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現役最後の西武時代
「こんなに肥っててよく投手が出来るな」
と思ったよw
スピードも134Kmしか出てなかったな
9回2死3塁から近鉄有田に同点の内野安打を打たれ、
その後吹石か誰かのサヨナラ打で敗戦投手になったのが初江夏だった
だけどYouTubeにその試合が上がってたが
2死1、3塁から梨田の内野安打と有田のサヨナラ打だったわ。
おぼろげな記憶スマン。
若いのに堂々とした体格だな、と思った
巨人戦で3打席連続二塁打を打った
それ覚えてるわ
リリーフで長いイニング投げてたよね
江夏が広島に移籍した年の巨人戦に3回から登板し好投した。
久々のテレビ中継、巨人相手、観客の歓声で数年ぶりに
スイッチが入ったと思った。
リアルタイムで見たのは西武時代だけだよ。
メジャー挑戦と一人で引退セレモニーは
覚えてる。
1つ上の43だけど小2(81年)から見てるから俺は日ハム時代に間に合った
初めてアメリカの野球の存在を知ったな
その翌年の日米野球で嫌と言うほど差があるという事も知って衝撃だった
マジでしびれた
また後付けかw
21球なんか丸々1年後経過してからナンバーの創刊号で話題にされただけで、
実際はオンタイムでは騒がれもしていない。
むしろ無死満塁から1点も取れなかった近鉄の拙攻の方にフォーカスが当たっていた。
近鉄スレでも当時を知る人はみんなそう語ってる。
>>30
当時7歳
岩国に住んでいた広島ファンだった(今もだけど)から
もう絶対負けると思っていたんだよ
もちろん21球なんて言葉はなかったけど
佐々木恭介がきわどいファール打った時は
もうやられたと思った
孫子も
「戦争は誰もその智謀に気づかないような勝ち方が理想」
とか言ってるだろ。
普通の視聴者は江夏の投球術のどこがすごいのかわからずに、
「どうしてあのぐらいの球が打てないんだろう」
と思うだけなんだろうな。
(私がわかっていると言っているんじゃないよ)
それに満塁になったのは江夏だけの責任じゃなくて、水沼の悪送球もあった。
ついでに、「丸々1年」というけど、ナンバーが出たのは、5か月後くらいだろ。
当時「江夏すげえ」なんて思った奴はいないってw
前に投げてた投手の満塁のピンチに出てきて抑えたんじゃなく、
自分の出したランナーを還さなかっただけだからな。
むしろ「何だよ近鉄ノーアウト満塁で1点も取れないのかよ」
という落胆の方が大きかった。
あと当時話題にされてたのが西本監督がまたシリーズでスクイズ失敗したこと。
これは一般紙の多くも記事にしていた。
>>32
だからよけいすごんだろ
自分の不始末を自分でかたつけたんだから
近鉄ファンはがっかりだが
広島ファンから見れば綱渡りみたいなもんで最後にしびれた
で、あなたは近鉄ファンなの?
は? どっちのファンでもないし、
俺は「79年当時の世間の評価」を語ってるの。
江夏の21球が神格化されたのは
間違いなく1年後に山際淳司がナンバー創刊号で書いてから。
7歳のガキにそこまでわからないって
ともかくもピンチを0点で抑えて優勝したって話がすべてだったんであって
のちになって江夏の活躍が脳内補正されたのかもしれないけど
あの時はあの時でしびれた
で、西武時代には江夏の変わりように別の意味でしびれた
ブルペンを用意させた古葉への不信感がトレードの理由と読んだ
でも、実際は年俸の高騰かしら?
(山本浩、衣笠、北別府とか高そうだ)
昭和55年の開幕の日に監督室に行って
古葉監督にその問題を問い質して納得したとは言ってるね。
もちろん
それも江夏が一方的に言ってるだけだから真相は分からないね。
次からの8人は打たして取り
王の次の打席で奪三振記録を達成したのは凄かった。
調子がいい時は自由に見せ場を作っていた。
古葉監督とは話したこともあるが、江夏は見たこともないで
(´・ω・`)
なんとなく江夏、と思っていたから、
南海にトレードと言うニュースにはびっくりした。
江夏-田淵こそ阪神史上最高のバッテリーは短かったが、
今なら見られて良かったって事に。
巨人以外の記事が紙面トップを独占したのを覚えているが、
どれ位凄い事か理解出来たのは何年も先の事だった。
20奪三振x20試合で400だから星飛雄馬も無理だろうな。
残念、あの頃はナイターの照明が暗かったからw
>>83
阪急が夜の勇者と呼ばれてだな・・・・・
何せ他球団に先駆けて獲得した黒人選手の
レインズやバルボン辺りが塁に出ると、全く見えなくなるもんでな
って昭和20~30年代の話じゃ無いわw
さすがに昭和40年代頃には昼間より明るい位にはなっとったわい。
もちろんその時代よりは明るいが、昭和40年代はまだかなり暗かった。
現代のように明るくなったのは昭和50年代に入ってから。
ストレートとわかっていても空振りさせられた唯一の投手
日米野球でも桁違いの成績を残しメジャー監督を脱帽させた
全盛期なら間違いなくメジャーのどの球団でもエース格になれただろう。
江夏の全盛期て
昭和四十年代前半だろう?
