あまりに凄すぎて過小評価されてる気さえします
古き良き時代V9の凄さをアンチ側から語りませんか?
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大橋の守備はメジャー級だろうが。
打撃がしょぼかったってことか?
黒江は確かにしょぼかったけどな。
柴田曰く、「黒江さん以外は鉄壁の守備」w
>>9黒江さんはサードフライ取れたらOKだろ
隣のサードはセカンドゴロまで取るんだから
それに黒江さんはダイエーで王監督の隣にいた時も楽しそうだったしな
ロクに打てる打者がいない時代にONの突出ぶりがすさまじかったのはわかる。
最初の3年は三原大洋も優勝候補だったろうけど、その後は阪神しか対抗馬がない。
阪神は当時投手力のチームで打線は貧弱だったからそこで差が付いたんじゃないすか?
もう一つ対抗馬になりえた中日も43年の最下位に黒い霧のダメージでしばらく沈んでたしな。
凄いというより対抗できる他チームがなかったとしかいいようがない。今と同じだわ。
そんな大昔の選手、現代じゃ並以下だろうがw
名ショート阪急の大橋を知らんのか?
>>19
打撃の方がね…….(´・ω・`)
東都の通算ホームラン新記録を更新した強打好守のショートとして東映が田淵、山本浩、富田、星野仙等々と居並ぶ中でいの一番で指名したものの、守備はともかく打撃の弱さより、東映では期待外れとの評価だったし。
阪急とのトレードにアッサリ応じたのは、そんな東映側の彼に対する評価の低さも多分にあったかと。好守巧打で走塁も上手い阪本をくれるなら、大橋なんかイラねって感じで。
阪急への移籍後は打率は相変わらずだったけど、3年連続2ケタホームランを記録したりと、東都の強打者の片鱗は見せたけどぬ。
その後、阪本がいた東映~ファイターズが強かった訳じゃねえし
73年のV9最後の年のシリーズじゃ自ら2HR迄して見事シリーズMVPになってるからな。
アンチでなく生粋のファンだけど
さっき放送してた番組によると
牧野ヘッドコーチが
負ける条件みたいなものをリストにして
それに該当するようなことがあれば即交代したりと。
勝ちが見えた状況で堀内が四球連発しても交代とか。
柴田・黒江が左右にバントすることで村山を疲れさせたりと。
客に受ける采配よりも面白味がなくても常勝に徹する采配。
最近でいうと原采配より落合采配みたいな。
>>27
「勝つには勝つけど糞面白くない野球」という面でのアンチかも知れんだろうに(´・ω・`)
V9野球と落合采配の違いは、さすがの川上監督もONには一定のプライドを担保していた(叱られ役として活用はした(例・ONにサインなんてまず出ないのに、ミーティングで「最近サインの見落としが多い!!」等と俎上に上げたり)様だけど)のに対して、落合采配は4番も含め、全選手を完全に駒としての扱いに徹したって事かな?と。
それだけ徹底していたとも言えるけど、その点が日本一に1度しか到達出来なかった原因の様にも。
その辺は微妙に自身も大打者だったノムさんの悪弊とも被る様な。
「王ボール」「長嶋ボール」にケチをつける奴は少なかった
V9時代はたいていの投手はもう諦めてたんじゃないかと思うわ。
まあ、最盛期の平松だけはカミソリシュートでカモってたらしいがな。
でも9連続日本一は川上にしか出来ない
と誰かが言ってたな
何せ川上の場合、日本シリーズで3敗を許したのさえ63年の西鉄戦だけだからな。
川上が凄かったのは個の力を組織の力に昇華させたこと
個々の能力が高くても好き勝手に打って好き勝手に投げてるチームでは一過性の強さで終わっていた
ONに打たれて負けると諦めついたな…
実力が雲泥の差だから仕方ない
阪急も歯が立たなかった
堀内はシーズンが悪くとも日本シリーズは良かった
それでも71年のシリーズだけは始まる前は今度こそ絶対阪急が勝てる、て空気だったらしいな。
実際1-1で迎えた第3戦を勝てば流れは完全に阪急に行こうとしてたとこで9回裏王のサヨナラ3ランが飛び出し第4戦以降一昨年以前通りのシリーズ展開になってしまったんだったな。
>>41
>それでも71年のシリーズだけは始まる前は今度こそ絶対阪急が勝てる、て空気だったらしいな。
そんな話聞いたことが無い。ソースは?
