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ピッチングコーチ不要だった。
あの時叩いていた中日ファンは今どうしているのやら
初年度はピッタリ.280 15本だったな
ほんとに長嶋監督に勝たせるためだけに巨人に行ったな。
他の監督なら巨人へは行ってなかっただろう。
男気をみせた。
「あの落合」が4番に
控えているということで頼もしく思った。
同意。落合がチャンスに凡退しても、
落合がだめならしょうがないと納得できた。
その感覚は原ではなかったことだ。
はぁ?
チャンスで見逃し三振は致し方ないとして、
胸張って堂々と威張ってベンチに退く態度見て
殺意湧いたわ。
凡退してしょげかえって涙目でベンチに帰る4番なんて
頼りなくてみてられんけどな。
イチローも凡退したときこそ胸を張って悠々とベンチに帰る。
そうしないと相手投手にナメられると言ってるしな。
落合は敢えてそうやっていると愛甲が言ってるな
四番が打てないような素振りをしたら
他の選手に影響がでるだろと
松井がよく見逃し三振をして
天を仰いで「しまった」というポーズをしていたが
4番がああいう態度はやめたほうがいいと
よく解説者に指摘されていた。
チャンネルかえてたわ
2年目、3年目の成績が上がってたのが凄い
それとあれ、種田だったっけかなあ
ファースト守備で暴投気味の送球取ろうとして
ジャンプしながら伸び上がってたところに
バッタランナーが突っ込んできて吹っ飛ばされて
トラックの荷台から転げ落ちた豚みたいに吹っ飛んだときの怪我
肋骨ヒビ入ってテイクバック取りづらくなった
長冨から背中に食らった死球でおかしくなったと言っていた。
落合のことを悪く言ってはいけないような雰囲気が
この頃のメディアにはあった
死球がなかったら93年パターンで
最終的には2割8分台で終わったかも。
あの年の8月はスポーツ紙の一面が毎日松井だった印象
理想のオーダー。
95年10.8
3番松井・4番原・5番落合
原が打ちもらしたら落合よろ!
1年前がナゴヤ決戦で
翌年が原引退試合
因縁だな
>>31
必然的にシーズン終盤となる月日だからね。
他にも巨人にとって何かあった気がする。
96年優勝日だったかな...。
桑田の手術のための渡米が10月6日、
5月か6月頃にリタイアして原の引退式典にも出ず
何をやってたんだ...と未だに思うな。
去年のロペスの成績からみて
95年落合のような選手か?と思ったら
今年は一発屋になってた。
テレビで見てると一瞬どん詰まりの内野フライかと思うのに
画面切り替わると誰も届かないヒットゾーンに落ちていた
>>27
テキサスの哲
(戦後復帰直後や晩年の川上に付けられた異名)ならぬ
テキサスのオチか。
彼が中日監督就任に就任した際に、
「ひょっとしたら川上ばりの(若しくは川上以上の)手堅い野球をやるかも。」
と予感させた一つの所以かもなぁと。
理屈と信念で野球やってたタイプだしな
どこか野球観も似ていたのかも
2割7分、10本くらいだろうか?
