは王のみだった。
担任も王だった。
王の悪口は言わなかったな
おっさんは長島
江川本人?近くにいた選手か関係者?
江川事件当時なら
王の新人いびり鬼畜エピソードではなく
人格の王にすら嫌わてる江川みじめエピソードとして
伝えられてたんだろうな。
結局あのCMが初めてだったしな
謝罪に行こうと近づいたら小林に手で制されたと
六本木のステーキ屋に
彼女(後の奥さん)と行ったら小林とばったり。
江川が「小林さん…」と謝ろうとしたら
小林が「わかってるから」と手で制す。
テーブルに戻った江川と彼女は泣きながら
「小林さんっていい人だね」と。
ここで終われば美談だが
世間知らずの江川は帰り際にもばったり会い
空気読まず
「小林さん、ここ僕のテリトリーなんで荒らさないてくださいよ」
となめ腐ったことを。
流石にその場では激昂しなかったが小林は後に人に
「江川は常識ご欠如してる」と吹聴した。
後段マジか?にわかには信じがたいが
>>445
本宮ひろしの「たかされ」に。
小林がその件で言葉失った、って証言を本宮にし、
江川に尋ねたら「言ったなあ」と。
「お前さんは小林が全部許してくれたと思って軽口叩いたのかも知らんが、
小林だって『この場は人目もあるからやめろ』と言うつもりだったかも」
と。
小林と打ち解けるために軽口を叩いたともとれるが、
それにしてもそれは時期尚早過ぎだな
体育会特有の殴る、いじめる、潰すと言った体質否定していたから。
マゾが多いプロ野球選手は
「あの時殴られ、いじめられ、しごかれたから今の自分がある」
と本気で信じてる、と言うか洗脳されてるの多いから。
子供のころ、「王選手の野球盤」で遊んだ人は多いはずだ。
長嶋引退後の51年、52年頃からじゃないかな?
ちょうどその頃、700号、715号、756号、800号…
って毎年記念のホームランを打ってお祭りになる。
それが年1回くらいのイベントのような感じになって
少年ファンの 英雄になる…
長嶋が現役の頃は13年連続ホームラン王、2年連続三冠王でも
あまり騒がれなかったんじゃなかったかな?
でも、子供は圧倒的に王だったからきんさで王のほうが人気だったかもな。
俺のクラスでは圧倒的に王選手だった。
どうも子供ながらに
王のほうがスゲーって感じでみんな見てた記憶がある。
でも、当時はどっちも凄かったし、
どっちが人気がある、とか考えてなかったな。
今で言えば坂本勇人と阿部慎之助みたいな感じだろう。
巨人の星とか侍ジャイアンツで
厳格で指導力のあるキャラクターで知られるように
なったから、印象に残っている人は多いだろ
青田は阪急のコーチとか大洋の監督だったが、川上ほどの知名度ではない
それほど目立っていたわけじゃないからね
川上はいつも優勝監督だったから、年々大きな存在になっていった
やっぱりホームランを打つ頻度も高かったから人気は圧倒的だったぞぃ。
巨人監督になってからの急落っぷりがすごかったけど、ダイエーに助けられたね。
卵投げつけられてそのまま監督辞めてたら今どんな生き方してるのかな、と。