王政権は評価出来る点もあるのだろうか?
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でも、王時代って
1年目の楽天ぐらい弱いヤクルト大洋があったからな・・・
あと阪神も確変優勝した時以外、基本弱かった。
あのセリーグ戦力ではまずBクラスはないよな
ヤクルト大洋の80年代の弱さは異常
吉村がああなっちゃったけど
長嶋が育てて藤田が仕上げた巨大戦力だったが
王監督はその使い方がわからずそのまま藤田に返してしまった
こんな小噺がある程度に王は駄目監督扱いだった
イメージが悪いというのもあると思う。
それを反省したのか
ソフトバンク時代はそういう表情を見せなくなったが。
王は尾花以外投手コーチに恵まれなかった
堀内皆川村田兆治藤田学杉本正
巨人の監督就任当初のコーチ人事は
王主導だったんだからそんなこと言えんだろ。
一軍のコーチを全員年下で固めたことに対する危惧の声はあった。
実際誰も王に諫言できてない感じだったし。
>>171
ちがう
王は次期監督に内定してた83年夏場からもう組閣の根回し始めてて
例えば現役時代から子飼いだった柴田に実質的なヘッドをやってと頼んだが
フロントには「自分はピッチャーはわからないから」
と名球会仲間の稲尾か理論派の宮田をお願いしてた
だが藤田が強く堀内を推薦した
王自身は、堀内は柄川西本と馴れ合いになってると不安はあったが
稲尾がロッテの監督になたったこともあってまあいいやで妥協
結果としてこの妥協案が王一次政権最大のアキレス腱に
ダイエーで尾花就任以降くらいの話とか言われてたな
あれだけの存在になっちゃうと
周囲も色々気を使わざるを得ないのかもしれないが
ダイエー時代は黒江とか金森とか
巨人時代よりは良かったな。
OBも評論家も口をそろえて
「斎藤雅樹は先発でつかうべき」だった
しかし王は結局退任までリリーフ起用をやめず
おそらく日本でただ一人王だけが
斎藤の価値に気付いてなかったのだろう
長く続いた江川、西本の牙城を崩して、片鱗を見せていた。
斎藤1年目は藤田だったが高卒1年目で一軍登板なし
2年目から王になって一軍登板するも、リリーフが多い。
この王時代の84年~88年の成績はというと
ずばぬけて素晴らしいんだよな。
5年間 137登板 27先発
29勝14敗11S 360.2回
防御率2.84 WHIP1.09
この成績なのに
5年間で27先発・360イニングしか投げていないのは
まさに宝の持ち腐れで王の見抜く目がなかったんだろう
長嶋さんに対して良い感情無いでしょう。
>>196
典型的な長嶋派だよ。
王と藤田の采配を貶しても
長嶋トンデモ采配には批判どころか絶賛してたほど。
読売で仕事してんだから
長嶋批判はしないだろw
でも江川は
江川司会のスポーツ番組で長嶋のVTR見て、
テレビで目を真っ赤にして泣いてたよ
あ、長嶋のこと好きなんだなと思った。
江川が試合前の練習時に外野を走ると阪神ファンなどから
ゴミを投げられていたから投げられないようにと
長嶋が一緒に走ったりしてたからなあ・・・。
殴ったりする反面、そういう気配りも出来るんだよ長嶋は
王が贔屓して藤田や長嶋に冷遇された選手
クロマティ
呂
駒田
鴻野
有田
水野
クロマティは長嶋の時にはいないだろ
藤田派じゃないんかな
FAのときも相談したらしいし
駒田は縁が切れた人扱いかな
巨人OBのトークショーにも呼ばれなくなったし
王とだけ相性よかった
長嶋とだけ相性よかった
藤田とだけ相性よかった
王と長嶋と相性よかった
王と藤田と相性よかった
長嶋と藤田と相性よかった
みんなと折り合えた
みんなと馴染まず
こういうパターンあるからな
斎藤は王が干していたが
藤田でものにして長嶋でも干されたりせず相性よかったとか
角は伊東組で当然長嶋派なんだろうが、
藤田のことは大絶賛してたな。
「料理でいうとダシのきいた和食」と。
逆に時々話す長嶋のエピソードはトンデモお笑いネタばかり。
長嶋とだけ相性よかった 仁志、堀内
藤田とだけ相性よかった 大森
王と長嶋と相性よかった
王と藤田と相性よかった 原、吉村、牧野
長嶋と藤田と相性よかった 斎藤、江川
みんなと折り合えた 黒江
みんなと馴染まず 森、広岡
>>213
面白い、上手いね
「王と長嶋と相性よかった」誰も無しか…
(出場機会に限って言えば)
篠塚と山倉は良かった様な気がするんだが
あと
「長嶋と藤田」に松本、「長嶋と合う」んなら中畑
王監督一年目には四番だった中畑がその後
毎年一つずつ打順下げられたのには笑った
サダ坊はどのカテゴリーに?