その頃のメジャーて
どんな打者がいたの?
>>81
全盛期は過ぎたが
ウィリーメイズとかハンクアーロンがまだいた時代だな
ピートローズやジョニーベンチがまだ駆け出しだった頃か
記憶に残っているのは引退試合を一本杉球場でやったニュースだけど
本人の姿は記憶にないなぁ。
オレンジの日ハムなんだけど映像を見た記憶がない
最も映像としての古い記憶がメジャー挑戦中の奴
たぶん「リトル巨人君」の江夏の方を先に見てると思う
たぶん全盛期過ぎてた。村山は知らん。
平松、松岡、星野が活躍してた。
長嶋もほぼ知らん。なのに同世代は野球ユニフォームで
1と3をつけたりしてた。
江夏については、左投げのかっこいいピッチャーという見方だった。
巨人を応援しだしたらいきなり六連敗で最下位だったかな。
一番観てみたかったのが若い頃の江夏だな
快刀乱麻というよりも
若い頃から慎重にコーナーを投げ分ける投手だったようだから
イメージと違うかもね。
若い頃の鈴木さんや平松さんのフォームは躍動感にあふれていたし
堀内さんの素早い身のこなしも豪快だった
その点、江夏さんはどっしり安定した体格とフォームで
「ドスン・ビュッ!」て感じだったから
正直言って、最初にテレビで見た時はがっかりした
見るだけだったらの話、既に全盛期を過ぎた村山さんの方が楽しかった
今なら球審がタイムを宣告してるだろうな
だらだら試合が間延びする投手という印象しかない。
第5戦の東尾君と桑田君の投げ合いでは経験の差が出た感じがしました。
9回東尾君の真ん中に入ってくるスライダーを原君が手を出さなかったのが巨人としては痛かった。
第6戦ではブコビッチ君のセンターフライで二塁から清原君が生還したのは暴走気味だとしも、秋山君のヒットでクロマティ君と川相君の守備の隙をついて一塁から辻君が一挙に生還したのは西武のスコアラー陣も含め西武の作戦勝ちだったんでしょうね、ええ
>>142
>ブコビッチ君
いつも笑えるw
解説者始めた頃は外人は呼び捨てだったからな~
話が書いてあったが、王みたいにバッティングを右打ちから左打ちに変えるのはまだ可能
だろうけど、投げるのを右から左に変えることができるんだろうか。
>>172
鈴木啓示は子供のとき怪我をして左利きにした
父親が投手やりたいなら左利きが有利だとスパルタ?かな
堀内は子供のとき指を怪我して短い
逆にドロップが投げられた
不幸と思うことが何が幸いするかわからないわ
野村は貧乏だったから新聞配達で下半身を鍛えられた
小松は漁師の家庭に生まれたから背筋力があった
徹子の部屋出たことある
衣笠祥雄、江夏豊、古葉竹識、
森祇晶、村田兆治、落合博満、仰木彬
徹子の部屋出たことない
川上哲治、広岡達朗
黒柳さんはイチローを全く知らなかった
イチローはぶちギレ真栗だった
新幹線でカープの一団と出くわしたんだけど
ハンサムな選手が多くてときめいたと言ってた
もちろんあのコピペの頃ではないと思うが
阪神タイガースに在籍の全盛期には、日米野球は無かったのでしょうか?
全盛期だとメジャーにどの位、速球が通用したのか関心があります。
全盛期にメジャー行ってても速球が通用したかは微妙
カーブは通用したであろう
草の速球は向こうでも通用したと思う
>>198
江夏の1968年度401奪三振の時はカーブが曲がらなかった
「カーブが曲がるようになってから三振獲れなくなった」
って本人が言ってる
三振獲れなくなったったって、
通算歴代5位だよ(1位金田2位米田3位小山4位鈴木啓示)
リリーフに転向してからも、たま持ちが長いから三振が取れた
>>199
ダンプさんが言うには
カーブが曲がるようになってから空振りしてくれなくなった
だからフォークを覚えなければならんかった、とか
フォークといっても曲がらないカーブの変わりになる
SFF、ツーシームみたな若干の抜き球だろうとは思うけど
南海戦9回ノーアウト1、2塁で江夏がリリーフ 誰かのエラーで無死満塁
門田三振、次の打者も三振で最後がドカベン香川の内野ゴロで試合終了
日本ハム時代だが何年だっただろう