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ドラフトで阪急ブレーブスが江川を指名するが、巨人入りを熱望していた江川は入団を拒否。
江川は慶應大学を受験するが不合格となる。
不合格結果がテレビのトップニュースになるほど江川は注目されていた選手だった。
結局、江川は法政大学に合格し進学する。
面白いよな
でも全く売れてなさそうで悲しい
しっかり取材していそうだけど、現在も生きている人物を書いているから
凄い気を使って書いているのが伝わってくる
1977年
江川は東京六大学のリーグ戦で優勝に貢献する等、活躍し大学4年時に再度ドラフトにかかる。ドラフトでクラウンライターライオンズが1位クジを引く。巨人は2位。
(当時のドラフトは抽選で決めた指名順に基づいて順番に選手の指名していった。)
ライオンズの代表は1位クジを放棄する代わりに巨人若手の西本聖投手
(プロ入り2年目 47登板8勝5敗4S 防御率2.67)を譲渡してもらう密約を結ぼうとしていたが、ライオンズのオーナーは不人気挽回策としてスターの江川獲得に拘りご破算になったという。
ライオンズから正式に指名された江川は指名を蹴り、1年間の浪人を選択。
高校の母校である作新学院の職員としてアメリカに留学した。
なお西本は中日、オリックスを経て通算504登板165勝128負17S 防御率3.20の成績を残す。
また、沢村賞も受賞しているが奇しくも圧倒的な成績を残した年の江川を押さえての
受賞で物議を醸した。
クラウンライターライオンズは1978年に身売りし、翌年西部ライオンズが誕生した。
西本に目付ける流石の慧眼
選手を見る眼力は異常やったからな
山本スクリュー渦を巻く
震えるスピード与田剛
頼りにしてるぞ郭小松
(燃えドラ1991)
熱い
11月18日
ドラフト4日前、江川は留学先のロスにてドラフト当日に記者会見をする予定だったが
巨人から連絡があり、急遽日本に帰国。
11月21日午前
巨人がドラフト前日であるこの日に江川との契約を発表。
当時、監督だった長嶋はテレビで発表されるまで知らなかったようだ。
協約に則った俗に言う空白の1日における巨人の主張は以下の通り。
1.どこの学校にも在学中ではない
2.江川を指名したライオンズの交渉権は前々日(11月20日)で消滅している
3.ドラフト前日にいずれの球団とも締結されていない選手である
上記3項目全てに該当する江川とはドラフト日前日である21日に契約しても問題ないとした。
何を今更
ドラフト前々日を交渉期限とした協約の意図は、交渉対象者が遠隔日だった場合、
翌日のドラフトにスカウトが間に合わなくなるという昔の交通事情を鑑みたためらしい。
なお、この空白の1日の問題についてはかねてから各球団気付いており、
オーナー会議で議題に上がった結果、次シーズンから執行されることが決まっていたという。
もちろんそのオーナー会議には巨人オーナーも参加している。
セリーグ会長が巨人による江川の登録を却下する判断を下す。
この判断に反発した巨人は、日本野球機構からの脱退して新リーグ設立を示唆する。
同時に江川の地位保全を理由にコミッショナーとドラフトで江川を指名した球団は
裁判で訴えることも示唆。
セリーグ会長が巨人の江川登録を却下する判断を下す。
この判断に反発した巨人は、日本野球機構からの脱退し、新リーグ設立を示唆する。
同時に江川の地位保全を理由にコミッショナーと江川を指名した球団は裁判で訴えることも示唆。
これによりセリーグは翌年の開催日程を組めない事態に陥った。
11月22日
巨人はドラフト会議を欠席。
江川を南海、ロッテ、近鉄、阪神が指名し、結果、阪神が交渉権を獲得。
ドラフト直後、巨人は会見を行い、12球団全員が参加しないドラフトは無効なので
阪神の交渉権も無効であるという見解を発表した
槇原の何かと持ってる感も異常
よく紳士とか名乗ってるよな
裁定主文・・・昭和53年11月21日に読売興業株式会社東京読売巨人軍が江川卓選手と成した選手契約について同日セントラル野球連盟会長が、その承認を却下したのは野球協約に違反せず撤回の必要性を認めない
裁定理由・・・提訴球団は江川卓選手と成した選手契約の有効性について種々主張するが、いずれも妥当性を欠く一方的かつ歪曲した解釈に立脚する誤った主張に過ぎず、その主張を認める余地は無い