江川とも西本とも仲が良かったから
みんなと折り合える性格じゃない
昔の王と原は仲が良かったのか悪かったのかどうにもわからん
長嶋と原の関係は今が一番疎遠に見える
ちなみに長嶋も王も著書の中で原についてはほとんど触れないね
監督としての原が優勝回数で上回ってしまったせいか
口述筆記役のライターが遠慮してるだけなのかもしれないが
原の高校大学時代、一番の原ファンは長嶋では?
ってくらい原推しだったよな
巨人監督復帰後に例のサード信仰で
原をサードに戻してはみたものの…
この年93年の冷夏に歩調を合わせたかの如く冷えきった打線の象徴に。
堪り兼ねて翌年の四番にと新設FAで落合獲得
以降引退までの94、95年の原に対する扱いは周知の通り
原も読売組織の一員としては
長嶋の国民栄誉賞イベントでもなんでもお付き合いするだろうが
個人的には許せないだろう
王と原は
王時代からレフトコンバート話は度々上がってたが
「四番(打者の守備位置)は動かせない」
と原に一定の配慮
なんだけど王監督時代は、王を慕うクロマティ以外は
選手・コーチともに王にそっぽ向いてる連中ばかりなんだよな
許すも許さないも無い
>>219
あぁ、当時知らないんだね
原の引退特番なんかスタジオも
「この扱いによく耐えたね」話に終始してたんだが
不振の93年以降、球場・試合中でも長嶋の原に対する扱いは
「生かそう」というより「さっさと消えろ」に近かった
少なくともマトモな勝負論の采配なら原に代打一茂という発想は出てこない
曲がりなりにも原は一つの時代を築いてきたわけだから、
「干して居場所無くす」より徐々に引退への道筋つけるべきだった
落合獲得は良いとして広沢ハウエル獲得~原をその下に位置付け
は巨人ファンでもメディアでも評判悪かった
原に四番が務まらない事は93年で立証されてしまったんだから、
三番松井四番落合五番原(→吉岡に禅譲)にしてれば
あれほど後味悪くはなかった
後は腰の悪い緒方に代わる選手(高村なんていたが)と
石毛西山より制球力のあるクローザーを固定できてれば
違った結果になったと思う
>>221
干したと言えるのは現役最終年だけだろ
長嶋が監督になった1993年は
打率が二割一分 だが四百打席近くもらってる
翌年はアキレス腱の部分断裂で後半戦しか出てないが
三百打席近く打ってる
その翌年に出場機会が減って引退だが
それは俺も残念と思う
翌年はハウエルが加入してる
干したと言うより長嶋の積極補強で出場数は減った
それでも160打席打ってる
あのまま最後までいれば2割8分、30本くらいいけたかも。
先日の巨人OBvs台湾OBの台湾興行スポーツニュース観て不覚にも泣いた
6川相
4篠塚
8高橋由
5原
3中畑
9駒田
7吉村
2村田真
D大久保
P桑田
巨人監督時代を思い出させる王の巨人ユニフォーム姿
原のポップフライ&爽やか過ぎる三塁守備
肉離れ起こして悶える中畑(往年は自打球)
代打王に相対する郭泰源&呂明賜のバッテリー
た、たまらん…
ここに江川クロウ山倉いたら完璧な80年代だったな
てかこれ日本で頼むわ
なんか一人だけ間違ってるやつがいないか?