69年のシリーズ前はマスコミに協力してもらってそういう空気を作ろうとしたと西本さんの自伝に書いてあったがな。
>>44
1・ここ数年メンバーが不動でマンネリ気味の巨人と、山田久、福本、加藤秀と新戦力が続々登場と世代交代が進む阪急の活きの良さの差
2・開幕ダッシュの成功で独走体勢を築きながらオールスター以降を負け越しと調子を落としていた(特に王が調子を崩し打率は3割を切り、ホームランも39本止まりに終わったのが懸念となっていた)巨人と、共に勝率6割以上のロッテとのハイレベルな争いを制した阪急の勢いの差
特に福本の足は、いよいよ衰えが明らかになってきた森の肩ではフリーパス同然と観られていた。
王貞治も「今年(71年)こそはやられる」と危惧してた。
自らのバットで阪急の野望を打ち砕いたが。
悔しいけれど控え選手も一流オーラがありましたな
阪急に勝ち続けたころは
必ずしも実力的に劣らないであろう阪急の選手が意識しすぎてミスが出たり
微妙な判定が災いしたり
数年後に阪急の選手がピークを迎えたころ巨人の選手は下り坂になっていた
立場が入れ替わって面白かった
西本御大がTVでそう話しているのをつべで拾える。
王がやや不調だったのも確かだしね。(荒川が巨人を退団してフォームが崩れた)
ただ、阪急も3バカとかの世代交代はあったが基本そんなに面子変わってないんだよな
71年の戦力
巨人・・・6.5差で優勝(勝率.574)
得点1位 打率1位 防御率3位 失点4位
阪急・・・3.5差で優勝(勝率.672)
得点1位 打率1位 防御率1位 失点1位
主力投手の成績
堀内・・・14勝(3位タイ)防3.11(防10傑以下)
高橋・・・14勝(3位タイ)防2.94(防10傑以下)
関本・・・10勝(10位タイ)防2.14(防5位)
山田・・・22勝(2位)防2.37(防1位)
足立・・・19勝(4位)防2.49(防2位)
米田・・・14勝(8位)防3.73(防10傑以下)
巨人に強い足立が復活してるんだよな。
山田も通用してるしこの2人をうまく回せば互角に戦えたかもしれんかったのにな。
西本御大は正攻法すぎたわ。その上、簡単に巨人の陽動にひっかかるしな...
71年シリーズ第3戦9回裏で山田に堂々と王と勝負させたのも西本御大にとっちゃ当然王が長島と違って
これ迄のシリーズで特にチャンスにはからっきし駄目だったから絶対に抑えられるし、それ以上にあそこで長嶋に回って来る前に何が何でも終わらせなきゃならん、て思いがあっただろうからな。
違うよ、この試合では3番長嶋・4番王
2死1塁で長嶋のショート右への打球をショート阪本が捕れず、2死1、3塁で王につないだ。
5番は末次で、次の第4戦3回裏には前日の反省か、足立は王を歩かせて満塁策を取ったが、あろうことか末次に先制満塁アーチを喫してしまった。これで巨人への流れをもう止められず翌日の第5戦で決着し、MVP末次。
で、西本監督はショートの守備力強化を狙い、阪本と東映・大橋のトレードを決行し、これが上田時代の黄金期の鉄壁ショート大橋を生んだ。
なる程・・・その第3戦では長嶋3番、王4番だったのか。まあ然し短期決戦で同じ轍を踏むまいと次に訪れた
同じシチュで取る、前回と真逆の作戦が思いっきり裏目に出てしまうってのは日本シリーズあるあるだな。
川上監督は王・長嶋で調子が悪い方を敢えて4番に据える(つうか純粋に出塁率重視からだろうけど)傾向があった様な。
例えば1961年のシリーズで二冠王MVPの長嶋を3番にして、4番に覚醒前の王を起用したり、この年の様に首位打者と復活した長嶋が3番で、二冠王とは言え、.276 39本 101打点と一本足転向後最低の成績に終わった王を4番に固定したり。
パリーグが弱かったのか、日本シリーズが特別だったのか
パが弱いというよりは、巨人が別格すぎた
当時の12球団でデータ野球を「組織として」実践し確立していたのは巨人だけだった
ノムさんやスペンサーが個人でやっていたことが巨人は既にチーム戦略の骨幹となっていた訳で、そんなのと戦ったって当然勝てるはずもなかった