>>30
3年目の死球が致命的で
巨人のままで数字残せたとは限らないけど
代わりに来た清原が一発屋だったから
落合が残ってたら...的な未練が残る。
まあ、FAの制度ができた時点で
いつかは清原の移籍があるとは思ったけど
安定的に.280 25本くらい残す選手として機能して欲しかった。
落合は
原→松井の生え抜き4番ラインのつなぎとしての役割を求められていた。
原が衰え、松井はまだ若く、巨人の4番としては心もとなかった。
そこへベテランの落合が4番としてのお手本をみせ、
松井が成長してきたタイミングで
4番を引き継いで引退という流れがべストだったと思うし
そうすると思っていた。
そういう意味では
巨人が清原を獲ったのは裏切られた思いだった。
結果的に多くの巨人ファンを失った。
原の引退弾に続くヒットが渋すぎる
最終打席を終えた原を迎えることなく
打席に向かったと思いきや
広島の野手にボールを要求して原に手渡し握手
こういうことをサラっとやってさまになる
数字以上の存在だったことは間違いない
フロントが清原獲得に動いたから
しょうがなくとっただけで
それを知ってたから
落合が「起用で長嶋さんを困らせたくない。」
といって移籍したのか。腑に落ちたわ。
「コールズでもサードができるんだからサード清原でいいだろ」
と思っていたが首脳陣の考えは
「一塁・清原、代打・落合」
だったので出番を求めて出ていったと。
あの時点でのサード起用は無理だったろうね。
20代前半までなら、
守備、走力も高レベルだったんだが。
多分、すごいオーラが出てたよあれ。
あれが4番打者だと思う。
チームの勝敗全てを背負った男のみがまとうオーラ。
いまはそういう打者はいないね。
4番目の打者ばかりだ。
完全に4番目の打者だったじゃん
まともに4番の働きをしてなかったから
中日に追いつかれたんだろうが
96年の
3番松井 4番落合 5番マックは強力だった
正直落合故障して
よくメークレジェンド完結したと思った
>>43
メイクドラマだぜ
レジェンドは2008
野口に当てられなければ
シリーズ出られてシリーズ勝てたんじゃないか
と思うこともある
今のバッターでこれに匹敵するのはいるだろうか?
常日頃から残した数字が全てと言ってる落合からしてみたら
風格だ、存在感だとかで持ち上げられても嬉しくないだろ。
年齢を考えたらよくやったとは思うが
球界日本人最高年俸をもらっている以上は
物足りない成績と言われても仕方ない。
年俸はベテランになってからピークになるから成績と直結しないよ。
それに、巨人に来てからも、
中日時代の後半2年間と同等以上の成績を残しているわけで
年齢を考えても十分に期待に応えたといえるだろう。
逆にあの年齢で巨人が
落合にタイトルに絡むような活躍を期待して獲得したとすれば
巨人のほうが馬鹿というしかない。
>>51
長嶋監督は280.15でいいと言ってその通りだった
また落合は巨人一年目は選手として
はじめて個人成績以上にチームのために戦ったと著書で書いている
落合の存在感、4番としてのドッシリ感、こういうものが必要だった。
同時に当時伸び盛りの松井にとって
手本となるべき存在、という意味合いもあった。
補償金とか合わせれば何億だ
元木大介に億の年俸を払うチームだから。
立場上
「獲得は失敗だった」とか
「物足りない」なんて言うわけが無い。
だから見切りを付けて清原に鞍替えしたわけで。
>>58
清原獲りは単に巨人の意地ってだけでそ。
何でも1990年日本シリーズで惨敗した際に、
余命幾ばくも無い務台に代わって、次期読売トップ
となるのが確実視された某氏が
「どんな手段を使ってもあそこの4番を獲れ!」と厳命したのが、
読売がグループ挙げて球界内外(西武・堤オーナー含む)に
FA制度導入への圧力を掛け始めた切っ掛けと言われている位だし。
江川の「空白の一日」を突いた入団の筋書きを書いた人物とも言われている
(つうか当の本人が堂々と発言し、それを聞いた小林も苦笑したらしい)し、
さもありなんと。
である以上、巨人は清原を引き取らざるを得なかったと。
足を使った繋ぎ野球でチーム一新を図っていた
当時の西武・東尾監督も
「清原?出ていきたいヤツは出て行けば良い」
と、半ば突き放した言い方で、
実際、翌年