なぜ山倉や中尾にしなかった?
王はあの試合のように和やかにできたら
監督としては失敗しなかったかもね
原とあんなに和やかにしてたのは
当時では見られなかった
>>244
中尾なぁ
89年の功労者なんだが
中尾はDのイメージありすぎてなぁ
あと80年代Gといったらカムバック賞有田しか思い出せないわ
まぁクロウ本で書かれてた通り、
山倉はサボっでも体調作らなきゃいけない
山倉一人しかいない時期だったよな
現役で
あんなに仲いい王、原は無かったな
原&仁志
王&中畑
桑田&デーブ
原&鹿取
中畑&駒田、等々
これらが一つのベンチに治まる絵面にも感嘆したわ
王さんの打席への送り迎え付き添い介護は
柴田&原だった
批判してるけどね。
槙原も然りだし王に干され藤田長嶋で可愛がられた斎藤も
王との確執がもう消えてる噂もあるが
ちなみに原は王とは和解したが長嶋とはどうなん?
桑田は金田にも可愛がられてるからな
ライバルチームの外国人に話しかけた。
「仲良くなっておくとぶつけても殴られないですむからね」
「巨人だって川上派、長嶋派といった派閥はあるが
『勝つためにどうすべきか』という思いは一致している。
しかし、阪神は派閥間で足の引っ張りあいをしてるだけ」
シーズン中辞任を申し入れて辞任
原の2度目の監督の時にはコーチには呼ばれなかった
鹿取は長嶋派でしょ。
引退してすぐにコーチで呼ばれたくらいだし。
ところで鹿取を放出した藤田は
第二次政権時は野手育成を軽視していた印章。
川相を抜擢して
岡崎をサードにして
緒方を積極的に使って
村田真一をレギュラーに
したんだから十分だろ
その時にいた人材なりの育成はしてるな。
一流の素材が取れてないのはドラフトの問題だし。
藤田は野手を育てられなかった
原が引退コースに乗ってからは地獄の貧打線
王が育てた吉村のケガが大きかったが
藤田巨人の野手っていうと
緒方、川相、村田だもんなあ
藤田巨人の申し子岡崎を忘れちゃいかんだろ
超暗黒打線だったな
千葉→長嶋→鹿取
って感じか。
宮田と不仲で00年オフに一度辞めて翌年復活
宮田は01年オフ退団
宮田の著書を読んで
投手を育てるのに熱心な人だなと感じた後だったからガックリした
長嶋が最初に監督になった時にコーチに起用されてたから
長嶋派なのかな。
そうでもない。
その後は見放されて川上さん世話になったから、
最後は川上派。
宮田は一時期、日本ハムでコーチをしていたな。
他球団コーチを経て
再び巨人コーチに戻った者は何人もいるが
黒江だけは復帰しなかった。
86年斎藤で覚えてるのは、
優勝争いが激化した8月に先発してた水野(当時、裏3本柱の一人)が打たれて
それをロングリリーフしたら味方が逆転して勝利投手に
でヒーインのお立ち台でニコニコしながら
「水野が打たれて、やった!と思ったw」って答えてた
この年は江川槙原加藤の表3本
裏3本の充実で斎藤が割こむ余地がなかったことがわかる
87年斎藤で覚えてるのは
5月のGWのときのメッタ打ちKOから二軍行き
これらを王の責任とか見る目ないとか言う奴はわかってない
期待されてたのに斎藤が結果出せなかった、の方が正解
GWかは忘れたが
横浜スタジアムの大洋戦でボコボコになったのは覚えてる
俺が持っている
1988年前後のホームラン、週べ、月刊ジャイアンツ揃って
