全能の神様は誰にも持ち上げられない石をつくることはできないっていうあれ
認識いじるのは反則なんか?
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今感じる論理では矛盾してるけど
その論理が矛盾しない世界に改変しちゃうってかんじ
どっちみち「はえ~全能の神様でも今感じる論理内で持ち上げられない石を作る事は出来ないんですねぇ~」って言われてお終い
>>5
つくれるよ
人間は認識いじられてるの気づかないし
なんならいまそうかんじてるのは人間の認識の誤認って神は言える
神がいりゃあねってはなし
神には反論できないよねっていう
全能の神様は誰にも持ち上げられない石をつくることが可能で
それでいて矛盾しない論理が形成される
なんでもありやんってなるが
神様だからなんでもありじゃねーの?
ていう
人間が定義した枠の中で矛盾している
なら神様でも持てない石を神様が作るとしたら
全能なんだから持てるに決まってんだろハゲ
と矛盾してしまうってことか
「ほら出したぞ」
おまえ「ないです」
「ないってお前が決めてるからないだけで、すでに屏風は外にあるよ」
誰にも持ち上げられない石をつくってみやがれという要請が矛盾
>>11
あなたはなかなか近代哲学的な目線をお持ちですね
古典哲学はそこを問題にしなかったんですかね
ウサギは永遠に亀に追いつかないっていうゼノンのパラドックスとかも近代哲学では簡単に論破できちゃいますからね
認識をいじるという発想は大昔からあるよ。
ただ、>>1の問答に対して認識をいじるという回答はないんじゃない?
「(全能の神である貴方を含めて)誰にも持ち上げられない石を出してください。」
↑認識をいじるというとどの場所を?
全能の神である貴方←
を含めて←
誰にも持ち上げられない←
石を←
出してください。←
どの部分をどんな認識に変えたとしても、矛盾した内容になるのは変えられない事実だし。
ようは「不可能な事がない貴方の、不可能な事を教えてもらう事は可能ですか?」的な話しなんだから。
・・哲学というよりシステムチックな考え方になるけどね。
>>13
論理が矛盾しないって認識に変えればいい
ていうか結論いえばこの問題って出題者が何を決めるかにすぎないっていうのが近代哲学の答えっすよね
矛盾するっていうから矛盾してるけど
神だから矛盾しないって決めうちしたらなにも矛盾しないわけで
問題として破綻してる
ウィトゲンシュタインでいえば語り得ぬ問題っすよね
その近代哲学的な答えに対して
俺が誤解してないか再確認してる作業でもあります
その石を持ち上げることもできるよ
これが正しいと思う
誰も持ち上げられない岩は当然作れて、それを持ち上げたいと本心で思ったときに持ち上げられる
全能がそれを成したいと思ったときに実現する
「主はそれすら可能にするのです(説明出来ねーし根拠ねえけど)」だと宗教と変わらん
人間の理解の範疇では矛盾するっていう答えも
矛盾って決めたから矛盾してるっていう堂々巡りになる
誰にも持ち上げられない岩は、全能には持ち上げられる岩に成るので矛盾しない
全能にも持ち上げられない岩は作れんの?
ああ全能な神が持ち上げてしまうからパラドックスか。
神が人である定義ってなんなのかな?
そもそも神が石を作れると誰が決めたんや?
全能って何?
なんか変な話だな。
全能とはなんでもできること
やはり俺の認識が正しいようやな。
その「全能の神」が人間と言えるかだけど
でも全能が持ち上げられない岩は作れないんじゃない?
誰も持ち上げれないと定義しておいて
持ち上げる者がいるっもう定義が矛盾矛盾してるじゃん。
全能でも人間の理解の範疇で矛盾しない岩は
作れない、から全能じゃない
全能そのものも人間が定義した枠の中
これ言うと何も議論できなくなるけど