松井稼、大友、高木大の1~3番の機動力を全面に押し出した野球で
パ・リーグペナントを奪還した。
>>59
>当の本人が堂々と発言し、
それは知ってる。三山だろw
調子に乗って原に対してでかい態度をとり始めたら、
原がぶち切れて辞任したきっかけを作った奴だよな。
実際清原も阪神のほうが金銭の条件はよかったと発言してるし
実際巨人はそこまで欲しがっていなかった
けども堤からナベツネによろしくとお願いされた
94年の優勝決定試合で1億円ホームラン打って優勝したから
よかったものの、あそこまでもつれた要因のひとつが
後半の落合の不振だからな。
でもまあ結果的にドラマチックな結末になってプロ野球が
盛り上がったからよかったといえるのか。
落合も本当に引退したんだろうか
長嶋は1994年負けてても絶対責任は取らなかっただろう
1997年1998年1999年優勝逃したシーズン後
コーチに責任押し付け、
クビ切られても長嶋が何事もなく監督続けているのを見る限り、
1994年優勝できなくても監督続けただろうよ
10.8での落合の打席での表情が凄すぎる。
ものすごい集中力だったんだろうな。
守備でケガして治療で引っ込んだときも
「俺は出るんだ!」と言い張ったらしい。
そりゃそうだろ。
あの試合打てなくて
中日に負けたら落合がA級戦犯になるんだからw
A級戦犯が誤用されて久しいが
これは本来の意味でもA級戦犯のケースだな
大したものだ
長嶋巨人にふさわしい話題性のある優勝で結果オーライ
落合にしろ清原にしろ広沢にしろ江藤にしろ
大体みんな前年の成績と対して変わってない
清原の一年目は前半酷すぎだったのは確かだが
最後に帳尻を合わせたが
ヒドかった気がしたけど
http://www.geocities.jp/osahru_bbd/yeardata/90/g1997.html
先発投手陣は大体防御率3点台で大崩れはなかったな。
まあ、ヒルマンが全く機能しなかったのと
斎藤雅がそれまで同様にエース級の活躍ができてればって感じか。
ここから06年に尻が抑えに回るまで
まともなクローザーが存在しなかった
巨人は先発完投の伝統にしがみついてたからね。
ストッパーを補強することは伝統に反すると。
ちゃんと見てたのか?補強はしてたろ
野村河本ペドラザなど
外国人投手も毎年のようにとってきてた、ミセリとか
ただ使い物にならなかっただけ
明らかに金かけてないだろ
落合のFA巨人移籍が持ち上がった時点では
槙原のFA残留で年俸高騰に落合入団の話が重なって
篠塚・原辺りがおもしろくない的に火種になって
報知かどこかの新聞の見出しが
『巨人内乱』って感じになってた記憶。
それでも落合入団後に
ちゃっかり原が打ち方を教えてもらおうとしたら断られた
みたいな記述が出てきたw。
原・落合の関係はそれほど険悪ではなかったのか。
駒田は横浜に移籍して正解だったかなと。
2000本安打とマシンガン打線で優勝日本一味わえたし
自分のポジションが脅かされるのと、
労組・選手会で勝ち取ったFAの権利を
労組・選手会を脱退した奴が使うことをよく思っていなかった。
尻氏が抑えに回った年の尻氏自身の防御率悪かったけど
抑えに入る前の成績が響いてのことだっけ?
一応、単年では岡島・河原・林など
尻氏よりセーブ挙げる投手がいたけどね。
それもあるが
中日に胴上げを見せられた試合でボコボコにされたのが響いた
福留タイムリーとウッズグラスラ
あれがなければ3点台で収まってたはず
長嶋の前任の藤田時代に
斎藤・桑田・槙原って完投能力の高い3本柱が揃ってたからだろ。
その前は鹿取とかいたし。
1、2番手は球数120ぐらいで先発完投を目指してほしいな。
JFKみたいな中継ぎが80試合も投げるみたいなのは長続きしない。
逆に低間隔完投になれた選手が分業になったら
リズムが悪くてダメになったというのもいた
なぜNPBは横並びが好きなんだろ
>>99
NPBは月曜日が基本休みだから
先発6人制を引くと綺麗に中6日で行けていいってだけだろうな。
投手の調整も一定間隔になるし。
昔、広島のチェコが中4日100球にこだわったせいで、
他の選手のローテがチェコにあわせて
変則的になるってボヤいたのを思い出した。
最近、日程の関係で中4日・中5日になると
球自体は走ってるのに、制球が定まらない投手とか多くね?