「伸びる芽を監督が潰している」
「なぜ先発で使わないのか」
「リリーフ起用がそもそもの間違い」
「早く環境を変えてやるべき」
って王が叩かれてる
当時からそんな感じだった。
西本とも喧嘩してたし。
成績ががた落ちになったのは堀内時代だよ。
皆川の頃には戦力外になってた。
優勝したときは日本シリーズにも出場登録されていない。
あの温厚な斉藤が
「ジャイアンツなんか負けちまえ」と思ったぐらい。
>>328
堀内は85年まで。
85年の斎藤は防御率がリーグ3位、完封勝利がリーグ1位。
皆川コーチになった翌86年のキャンプでは
評論家たちがこぞって斎藤を絶賛してたのを覚えてる。
これからは江川・西本の時代ではなく斎藤の時代と言われていたのが
86年、それほど悪い内容でもないのに先発を外され
(江川、加藤初が好調、復帰してきた槇原が連戦連勝という事情もあった)
87年は大不振で若くして終わった投手扱い。
88年はロングリリーフ&敗戦処理。
この辺に関して堀内の責任はないだろう。
86年に先発で起用し続けてたら、
斎藤も回り道せず済んだし、王も首にならずに済んでるよ。
>>330
そうか、すまん記憶違いだ。
ただ堀内は誰も柱となるような投手は育ててないよね。
斉藤がブレイクしたのも
藤田のアドバイスでサイドスローにしたからだし。
皆川は同じ変則派だったのに適切な助言もできなかったんだな。
>>330
>86年、それほど悪い内容でもないのに先発を外され
事実と違い過ぎる
まず、王は江川を全く信用してなくて
早く江川に代わるエースをってずっと探してたことを忘れてる
だからずっと槙原と斎藤には期待してた
86年は、だから開幕3連戦の相手のヤクルトよりも
あえて次の対戦相手の広島戦に斎藤を持って来たが
斎藤がこれを裏切った
中日戦、ヤクルト戦なんかではいい投球をするのに
広島・阪神の上位チーム相手に打たれるを繰り返し
5月の連休まで斎藤はずっと先発で使われたけど1勝3敗
ここで二軍に落ちた
しかも代わってローテーション入りした水野と桑田がすごく良かった
8月に上がって来た斎藤は調子良かったけど、
先発ローテーションは確立されてて入る余地がない状況だった
だからリリーフで仕方なく使ってたが、
そうすると味方の逆転とかで勝ち星も転がって来るし
セーブも記録してる
王にしてみれば、斎藤は先発で使った序盤は結果が出ずに、
夏場からリリーフで使ったら素晴らしい結果を残したわけで
そら誰が監督でもリリーフで使った方がよく見えるに決まってる
斎藤自身が先発やりたいというなら
序盤に結果出してなきゃいけなかったわけで
この問題で王を責めるのはお門違い
1986斎藤先発
4.10 ●8回6自責
4.17 -6.1回2自責
4.23 -10回0自責
4.29 ○9回2自責
5.5 ●3回3自責
5.12 ●0.2回5自責
これで先発ローテーションは桑田に取ってかわられる。
最初と最後ひどいな
それでリリーフならいいピッチングするというのなら
誰でもリリーフで使いたがるよな
なお斎藤先発の方がよかったと思うわ。
高卒3年目の時点で完封勝利リーグ最多で
スタミナに何の問題もない投手なんだし
2試合連続KOで見切る(その前2試合は好投)なんて
原や高橋なんて比較にならないくらいのこらえ性のなさだろう。
>>340
85年は