王長嶋が居たから強かった
>>83
>王長嶋が居たから強かった
よくその意見を聞くが昭和45年のシーズン東映の張本・大杉の打撃成績がONを上回っているのに優勝どころかBクラスというのはどういうわけだい。
俺はセイバーは知らないが当時の東映は5番白が18本塁打。大下が135安打を打っている。明らかに巨人より東映の方が打撃は上だろう。
板東英二がON砲を両方押さえるのは至難の業と言っていたが張本・大杉を押さえるのもたいして変わらない気がする。このふたりに打たれても優勝できたロッテはセリーグの5球団より実力が上なのだろうか。
東映はしらんがこの年のロッテは成田と木樽が20勝に300勝投手の小山も健在だったし。
巨人は堀内、高橋一が毎年それなりだった上に倉田とか渡辺とかが隔年で活躍してた感じだ。V9初期は城之内とかな。
V9巨人は打高投低のチーム。
投手陣はいつもいい投手を軸に酷使する。
森ははっきりと「毎年軸になる投手が違うので、V9にエースはいなかった」
と言っている
>>86
金田弟が24勝しているけどな。>東映
只、金田弟に次ぐのが7勝(森安が永久追放となったのも大きく響いた)と、既出の野手陣も含め投打共に軸は居たけど、20本塁打以上5人、25勝・成田、21勝・木樽、16勝・小山と三本柱が確立しているロッテに比べて、層の薄さは否めず、その戦力差がダイレクトに出たって感じだぬ。
そんな東映は金田弟に次ぐ柱となる投手とすべく高橋直樹に目を付ける一方、江本を獲得した訳だが……….、まぁ(黒い霧事件で嫌気が差した?)東映フロントが熱意を無くしていたとしか言い様が無い罠。
江本の南海への放出が決まった際に、首脳陣は「彼奴は東映の柱となる投手だったのに、フロントは何考えているのか?」と嘆いたらしい。
捕手上がりのユーティリティ選手・高橋博士。
彼一人で佐野嘉幸までくっつけてくれたんだから、江本がプロ1年目未勝利の投手とはいえ、今から観ると大放出だね。
最初から巨人やシリーズに劣等感持ってる相手じゃ、やりやすかったろうね
そんな彼らですら劣等感を抱くほど巨人の野球は相手に隙を与えなかった
その上での結果がすべてだから説得力が違う
V9は球団としての偉業だが、戦術のフォーマットを改革したのは球界全体にとっての偉業だった
選手が好き勝手に投げ好き勝手に打っていれば個人記録はもっと伸びたが、連覇を続けていくことはなかった
金田の故障等で開幕ダッシュに失敗して(御陰で堀内や高橋一三の一軍登板のチャンスを得たって感じも)のこの勝率だからな。
大打者の日本シリーズ年度別opsを調べてみた
長嶋
1958.....833 1959..1.012
1961.....577 1963..1.307
1965..1.123 1966..1.277
1967..1.032 1968..1.128
1969..1.500 1970..1.647
1971.....906 1972.....838
王
1959.....829 1961..1.041
1963.....957 1965..1.388
1966..1.119 1967..1.166
1968..1.350 1969.....846
1970..1.293 1971..1.093
1972..1.278 1973..1.169
1976..1.383 1977.....746
V9期間中の巨人防御率
昭和40年 2.54 2位
昭和41年 2.24 1位
昭和42年 2.87 2位
昭和43年 3.35 4位
昭和44年 3.30 5位
昭和45年 2.46 2位
昭和46年 2.94 3位
昭和47年 3.43 3位
昭和48年 3.25 5位
V9期間中の巨人総得点
昭和40年 536点 1位
昭和41年 559点 1位
昭和42年 595点 1位
昭和43年 652点 1位
昭和44年 599点 1位
昭和45年 499点 1位
昭和46年 538点 1位
昭和47年 587点 1位
昭和48年 565点 1位
完全に打のチームだったんだね