あれ疲れじゃなくてら間隔が変わったことによる調整不足だろ。
そのせいか昔はエース登板の試合が雨で流れたら確実にスライド登板だったのが、
次の投手がよっぽどの雑魚とかじゃないとスライド登板もしなくなったよな。
ローテをいじりたくないために。
取った落合と、
落合を取ることで出て行った駒田1994
落合 .280 15本 68点 OPS.815 3.8億
駒田 .284 13本 68点 OPS.749 1.2億
ファースト守備は駒田がずっと上
同じ成績でも駒田が4番では相手に対する威圧感が違う。
長嶋が三顧の礼で迎えた落合をたたけるはずもなかった。
だから、成績に表れない点を無理矢理評価した。
落合が成績以上に評価された部分は、
グラウンド上で監督をやってたからだろうな。
良いタイミングでマウンドに歩み寄って投手に一声かけたり、
ピンチで勝負するのか歩かせるのか
ベンチから指示がないからとベンチに判断を迫ったり。
野村監督が
「グラウンドにもうひとり監督がおる」
とぼやいてた事もあったな。
あの死球なければ300 30本も狙えてた
どうも日本シリーズはベストの体調で出れなかったな
落合は巨人に来てチームメイトを持ち上げる発言してたよね
・・・あたりまえだが
原をたたくけど原より長年成績残してる選手って
12球団の日本人で俺くらいだよ
広沢と池山?冗談じゃないよとか言ってたね
あの時点の巨人の4番でファンが納得できるのは落合だけだったな。
落合まで打席が回ってだめだったらあきらめがついた。
いやいや、移籍1年目は叩かれていたわな。
落合の打席の際の応援ボイコットとかも。
なりもの入りでホームラン15本は
さすがに期待外れ。
前年17本だったし、普通に.280 15本位の予想だったけど
実際そうだったし
全打席が全国テレビ中継されファンの目にさらされる。
チャンスで凡退して負けたら全責任を背負わされることになる。
そのプレッシャーは他チームの4番とは比較にならない。
並みのバッターなら潰れてしまう。
落合は年齢を考えると十分合格点だといえる。
>>124
年齢関係なく
巨人の4番は結果出ないと叩かれるよ。
長嶋や王ですら
晩年打てないと叩かれていたらしいし。
結果の残して当たり前で
凡退した打席への追求がハンパない。
そういうプレッシャーをはね退けたのは
近年だと2000~2002年頃の松井くらいじゃない?
五輪競技から世界的スター選手が続々誕生し
Jリーグや格技などが日本でも人気を博すなど価値観が多様化して
プロ野球が国民的関心事から離れて久しい2000年以降の松井の時代の
巨人の四番のプレッシャーなど王や原に比べれば無に等しい
原のプレッシャーが一番だろう。
比較対象がONだった上に
視聴率的に注目度が一番あった時代。
それこそ野球に興味ないジジババでも
原はチャンスに弱いといってたからw
叩かれポジションで損な役回りだからな。
その重責は実績十分の落合に任せて
あとの選手はそのプレッシャーから
解放させてある程度楽にプレーさせてやろう
という配慮もあった。
世間的には1番注目度高かった時代か
80年代は経済や娯楽も絶好調だもんね
原はコンスタントに結果を出した打者
通算成績はしょぼいが、
確変があった打者のほうが評価は高くなりやすい
ショボイ成績だったから
原が再評価されたな。
当時、若手の投手が多かった横浜やヤクルトなんかは
全盛期の落合なんて知らないから、
怖いもの知らずのノリでバンバン胸元を攻めてた。
さすがに落合も
「いい加減にしろよ」
とばかりにブチ切れてたことがあったが。
94年は内角直球がことごとく打てなかったので
内角攻めは必然だったからな。