十分なチャンスをもらって斎藤自身それに応えていたが
86年は
先発でダメ(王は期待してたのに裏切られたかっこう)
リリーフで好投
その流れで87年に入ったらそのリリーフですらダメ
二軍でも結果出せずなのだから
そもそも87年に先発させてもらえなかったなどと言うのは、
弱いチームのダメな選手のよくやる言い訳でしかない
「代わりがいない」なら辛抱する価値もあったろうが、
87年も88年も先発は足りてたわけで
89年はガリクソン水野の開幕前の故障で先発が足りなくなったのだから
ガマンしてもらって当たり前、またガマンする価値のあった状況
王と同じ状況なら藤田もリリーフで使っただろうし
(心情必罰の法則に沿った、いたって健全な起用)
藤田と同じ状況なら王も先発で使っただろうよ
それが斎藤雅樹の好評価につながってた記憶もあるんだな
斉藤にとってはずっと藤田が監督だったら開花も早く
名球会にも届いたろうに残念
何より86~88年の失われた3年が痛すぎる
>>338
開花が早いと体が出来てないうちから
年間200イニング以上投げることになるため、
かえって寿命が縮むケースもある
89年ごろの週ベで
開花時期と投手寿命って企画をやってたんだが、
当時絶頂だった阿波野西崎渡辺の
イケメンエースたちよりも、
26歳で開花した斎藤の方が長持ちするだろうと予言されて
その通りになった
実際、野村ヤクルトの高卒エース軍団とか
みんな故障で太く短くを地で行ってしまった
そして、何度も言うが
斎藤が86年~87年までぱっとしなかったのは
斎藤自身の自己責任でしかない
当時のチーム状況と斎藤の投球内容
(先発で打たれてリリーフで好投というパターン)から
誰が監督でもああなったと思うのが妥当
先発でダメでリリーフで好投なんて86年だけの話だろう。
87年88年なんて先発のチャンス貰ってないし。
90年代の岡島とかなら先発のチャンスをことごとく潰し
リリーフに行ったということで話は分かるけど。
だいたいからして、球界の歴史を見ても
「結果が出せない奴を辛抱して使い続けた」ってのが
名監督の条件とは必ずしも言えない
森でも野村でも落合でも
シンプルに優勝劣敗式に結果出す選手を使ってただけ
例えば守備が下手でも
打撃は結果出してるからガマンして使うとか
何かしら光るもの出してるなら
ガマンもわかるが(古葉にとっての慶彦とかね)
先発が足りてる状況で
先発で結果出せない奴をずっとガマンして使えとか意味がわからん
実力と見るか、実力を出せてないと見るか
それは大きかったと思うけどね
桑田は要らなくなり早稲田に行き、代わりに清原が指名されていたはず
4番ファーストに固定になるから原はサードに固定され5番あたりになる
清原はランスあたりの年に打撃タイトル獲得のあと
95あたりにFAで西武。
桑田は早稲田卒業後に入団。
最終戦まで防御率のタイトル争ったにもかかわらず
バース全打席出塁で打ち込まれて終了
化けたあとも91年あたりまでそうだったんだけどさ
下位チーム相手だと鬼のように強いのに
上位チーム(王時代の広島・阪神、藤田初期の広島・中日)相手だと
ちょっと頼りないところがあって
本人も気にしてた
何度でも繰り返し言ってやるが、王は悪くない
広島・阪神相手に打ち込まれるヤングエース(笑)を
なんで我慢して使わなきゃならん?