セリーグ会長は「ドラフト会議欠席は巨人側が勝手に行ったこと」とし、
以下の決定を下す。
1.江川と巨人による入団契約は認めない
2.阪神の江川に対する交渉権獲得を認める
12月22日
事態の収拾を優先したコミッショナーが強い要望を発表する。
1.巨人と江川の契約は白紙に戻すこと。
2.阪神は江川が入団後、即座に江川を巨人にトレードに出すこと。
協約では新人選手の公式戦開幕前の移籍は禁止されていたが、異例中の異例として暗に協約を破ってもよいと認めた。
その後、巨人との契約が無効になった江川と阪神は何度か交渉を行ったが阪神側はトレードを口に出さなかった為、トレードを信じ切れない江川は入団を拒否し続けた。
この阪神断固拒否の姿勢が江川のヒールさを増幅させたという。
江川と阪神社長による1対1の交渉が実現し、トレードが入団条件としてあがった。
しかし、巨人主力選手との交換トレードを望む阪神に対し巨人入団後の人間関係を憂慮した江川は金銭トレードを要求。結果、この日も交渉が決裂した。
1月30日
2月1日のキャンプインが間近に迫ったこの日、阪神社長の下に小林繁投手(前シーズン43登板13勝12敗2S 防御率4.10)との交換を認める巨人の使者が到着。
キャンプ地に移動する空港で集合時間ギリギリに現れた小林は球団事務所に連行された。
巨人選手は集合時間の30分前に集合することが普通だったが、小林はあえてギリギリに到着することで記者に連行を目撃させたとも推測されている。
1月31日
夕方に江川の阪神への入団会見が行われる。
この時点で巨人は小林を説得中だったという。
そして23時30分に阪神と巨人でトレードが正式に行われ、翌日2月1日午前0時20分に江川と小林のトレードが発表された。
この漫画では基本的には厳しいけど男の美学を持った球団として描かれている
江川事件については江川欲しさにフロントがやっちまって後に引けなくなったって感じ
一方の阪神社長は狡猾な人物として描かれている
直後、小林の記者会見が行われる。
「犠牲になったという気持ちはありません」
「僕自身、今でも巨人が好きです。江川君は巨人の一員としてこれから頑張ってもらいたい」
と毅然と振る舞ったことで事態は収拾に向かった。
なお、小林は阪神移籍1年目で巨人戦無敗で自身2度目の沢村賞を受賞した。
1979年 37登板22勝9敗1S 防御率2.89
通算 374登板139勝95敗17S 防御率2.89
無茶苦茶な成績やなぁ
あっそうなの
どっちにしても凄いわね
あの頃にさんまが小林の真似でウケてたんやっけ
あの形態模写が受けたのをさかいに笑福亭松之助師から黒字で破門されて改めて携帯模写明石家流初代家元っていう家号を松之助師から贈られてるんよな
「江川父が地元の代議士やら知事やらに巨人入りできるよう陳情してから話がややこしい方向に向かっていった」
みたいなこと言うとったな
親戚の娘が平成仮面ライダーのヒロインでアメリカザリガニ平井の嫁だったりする
7親等離れてたらほぼ他人みたいなもんやけどな
2月8日
プロ野球実行委員会の最終決定
1.形式上、互いに金銭トレードの形をとる
2.江川のトレードは協約通り開幕日以降とする
3.ペナルティーとして江川は2ヶ月1軍に昇格できない。
つまり、江川と小林は直接的なトレードではないということや。
江川事件の顛末は以上や。
この漫画の江川は大勢の人を巻き込んだことを申し訳なく思いつつも自分は投げるしかないと前向きな感じで描かれているで。
タイトルにはなっているけど、努力の人で嫉妬しまくる西本に対して江川は天才ゆえのナチュラルな傲慢さが見えてワイは感情移入しにくかったかな
>>53
ほーん作品の描写サンガツ
ていうか小林とっくに亡くなってたんか
みたいやな、悲しい
漫画では恨み言を言わない人格者として描かれているけど、調べてみると江川に色々と思うところがあったみたいやな
しゃーない
読売グループvsその他のメディア戦争が見られるで
さんまが巨人時代から物まねしていたけど関西だから全く受けなかったのに、阪神移籍した途端ばかうけしたんだっけ
バタフライエフェクト的にいい意味で江川がさんまの人生に影響を与えたと言えるのかな