同時期に槙原は広島キラーやってたわけで
監督交代してすぐに三下がMVP級の活躍をしたのなら
前の監督に見る眼が無かったとみなされるのは当たり前
斎藤と水野の使い方ひとつ見ても藤田と王の眼力の差がわかる
>>347
その水野
87年は9月の天王山の中日戦でうろ覚えだけど
無死満塁だかなんだかの絶体絶命のピンチで
リリーフに出て来てゲーリー落合大島(宇野だったかも?)を
三者連続三振だかなんだかって試合もあった
88年もチームは2位だったけど
今度は先発で中日戦で1-0完封だかなんだかやってたはず
斎藤と違って抜群の結果を出してたね^^
88年は確かに斎藤も良かったというか持ち直してた
5回あたりまでほれぼれするピッチングしてても
後半になると怪しくなってたからな。
球場が広くなったんだから
江川 引退
西本→中日
角→日本ハム
鹿取→西武
槙原26歳
斎藤25歳
宮本26歳
桑田21歳
香田24歳
木田20歳
水野24歳
広田24歳
吉田23歳
これが藤田なら酷使喰らって
早く終わっていた可能性もまた否めないよな
藤田は長嶋みたいに
絶対エースだけに頼って酷使する監督じゃなかったよ。
ちゃんとローテ組んで守ってただろ。
だから二桁投手5人達成のシーズンなんて快挙も出来た。
江川が新浦みたいに酷使されて早く潰れたかもな。
また江川も長嶋派だから登板拒否なんかせず従ってだろうし。
>>364
前年のシリーズ敗退における監督のヘボ発言。
堀内、江川があの発言をやたらと引き合いに出して
92年まで藤田采配批判をしていた。
堀内
「監督がヘボならその監督の下でやってる選手は
もっとヘボってことじゃないですか」
江川
「あれ、監督の言うべき言葉じゃないですよね。
これからは西武の強さを見習うとか言い様があると思うんですけど」
ラジオでも江本や衣笠も同様で
西武を褒め称える発言をすべきだったと苦言を呈していた。
>>366
ここで忘れてはならないのは92年には
藤田降ろし・長嶋再登板の雰囲気がマスコミ一体で盛り上がってた事実。
江川は
バリバリの長嶋派。
堀内は
「王に見限られて仕方なく長嶋支持に回った」長嶋派
という違いはあるが。
堀内の仲人は長嶋で、元々バリバリの長嶋派だろう。
王や藤田とも関係は悪くはなかったんだろうけど。
>>369
ところがそうでもないんだよな。
長嶋が監督になって、最下位になった。
あの年に堀内も不調で、再三打ち込まれて負けたんだが、
ある試合の後で例によって長嶋が発狂し、
吊し上げるような感じで罵声を浴びせた。
それはかなりショックだったらしく、
長嶋解任直後の堀内のコメントが、
「長嶋さんは選手時代は面白い人だったが、監督になって怖い人になった」
というものだった。微妙に距離ができていたような気がする。
「必要ないならトレードに出してくれ」とか
首脳陣批判して罰金になったのも
確か91年だったな
藤田は
あのヘボ発言で求心力を失ったばかりか、
OBやファンどころか
身内の読売新聞と報知新聞、日本テレビからも反感を買ってしまったね。
象徴的だったのが、
91年6月の松本初開催となったデーゲームのヤクルト戦の大敗。
試合中から失点の度にブーイングの嵐や落下物の数々。
試合終了後にはファンの怒りが収まらず、
罵声どころか巨人ナインが乗るバスに投石までする始末。
この不甲斐ない戦いぶりの原因は選手でなく
藤田監督にあるとも報じられた。
>>380-381
>身内の読売新聞と報知新聞、日本テレビからも反感を買ってしまったね。
だから反感を買ったんじゃないんだよ。
長嶋を復帰させたい讀賣がメディア総動員で藤田叩きを始めただけ。
二度も巨人の危機を救ったのに
最後に讀賣に手の平返しされたんだから藤田もたまらんわな。
王は関係ないよ。
藤田は最後の2年間、まったく優勝出来なくなっていたからなあ
あのままやっていも無理だったろ。
優勝の立役者の松井・落合は取れないし
老害原と劣化駒田と心中で投手力あっても無理だったろうな
最後の92年が問題だったな。
デーブが5月から来て、一時急上昇したんだが、
その活躍にオーナーがボーナス出すことになって
他の選手が一気に白けた。
「監督がヘボだから負けました」って
あれ藤田さんらしからぬ発言だったな。
せめて「西武の強さは我々の想像を遥かに超えていた」
とか言えなかったかなぁ
単に選手をかばっただけでしょ。
野村なんかよく自分で「こんなヘボ監督」と自嘲気味に言ってたよ。
堀内と江川の批判は
あくまで長嶋派による政治的な動きに過ぎないから
参考にならないよ。
でもあの「ヘボ」発言、
日シリ終了から翌年まで多くの人からやり玉に挙がってたよ。
OBの別所、張本、柴田だけでなく、
衣笠、江本、豊田、東尾もあれは監督のコメントではないと批判。
有本義明に至ってはあの発言で求心力を失ったとも言ってたほど。
それが長嶋をカムバックさせたいマスコミの意向とまだわからんの?
単なる個人の発言じゃないんだよ。
これまではそういう解説者の発言があったとしても、
スポーツ紙ならデスクの立場人が抑えてたの。
一斉に藤田批判OKとなったのはそういう裏があっただけ。
・長嶋復帰とイチローのブレイク
・Jリーグが一過性のブームで終わり
プロ野球が復権した理由はこのふたつ
やはり94年は運命の年だったと言わざるを得ない
前年復帰した長嶋が10.8を制し、イチローが記録を打ち立てた
Jリーグはこのダブルパンチですっかり下火に
どのみちJリーグはダメになったろ。
あとJリーグに対抗する意味の長嶋復帰は分かるけど
今思うと個人的にはサッカーは新しい時代のスタート
といった感じだったのに
野球は今更10年以上隠居していた長嶋を復帰させて懐古路線なのか?
という印象もあって
※実際にこの当時の時点で
長嶋の現役時代をリアルタイムで見ていたのは
いちばん若くても30代以上だったはず
野球=古臭い、中高年のイメージを
植え付ける要因の1つにもなってしまった気がするな、と
>>402
ドーハの悲劇が起きずアメリカW杯にあのまま行けてたら
ブームももう少し長続きした、とも思うけど
あの当時の代表では結局本番で3連敗で虐殺されていた可能性も高い
と考えると結局プロ野球的にはあまり影響ないと言うか変わらなかったか?
ドーハの悲劇なんてテレビ東京でやってたでしょ。
当時東京に居たから見てたけど、あれはショックだったなあ。
しかし10.19じゃないけど負けたから盛り上がった部分があるね。
どのみち日本代表がワールドカップで優勝する可能性なんかないんだから
その場合むしろフランスW杯の3連敗が大きく影響しそう
実際にドイツW杯でグループリーグ敗退してから
しばらく代表の人気が低迷したし
優勝できなくなったら批判は増える
藤田続投だったら92年のドラフトは伊藤智指名する予定だったらしいが
松井が入らなかったら94年とかはどんな打線になってたんだろw
落合をFAでとりにいったのか?
捕手村田
一塁駒田
二塁元木
三塁岡崎
遊撃川相
左翼原
中堅外人
右翼外人
弱い
長嶋復帰によってマスコミの取り上げ方が
選手ではなく監督中心になって行ってしまった印象は否めないんだよなあ
それまではなかったのに長嶋巨人だの野村ヤクルトだの言われたり
スポーツ新聞の1面も活躍した選手の名前ではなく
監督の名前がバーン、と出るようになったのも長嶋復帰以降でしょ
確か当時野球殿堂入りの条件として
「ユニフォームを脱いで5年以上」という規則があり
93年に王がユニフォームを着ると
殿堂入りが先送りになると知って諦めたというのをどこかで
みたことがあるな(94年に殿堂入りを果たした)
有りながらヘボ采配で逃しても叩かれなかったからね、
王、藤田の時はボロ糞に叩いてたくせに、この差別が嫌いだった
たしか台風で中止になった試合が最後組み込まれたんだよな
あの年の今中はリーグ最強投手だから
比較的万全だった槙原も調子悪かったが
高木守道はあの時振り返って未だに悔やんでたな
この年の今中と比べれば
他の投手全員格落ちだからな
最後の試合で今中を登板させて
そこで調子悪かったのが全てだね
まあ今中を批判するのは筋違い
今中が頑張ってなきゃそもそも最終戦までもつれ込んでないからな